第17話 アルトの試練
アルディナ島の中心にある村広場。
リフィオンが村の祠に奉納され、村人たちが静かに見守る中、島の長老トルヴァが厳かに言葉を発した。
「聖なる短剣リフィオンは、長き時を経て我らが島に戻った。この短剣の名誉のために命を懸けた者たちの想いを忘れることなく、1週間後にその魂を偲ぶ儀式を執り行う」
ヒッキーとレイラはその場に立ち会い、祠に供えられる短剣を見つめていた。
村人たちはリフィオンの戻りを喜ぶ一方で、リュクスを失った悲しみを思い起こして静かに頭を垂れた。
儀式までの1週間、ヒッキーとレイラは村に滞在することになった。
ある日の夕方、ヒッキーが村外れの道を歩いていると、遠くから大きな声が聞こえてきた。
「もっと力を入れろ、アルト。その程度じゃ話にならないぞ」
「うるさいな、分かってるよ!」
声のする方に目をやると、草原で木の棒を振り回す兄弟がいた。
1人は整った顔立ちで凛とした雰囲気を漂わせる若者。
もう1人は痩せて日焼けした少年で、気だるそうに棒を振り回している。
ヒッキーが近づくと、若者が声をかけてきた。
「あなたはルナリス村の方ですね。短剣を届けてくださったと聞いています」
「まあ、そんなところだ。君は?」
「カイラルです。この島で次期指導者候補とされています」
カイラルの落ち着いた態度に感心する一方で、隣の少年は棒を投げ捨てて不機嫌そうに言った。
「指導者候補なんて大げさだよ。どうせ俺みたいな出来損ないは相手にされないもんな」
「アルト!」
カイラルが眉をひそめた。
「言葉には気をつけろ」
アルトは面倒くさそうにヒッキーを一瞥した。
「おっさん、あんたも『努力しろ』とか『夢を持て』とか言う口か?」
ヒッキーは苦笑した。
「いや、俺も昔はお前みたいなもんだった。『働け』と言われるとイライラしてたな」
アルトの目が少し興味深そうにヒッキーを見た。
カイラルが軽く笑みを浮かべる。
「意外ですね。でも、今は立派に責任を果たしておられると聞きましたよ」
ヒッキーは肩をすくめた。
「まあ、やらなきゃならないことがあると、嫌でも成長するもんさ。君たちもいずれ分かる時が来るかもな」
ある日の夕暮れ、カイラルはヒッキーとレイラを島の高台に案内していた。
眼下には穏やかな波間と、ちらほらと灯りがともる村が広がっている。
「美しい景色ね」
レイラが感嘆の声を上げると、カイラルが微かに笑った。
「そうですね。でも、この景色を見るたびに、島の未来を背負う重さを感じるんです」
ヒッキーが少し驚いた表情で振り返った。
「島の未来を背負うって、まだ若いのにそんな事を考えてるのか?」
カイラルは苦笑いを浮かべながら肩をすくめた。
「この島では、優秀だと見なされた者が自然に次期指導者として期待されるんです。僕は特別なことをしたわけじゃない。ただ、周りがそう言うから、その役割を受け入れるしかない」
レイラが優しく問いかけた。
「辛いと思う?」
「正直なところ重荷です」
カイラルはため息をついた。
「リフィオンの儀式でも、島の人々は僕に完璧を求めている。でも、心の中では自分がその器じゃないんじゃないかと思うことがあります」
ヒッキーはしばらく無言でいたが、やがてぽつりと言った。
「俺も村で預かり所をやってみたら意外に楽しくなったんだ。何かを背負うってのは悪いことばかりじゃないさ」
カイラルはその言葉に目を見開き、少し考え込んだようだった。
別の日、ヒッキーは野山でアルトとばったり会った。
アルトは木に登って鳥の巣を探していたが、ヒッキーを見ると面倒くさそうに降りてきた。
「またおっさんか、今度は何だよ?」
「別に何も。ただ、散歩してただけだ」
アルトは腕を組んで睨むようにヒッキーを見上げた。
「どうせ俺に『真面目に勉強しろ』とか『リュクスさんみたいになれ』とか言いたいんだろ?」
ヒッキーは苦笑いしながら首を振った。
「いや、そんなことは言わないさ。俺だって勉強なんて嫌いだったからな」
アルトの表情が少しだけ和らぐ。
「本当かよ。でも、リュクスさんは立派だったんだろ。短剣を持って冒険して、ヴァルディア大学にも受かったんだって話じゃん」
ヒッキーは短剣「リフィオン」の話を思い出しながら答えた。
「確かにリュクスはすごかったが、普段は大した事なかったぞ」
アルトは黙り込み、足元の草をつまむようにしていたが、やがてぽつりと言った。
「……俺、弱いままの方が楽だし」
ヒッキーはしゃがみ込み、アルトの目線に合わせて言った。
「そう思ってた時期も、俺にはあった。でもな、弱いままでいるのが本当に楽なのか、やってみなきゃ分からないさ」
アルトはその言葉に戸惑いながらも、小さく頷いた。
その後、ヒッキーとレイラはカイラルやアルトと少しずつ親しくなり、儀式の準備を手伝うようになった。
カイラルはヒッキーと共に村の人々をまとめる一方で、アルトはレイラに促されて初めて村の集会に参加する。
「アルト、お前が集会に出るなんて珍しいな」
村の1人が言うと、アルトは照れ臭そうに頭を掻きながら答えた。
「別に、なんとなくだよ」
ヒッキーはその様子を見て微笑み、レイラと顔を見合わせた。
こうして、ヒッキーたちと島の若者たちとの交流は深まり、リュクスの短剣が結びつける新たな絆が形作られていった。
