第19話 グレイザムへの潜入

 部屋を出たレイラとヒッキー。

 レイラが少しほっとしたように呟く。


「緊張したけど、思ったより話が通じる人だったわ」


 ヒッキーは軽く息をつきながら、どこか憧れるような声で言う。


「カッコいい人だったな。俺にはああいう落ち着きはないよ」


 レイラが小さく笑いながら、彼の肩を軽く叩く。


「まあ、あんたにはあんたの良さがあるからね」


 ヒッキーは少し照れくさそうに笑い返した。


「それがどんな良さか、いまだに自分でも分からないけどな」



 ソラリアの王宮の謁見の間。

 広々とした空間に厳かな静寂が漂う中、サリオス王は玉座に座り、目の前に立つレイラとヒッキーをじっと見つめていた。


「レイラ、そしてヒッキー君」


 サリオス王の低く重々しい声が響いた。


「レイラ、お前からセリアンとの婚約解消の意向を聞いたとき……正直に言おう、驚いた」


 レイラは王の言葉に視線を下げることなく真っ直ぐに立っていた。


「父上、私は自分の意志で生きる道を選びたいのです。それをセリアン様も理解してくださいました」


 王の厳しい顔にわずかな変化が生じた。


「セリアンが理解したからと言って、私がすぐに納得できるものではない。君たちが望む未来を築くためには、君たち自身の覚悟を示さなければならない」


「覚悟、ですか?」


ヒッキーが一歩前に出て尋ねる。


 サリオス王は深い溜息をつき、玉座から立ち上がった。

 その姿は年齢を感じさせない堂々たるものだった。


「そうだ。王家の決定を覆すというのは、それだけの責任を伴う」


 レイラの表情が緊張で引き締まる中、サリオス王は続けた。


「王国の中で、不穏な噂が広がっている。グレイザムという町で謀反の企てがあるらしいという話だ。だが、証拠を掴むことができていない。この任務を君たちに任せる。真偽を確かめ、私のもとに報告するのだ」


