第12話 巨人との戦い

 その日、村は穏やかな午後を迎えていた。

 ヒッキーとラフィアは広場の一角で、休暇中のリュクスに首都エレシアでの学生生活の話を聞かせてもらっていた。

 突然、遠くからの叫び声が村中に響き渡る。


「助けてくれ! 巨人が……巨人がやって来た!」


 ヒッキーたちは顔を見合わせ、広場の外へ駆け出した。


「巨人? 一体なんのことだ」


 ヒッキーが息を切らせながら聞くと、通りがかった村人が恐怖に顔を引きつらせて答えた。


「隣村で閉じ込められていたあの巨人が逃げ出したらしい! 身長2メートルを超える化け物だ!」


 さらに村人は続けた。


「手には長剣を持っていて、切りつけられたらひとたまりもない。何人かが立ち向かったが、あっという間にやられてしまった!」


 ヒッキーたちが村の中心に着くと、そこには惨状さんじょうが広がっていた。

 巨人は片手で長剣を軽々と振り回し、周囲の建物を破壊しながら暴れていた。

 地面には倒れた村人たちが横たわっており、巨人はその向こうにいる子供たちへとじりじり近づいていた。


「あれが巨人か……」


 リュクスが息を飲む。

 ヒッキーはこぶしを握りしめ、立ち尽くした。


「どうする? 俺たちじゃあいつに太刀打ちできないだろ」


 そのとき、巨人が鋭い声で叫び、長剣を振り上げた。

 標的は、逃げ遅れた1人の子供だった。


「俺に任せておけ、秘策がある」


 リュクスが咄嗟とっさに走り出し、巨人に向かって叫ぶ。


「この野郎、かかって来い。こっちにはなあ、穀潰ごくつぶしのヒッキーさまがいるんだ!」


 ヒッキーは驚愕した。


「一体、何を言い出すんだ!」


 そしてリュクスはヒッキーを振り返って怒鳴る。


「おいニート、ちったあ働け!」


 かつてヒッキーを覚醒かくせいさせ、熊をも倒した魔法の言葉だ。


 この言葉を聞いたヒッキーは目つきが変わり、肩をふるわせ始め……なかった。

 リュクスの罵声ばせいは何の効果も及ぼさなかったのだ。


「何やってんだよ、ニート!」

「それ言われても何とも思わなくなっちまったよ、俺」

「ヒッキー、お前ひょっとして?」


 あての外れたリュクスは愕然がくぜんとする。


「俺、もうニートじゃないのかもな」


 巨人は完全にリュクスに狙いを定めていた。


「駄目じゃん、それ!」


 泣きそうな目でヒッキーを見つめていたリュクスは巨人を振り返る。


 やがて……その顔は何かを決意した表情に変わった。


「どうやら俺が何とかするしかないみたいだな」


 リュクスの口元が引き締まる。


「ヒッキー、ラフィア。子供たちを逃がしてくれ」


 巨人から視線を外さずにそう言うと、リュクスは腰の短剣をスッと抜いた。

 島に伝わる伝説の短剣、リフィオンだ。

 リュクスは低い声で自らに気合を入れる。


「さ、来いっ!」 


 巨人はうなり声を上げ、長剣をリュクスめがけて振り下ろす。

 リュクスは長剣を持つ巨人の懐に入ろうとした。

 しかし、巨人の動きは予想以上に速い。

 長剣の一振りでリュクスは吹き飛ばされた。


「ぐっ!」


 地面に転がりながらも、リュクスは必死に立ち上がる。


 巨人は咆哮ほうこうを上げながら、長剣を振り上げてリュクスに突進してきた。

 その巨大な体躯たいくが迫るたび、地面が揺れ、周囲の空気が震える。


「この一撃で仕留めてやる!」


 リュクスは短剣「リフィオン」を強く握りしめ、巨人の動きを見極める。

 巨人が振り下ろした長剣がリュクスの頭上に迫ってきた。


 リュクスは瞬時に身を低くし、巨人の腹部を狙って短剣を突き出す。


「どうだ!」


 短剣が巨人の体に深々と突き刺さる。

 その瞬間、巨人は激しい痛みに苦しみながらも、最後の力を振り絞り、長剣を横にぎ払った。


 リュクスの体が巨人の一撃を受け、吹き飛ばされる。


「うぐっ!」


 大きな衝撃音とともに、リュクスは地面に叩きつけられた。

 短剣は巨人の体に深く刺さったままだったが、リュクスも動かない。


 巨人はよろめきながら後退し、長剣を地面に落とすと、力尽きたようにその場に倒れ込んだ。

 その巨体が地面を揺るがし、静寂が広がる。



「リュクスさん!」


 ラフィアが叫びながらリュクスのもとへ駆け寄った。

 彼の体は傷だらけで、地面にはみるみる血溜まりができていく。


「リュクスさん、しっかりして!」


