第16話 村を発つ
ヒッキーが元の世界に戻らないことを選んだ翌朝、レイラはヒッキーに語った。
「私、実は故郷に婚約者がいるのよ」
ヒッキーは驚いて問い返す。
「そんな重要なことを今さら言うか?」
「だって、私にとってはどうでもいいことだから。父が決めた婚約だけど、私は自分の人生は自分で決めるつもり」
ヒッキーは少し安心するが、レイラは続ける。
「ただね……相手には自分の口でちゃんと伝えたいのよ。婚約を解消したいって」
「なるほど」
レイラは微笑む。
「ヒッキーもどうせ退屈してるでしょ? 一緒に来なさいよ、私の実家に」
こうして、ヒッキーはレイラの婚約解消を目的とした旅に出ることになった。
ヒッキーは村を発つ準備をしながら、荷物預かり所のことを考えていた。
これまで築いてきた信頼を無責任に放り出すわけにはいかない。
それに加えて、リュクスが命をかけて守った短剣「リフィオン」をアルディナ島に返すことも気にかかっていた。
その夜、荷物を取りに訪れたラフィアにヒッキーは、荷物預かり所と短剣について相談を持ちかけた。
「ラフィア、ちょっと頼みたいことがあるんだ」
ラフィアは少し驚いた顔で顔を上げた。
「何ですか、ヒッキーさん?」
「レイラの故郷に行く途中で、アルディナ島に寄ってリフィオンを返そうと思ってるんだ。だけど、その間、預かり所をどうするかが問題で……」
話を聞き終わる前にラフィアは答えた。
「その間は、私が預かり所を守ります。心配しないでください」
ヒッキーは驚きながらも感謝の気持ちでいっぱいになった。
「本当に? でも、そんな簡単な仕事じゃないんだけど。荷物の確認、受け渡し、トラブル対応、全部一人でやらなきゃならないんだ」
ラフィアは力強く頷きながら微笑んだ。
「分かっています。でも、村のために役立つならやってみます。それに、あなたの仕事ぶりを見てきたから、どんな責任があるのかも分かっています」
ヒッキーはその言葉に感動し、静かにラフィアを見つめながら言った。
「ありがとう、ラフィア。俺が戻るまで、頼むよ」
ふとラフィアの顔が曇る。
「ただ……お父様が何と言うか」
「確かに、ダリオンさんにはここへの出入りを禁じられたからなあ」
「出発まで何日かあるんでしょう? 父を説得してみます」
翌週、荷物預かり所でラフィアとクローネに最後の説明をしたヒッキーは、短剣を手に旅立つ準備を整えていた。
「一時的とはいえ、ラフィアがこの荷物預かり所を引き継ぐことをよくダリオンさんが認めてくれたな」
ヒッキーにとっては信じられない幸運だ。
「リュクスが亡くなってから私が落ち込んでいたものですから。荷物預かり所を手伝うことで少しでも元気を出すことができれば、と励ましてもらいました」
「良かった。これで思い残す事は何も無い」
ヒッキーは真直ぐ前を見て宣言した。
「まずはアルディナ島に行って短剣を返す。その後にアストレア王国だ」
まだ見ぬ島、そして異国……
ヒッキーの声には少し緊張が混じっていた。
ラフィアがしっかりと彼を見つめ、静かに言った。
「ヒッキーさん、安心して行ってきてください。荷物預かり所はちゃんと守っておきますから」
ヒッキーは振り返り、荷物預かり所の看板をじっと見つめた。
そして、静かに言葉を漏らした。
「俺にはまだまだ預かるべき荷物がたくさんある。そのためにも、この旅を無事に終わらせないとな」
レイラが隣で微笑む。
「じゃあ、行きましょう。冒険の続きが待ってるわよ」
こうして、ヒッキーとレイラは新たな旅の第一歩を踏み出した。
村の灯りが遠ざかる中、ヒッキーの胸には、短剣に込められたリュクスの想いと村人たちの信頼がしっかりと刻まれていた。
小さな船が波を切りながらアルディナ島へと進んでいた。
ヒッキーとレイラは甲板に座り、静かに海を眺めている。
ヒッキーがポツリと口を開く。
「海を見るのって、久しぶりだな。元の世界にいた時は、こんな風にのんびり眺めるなんて思いつかなかった」
レイラは少し驚いた表情でヒッキーを見つめる。
「意外ね。あんた、ずっと部屋にこもってたんでしょ?」
ヒッキーは苦笑する。
「そうだよ。でも、なんか変だろ? 部屋にいるくせに、外の景色が恋しいなんてさ」
レイラは小さく笑い、膝を抱えながら言う。
「分かる気がする。人って、手の届かないものを恋しがるもんだから」
ヒッキーは黙り込む。
海風が吹き抜け、2人の間に静寂が訪れる。
しばらくして、ヒッキーがつぶやいた。
「俺さ、少しは進歩したかな?」