 レイラは静かに頷き、王を見据えた。


「わかりました、父上。その任務、全力で果たしてみせます」


「ヒッキー君、君もか?」


サリオス王が問いかける。


ヒッキーは少し間を置いて答えた。


「俺も一緒にやります。レイラを1人で行かせたりはしない」


ヒッキーは一瞬言葉を切り、レイラを真っ直ぐに見つめた。


「俺たちは、いつも一緒だろ?」


 王の視線が鋭くなり、ヒッキーの言葉を吟味するようにしばらく見つめた後、満足げに頷いた。


「よかろう。ただし、この任務には危険が伴う。失敗すれば命を落とすかもしれない。それを承知で進むのだな?」

「承知しております」


 レイラが毅然と答えた。

 ヒッキーも小さく頷き、二人の覚悟がその場に満ちた。



 任務に赴くため、ヒッキーとレイラは短期間で準備を整えた。

 王宮の侍従たちは特別な装備や地図を用意し、慎重に説明を行った。

 だが、二人とも表情に迷いはなかった。


「ヒッキー、これは私たちにとっての試練よ」

「わかってるさ。これを乗り越えないと、お前の親父さんも納得してくれないってことだろ」


 レイラは小さく笑みを浮かべ、ヒッキーをじっと見つめた。


「私たちならできるわ」

「だといいな」


 ヒッキーは荷物を肩に担ぎ、王宮を後にした。



 数日後、ヒッキーとレイラはグレイザムに潜入していた。

 この町にはどこか不穏な空気が漂い、人々の顔には影が差している。


「ここね、謀反の拠点と言われている場所は」


 レイラが低く呟きながら、ヒッキーと小さな酒場に入る。


 2人は酒場で耳を澄ませ、そこで交わされる密かな会話に注意を払った。

 男たちが小声で囁いている。


「サリオス王の地位を覆す日も近い……武器の準備は万端だ」


 ヒッキーとレイラは顔を見合わせた。


「サリオス王? どうやら噂は本当らしいな」


 ヒッキーが囁き、二人はその場を後にする。



 グレイザムの外れにある大きな倉庫。

 石造りの頑丈な壁に囲まれ、周囲には昼間の人通りが嘘のようにひっそりと静まり返っている。

 薄暗い月明かりが影を落とし、二人の姿を隠していた。


「ここが反乱軍の拠点か?」


 ヒッキーが囁くように尋ねる。

 レイラは地図を確認し、小さく頷いた。


「間違いないわ。王宮から送られた情報だと、この倉庫に秘密の書類が保管されているらしい」


 二人は倉庫の背後に回り込む。

 出入り口の扉は頑丈な錠で封じられていたが、ヒッキーが足元に視線を向けた。


「見てくれ、通気口だ」


 低い位置にある通気口が小さな格子で塞がれていたが、そこから中の様子がうっすらと見える。

 ヒッキーは慎重に格子を外し、通路の狭さに息を呑みながらも身を滑り込ませた。


「気をつけて!」


 レイラが警告する。



 倉庫の中は冷たく、かび臭い空気が漂っていた。

 何段もの棚が整然と並び、箱や袋が積み上げられている。


「どこにあるんだ?」


 ヒッキーが小声で呟く。

 レイラが指差したのは倉庫の奥にある小さな部屋だった。


「きっとあそこよ。反乱軍が重要なものを置くなら、人目に触れない場所に違いないわ」


 2人は忍び足で進み、部屋の扉をそっと開けた。

 中には机が置かれ、その上には書類の山が積まれていた。

 ヒッキーが素早く紙束をめくる。


「これは……軍隊の配置図、それに王宮を襲撃する計画か?」

「これで決まりね」


 レイラが書類を一部切り取って懐に隠す。

 その瞬間、微かな足音が聞こえた。


「誰だ?」


 低く威圧的な声が響いた。


「見つかったか」


 ヒッキーが低く呟き、レイラと目を合わせる。


「こっちよ!」


 レイラが別の通気口を指差し、二人は身を屈めてそちらに向かった。

 しかし、足音は徐々に近づいてくる。


 ヒッキーが足元の小箱を反対側の壁に向かって投げ、大きな音がした。


「こっちだ!」


 反乱軍の兵士たちがその音に気を取られた隙をついて、二人は通気口を通って外に抜け出した。



 息を切らしながら倉庫を離れ、闇の中を進む2人。

 だが、先ほどの音に気づいた反乱軍はすぐに彼らの後を追い始めていた。


「早くここから離れましょう!」


 レイラがヒッキーの腕を引く。


 だが、町の出口に差し掛かった瞬間、後方から怒声が響いた。


「待て、お前たちが倉庫に忍び込んだのか!」


 2人は瞬時に走り出し、細い路地に身を潜める。

 しかし、兵士たちはしつこく追跡を続けてきた。


「これじゃ捕まるのも時間の問題だ!」


 ヒッキーが息を切らしながら呟く。


「絶対に証拠を持ち帰るのよ!」


 レイラも気丈に答えるが、二人は細い路地で追い詰められてしまった。


「これで終わりだな」


 反乱軍の一人が剣を抜き、冷笑を浮かべる。


 その時、一人の物乞いがふらりと路地に現れた。

 ボロ布をまとい、杖のようなものを手にしている。


「何だ、ただの物乞いか!」


 反乱軍が笑い飛ばそうとした次の瞬間、その物乞いの手に鋭い剣が現れた。


 剣が閃き、反乱軍の兵士たちは次々と倒れていく。

 驚きと恐怖の中、残った兵士は逃げ出していった。


 物乞いは剣を収めると、そのまま路地を去ろうとした。

 しかし、レイラが鋭い声で呼び止める。


「待ちなさい!」


物乞いは足を止めた。


「まずは礼を言わせてもらうわ」


 レイラは続ける。


「その太刀筋はソラリア士官学校のものね。あなた、何者なの!」


 物乞いは足を止め、ゆっくりとフードを下ろした。

 そこに現れたのは見覚えのある顔だった。


「レイラ、私だよ」

「セリアン様!」


 レイラは驚きの声を上げる。


 セリアンは苦笑しながら指を唇に当てた。


「静かに。これは国王には秘密だ。私が君たちを見守っていたことがバレたら、また別の密命を言いつけられるかもしれないからね」

「セリアン様、どうしてここに?」


 レイラが問いかけると、セリアンは小さく笑った。


「アストレア王国のためさ。それ以外に理由はないよ。さ、気をつけて帰りなさい」


 そう言うと、セリアンは再びフードを被り、路地を歩き去っていった。


「相変わらず、あの人はカッコいいな」


 ヒッキーが呟くと、レイラは笑みを浮かべた。


「セリアンに助けられたこと、父上には内緒よ」


 ヒッキーは肩をすくめ、しっかりと証拠の入った袋を握りしめた。


「早くソラリアに戻って、この証拠をサリオス王に渡そう。これで少しは俺たちの評価も上がるかもな」


 二人は連れ立って町を出ていく。

 その背後では、まだ危険が潜んでいるかのようにグレイザムの影が彼らを見送っていた。



 サリオス王は、ヒッキーとレイラから差し出された証拠書類を食い入るように見つめていた。

 重厚な玉座に腰掛けた王の表情は険しく、静かな緊張が謁見の間を包む。


「決定的だな」


 王は書類をテーブルに置き、深い溜息をつく。


「よくぞこれを持ち帰った!」


 その言葉に、ヒッキーとレイラはほっとした表情を見せた。


「グレイザムに反乱軍が潜伏していたとは……。即刻、軍を派遣し、この陰謀を食い止めねばならない」


 サリオス王は侍従に命じ、討伐軍を編成するよう指示を出した。

 その後、改めて二人に向き直る。


「君たちの働きに感謝する。この密命が果たされたことで、アストレア王国は危機を回避することができる」


 ヒッキーは照れ臭そうに頭を掻きながら答えた。


「まあ、レイラがいなきゃ俺だけでは無理でしたよ」


 レイラは小さく笑い、肩を竦めた。


「まあまあ、半分はヒッキーの功績ってことにしておきましょう」



 翌日、レイラは父であるサリオス王に直談判をした。


「父上、密命を果たし、アストレア王国の危機はひとまず回避されました。そこで……私はまた旅に出たいのです」


 サリオス王は眉を寄せたが、特に驚いた様子はなかった。


「旅に? 今度は何を求めるのだ、レイラ」


「自由です。そして、新たな出会いと経験を得たいのです」


 レイラの言葉は真剣だった。


「もしアストレア王国が再び危機に見舞われるようなことがあれば、必ず戻って参ります」


 サリオス王は短く息を吐き、玉座から立ち上がった。


「お前にはあれこれ指図しても無駄なようだな」


 レイラは父の言葉を聞いて微かに微笑んだ。


「ありがとうございます、父上」

「気をつけて行きなさい」


 サリオス王は目を細めて娘を見つめた。


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