島の人々が一堂に会し、聖なる短剣「リフィオン」を祀る儀式が厳かに執り行われようとしていた。
雨が降り始めたのは前日からだったが、当日はさらに強まり、神殿の屋根を叩く激しい雨音が響いていた。
「この雨もまた、リフィオンの力を試すための試練なのだろう」
長老トルヴァがそう語り、島民たちに静寂を促した。
ヒッキーとレイラはカイラルとアルトと共に祭壇の近くで儀式を見守っていた。
カイラルは厳粛な面持ちで祈りを捧げていたが、アルトは明らかにそわそわしている。
「おい、アルト。もう少し神妙な顔をしろよ」
ヒッキーが小声で注意すると、アルトは口を尖らせた。
「だって、こんな雨の中で儀式なんて、正直言ってやってられないよ」
その言葉にヒッキーが返そうとした瞬間、空が激しく閃光に包まれ、雷鳴が轟いた。
雷が神殿を直撃したのだ。
「火事だ!」
誰かの叫び声と共に、神殿の屋根から火の手が上がり、瞬く間に周囲の木々に燃え広がった。
「避難するのじゃ!」
長老トルヴァが指示を出すが、炎の勢いは激しく、すぐに神殿周囲の民家にも火が移り始めた。
島の人々はパニックに陥りながら、雨と火の中を必死に逃げ惑っていた。
そんな中、現指導者である若者エリダンが冷静に状況を分析した。
「こうなったら、山の中腹にある溜池の堤を壊して、水の勢いで火を消すしかない!」
その言葉にカイラルが即座に名乗り出た。
「私が行きます。堤を止めている綱を切ればいいんですね!」
カイラルは迷わず山を駆け登り始めた。
雨と泥に足を取られながらも、必死に前へ進む彼の姿に、ヒッキーとレイラも心を動かされた。
溜池に辿り着いたカイラルは、綱を探し出して長剣を構えた。
流されないよう木の幹につかまりながら綱を切ろうとしたが、片手では力が入らない。
「くそっ……切れない」
その時、背後から声が飛んできた。
「俺にやらせてくれ!」
振り返ると、泥まみれのアルトが立っていた。
その手にはいつの間にか聖なる短剣「リフィオン」が握られている。
アルトは迷いなく言った。
「堤の下からだったら綱を切れるはずだ」
カイラルは目を見開き、彼を制止した。
「アルト、それを切ったらお前自身が巻き込まれるぞ!」
しかし、アルトは言い返す。
「俺がリフィオンを持っているんだ。他に誰がやるってんだよ」
そう言うと、アルトは溜池の下流に滑り降り、全力で短剣を振った。
1度、2度、そして……。
不意に「バキッ」と鈍い音とともにリフィオンが折れてしまった。
「えっ、嘘だろ……!」
折れた短剣を見つめ、顔面蒼白になるアルト。
「これ、聖なる短剣じゃないのか? 聖なる部分、どこいっちゃったんだよ!」
その一言にカイラルも苦笑いしながら返す。
「それ言っちゃダメだろ……でも、大切な短剣を折っちまうところなんか、お前らしいな」
後ろで見守っていたカイラルが長剣を手に前に出た。
「こうなったら俺が下から綱を切る。アルト、お前はここを離れろ!」
「いや、俺も手伝う」
「お前まで巻き込まれることはない」
「俺にだってできることがある!」
「折れた短剣を持ったお前を見ていたら……笑えて力が入らん」
アルトは悔しそうにその場を離れたが、その眼にはカイラルへの期待と不安が入り混じっていた。
カイラルは堤の下へ降り、激流に足を取られながらも長剣を何度も綱に振り下ろした。
「これで終わりだ!」
最後の一撃で綱が切れた瞬間、堤が崩壊し、溜められていた大量の水が一気に流れ出した。
勢いよく流れる水が火を飲み込み、森を包む炎を鎮めていく。
しかし、それと同時にカイラルも激流に呑まれ、姿が消えた。
事態がようやく落ち着き、村人たちは手分けして周囲を捜索し始めた。
カイラルが水流に呑まれてから、すでにかなりの時間が経過している。
火事の後始末に追われる村人たちも、捜索隊の人々も次第に疲れを見せていた。
ヒッキーは、辺りを見渡しながら不安そうに呟いた。
「くそっ、どこに行ったんだ……無事でいてくれ」
レイラも険しい顔で、森の中を歩き回っていた。
「絶対に見つけるわよ」
しかし、捜索が進むにつれて、希望は次第に薄れていった。
どの川岸にもカイラルの姿はなく、流された跡すら見つけられない。
「もう少し探してダメなら……」
村人の1人がぽつりと呟いた。
その言葉にヒッキーは悔しそうに拳を握りしめた。
「まだだ……諦めるのは早い」
その時だった。
「おーい!」
遠くからかすかに声が聞こえた。
全員がその方向を振り向くと、泥だらけのカイラルが川辺の草むらからよろよろと姿を現した。
ヒッキは泣き笑いの顔で思わず叫んだ。
「おお、カイラル! お前、死んだんじゃなかったのか?」
「ひどいなあ、ちゃんと生きてますよ」
泥と水でずぶ濡れになりながらも、カイラルの笑顔だけは輝いていた。
「無事でよかった!」
アルトは涙を浮かべながらカイラルに駆け寄った。
カイラルはアルトの肩をポンと叩き、微笑む。
「お前もよく頑張ったな。リフィオンが折れても、俺たちの心は折れなかったぞ」
こうして、アルディナ島の人々は改めて勇気と団結の力を知り、カイラルとアルトの名前は島の英雄として語り継がれることとなった。
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