レイラはその質問に即答せず、空を見上げて考え込むような顔をする。
やがて、彼女はヒッキーの方に向き直り、真っ直ぐな目で答えた。
「少なくとも、昔の自分に戻りたいとは思わなくなったんじゃない?」
ヒッキーはその言葉に目を見開き、考え込むように俯いた。
「たしかに……昔の自分には戻りたくないな。でも、前向きになったって実感がないんだよ」
レイラは小さくため息をつき、立ち上がると甲板の端で海を見下ろした。
「変わったっていうのは、自分で気づくものじゃない。周りの人が教えてくれるものよ」
ヒッキーが顔を上げると、レイラが振り返って彼を見つめていた。
「例えばさ。あんた、荷物預かり所でいろんな人を助けているけど、あれだって昔のあんたにはできなかったことでしょ?」
ヒッキーは少し照れたように笑い、手を振る。
「あれは……ただ家にいるのが得意なだけで」
レイラは小さく肩をすくめる。
「それでいいじゃない。得意なことで誰かを助けられるなら、それがあんたの強さなんだよ」
その時、遠くにアルディナ島が見えてきた。
険しい山々と緑が広がり、その向こうに島民たちが住む集落が見えた。
レイラがヒッキーに言う。
「さ、そろそろ準備して。島に着いたらまた冒険が待ってるわ」
ヒッキーは立ち上がり、海風を浴びながら島を見つめた。
「よし、行こう。まずはリフィオンを返さなくては!」
レイラはその言葉に微笑みながら頷いた。
アルディナ島に到着したヒッキーとレイラは、短剣「リフィオン」を島に返すべく村の中心地へ向かう。
しかし、誰に返すべきかの手がかりがつかめず、途方に暮れていた。
道端で畑仕事をしていた中年女性が目に留まり、ヒッキーは歩み寄った。
「すみません、ちょっとお尋ねしたいんですが」
女性は手を止め、顔を上げる。
「何でしょうか?」
ヒッキーは慎重に短剣を見せた。
「この短剣の返却先を探しているんですが、何かご存じですか?」
短剣を見るや否や、女性の表情が変わった。
顔色がサッと青ざめ、手が震えている。
「その短剣が……戻ってきたって。まさか、リュックに何かあったのですか?」
「リュック?」
レイラが怪訝な顔で聞き返す。
女性は短剣から目を離さずに続けた。
「リュック……リュクス・ヴァリオのことです。あの子がその短剣を持って行ったものですから」
ヒッキーは目を見開いた。
「リュクスのことを、リュックと呼んでいたんですね」
「ええ、島ではそう呼ばれていました。私の名前はローズ・ヴァリオ、あの子の母親です。あの子は中学を卒業するとすぐ、この短剣を持ち出して、島を出て行ったんです。一言の別れの言葉もなく……」
女性の声は次第に震え、言葉を詰まらせた。
ヒッキーはリフィオンを持つ手に力を込め、静かに言った。
「リュクスはルナリス村というところで回収人として働いていました。そして、猛勉強してヴァルディア大学に合格しました」
「あのヴァルディア大学に?」
女性の目に驚きの光が宿る。
「はい。それだけじゃありません。彼にはラフィアという、美しい恋人がいました。聡明な女性です。そしてリュクスは、村を襲った巨人から子供たちを守るために、リフィオンを手にして戦い……相討ちになって亡くなりました」
女性は目を閉じ、肩を震わせる。
そして、静かに短剣に手を伸ばし、それを胸に抱きしめた。
「リュック……」
ヒッキーは言葉を選びながら続けた。
「リュクスは本当に立派な奴でした。自分の命をかけて、人々を守ることを選んだのです」
女性は涙を流しながら、かすれた声で言った。
「立派じゃなくて良かったのに。落ちこぼれのリュックのままでも、ただ生きて帰ってきてほしかった……」
短剣を胸に抱きしめたまま、女性は崩れるように座り込み、号泣した。
「リュック……」
ヒッキーは目を伏せ、涙をこらえながら言った。
「リュクス、ちゃんとお前の帰りを待ってる人がいたんだな」
レイラは短剣を胸に抱きしめる母親を見つめながら、静かに言った。
「リュクスさんも、きっとお母さんのことを思っていたはずです。そして、この短剣に託された想いを、私たちも忘れません」
ヒッキーは隣で頷きながら、力強く続けた。
「俺も、リュクスが見せてくれた勇気と誇りを忘れない。それを次の誰かに繋いでいきます」
涙を流しながら母親は微かに頷き、短剣をそっと撫でながら呟いた。
「ありがとう、リュック……ありがとう、あなたたち」
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