 ラフィアは震える手でリュクスの肩を揺さぶるが、彼は薄く目を開けただけだった。


「皆……無事か?」


 ヒッキーも駆け寄り、リュクスを支えながら言った。


「お前、よくやったよ。子供たちはみんな無事だ」


 リュクスはかすかに笑い、弱々しい声で答えた。


「……なら、いい……」


 ラフィアは涙を流しながら叫んだ。


「リュクス、死んじゃ駄目よ、目を開けて!」


 リュクスはラフィアの顔をじっと見つめ、かすれた声で言った。


「お前に相応ふさわしい男に……なりたかったよ」


 ラフィアは声を震わせながら答えた。


「あなた……そんなこと言わないで。もう十分よ!」


 リュクスはわずかにうなずき、目を閉じた。

 最後に一筋の笑みを浮かべたまま、その体から力が抜けていった。


 巨人も完全に動きを止めている。

 短剣「リフィオン」がその体に刺さったまま光を放っていた。

 ヒッキーは短剣を引き抜き、それをしっかりと握りしめた。


「リュクス、お前は本当に最後まで立派な奴だったな」


 ヒッキーの言葉にラフィアは泣き崩れる。


 村人たちが恐る恐る近づき、事態の収束を確認すると、リュクスの亡骸なきがらを運び始める。

 短剣「リフィオン」はヒッキーの手の中で重い輝きを放っていた。



 リュクスの葬儀は村全体でおこなわれた。

 彼の勇敢な行動を称え、多くの村人が涙ながらに彼をしのぶ。

 しかし、葬儀が終わると、ヒッキーの心には深い虚無感が広がった。


 荷物預かり所に戻ったヒッキーは、帳簿を開いてみたが、ペンを持つ手が震えて字を書くことができなかった。

 机の上にはリュクスの形見ともいえる短剣「リフィオン」が置かれている。

 その輝きが、彼の胸をさらに締めつけた。


 荷物を預かる仕事は相変わらずだった。

 村人たちは「いつもありがとう」と言いながら荷物を持ってきたが、ヒッキーは心ここにあらずの状態だった。


「リュクスがいたら、もっと楽しい仕事になっただろうな……」


 独り言のように呟きながら、彼は荷物を運び、帳簿に記録をつけた。


 ある夜、ヒッキーは仕事を終えた後、焚き火を囲んで一人で過ごしていた。

 火の揺らめきの中、リュクスと過ごした日々が頭をよぎる。

 大学受験の道中、村での軽口の言い合い、そして巨人との戦い。


「お前は本当に立派だったよ、リュクス」


 ヒッキーは炎をじっと見つめながら、手元の短剣に目を落とす。


 ふと、火の中にリュクスの笑顔が浮かんだような気がした。


「しっかりしろよ、ヒッキー。俺がいなくたって、やれるだろ?」


 その幻影に驚きながらも、ヒッキーは微笑んだ。


「そうだな。でも簡単には割り切れねえよ」



 ある日、ヒッキーはリュクスの墓に花を手向けに行った。

 そこにはラフィアもいた。

 彼女はそっと手を合わせ、静かに祈っていた。


「ラフィア……」


 ヒッキーが声をかけると、彼女は驚いて振り向いた。


「ヒッキーさんも来てくれたんですね!」


 2人は墓の前でしばらく黙っていたが、ヒッキーが口を開いた。


「あいつ、すげえ奴だったな」

「ええ、本当に……。私、リュクスさんがいなかったら、子供たちを逃がすのを諦めていたかもしれません」


 ラフィアは目を伏せて続けた。


「でも、彼ののこしたものを無駄にしたくないんです。リュクスさんは、私たちに最後まで諦めない勇気を教えてくれました」


 ヒッキーは短剣を取り出し、それを見つめながらつぶやいた。


「俺も、リュクスのことを忘れない。あいつが見せてくれた勇気を、俺も……持ちたい」



 リュクスの死から数週間が経ったある日。


 ヒッキーは短剣を腰に差し、気分転換に村外れの小道を歩いていた。

 空は曇りがちで、湿った風が肌を撫でる。


 ふと、背後から元気な声が響いた。


「そこのヒッキー!」


 振り返ると、そこには見知らぬ女性が立っていた。

 肩までの髪をなびかせ、どこか挑戦的な笑みを浮かべている。


「……誰だよ、あんた」


 ヒッキーが驚いて訊くと、女性は自信満々に言った。


「私はレイラ。ただの旅人よ」


 ヒッキーは眉をひそめた。


「ただの旅人が、なんで俺の名前を知ってるんだ?」

「そりゃあ、村中の噂だからね。荷物を預かる変わり者がいるってさ」


 彼女のあっけらかんとした態度に、ヒッキーは少し呆れつつも興味を引かれた。


「で、俺に何の用だ?」


 女性は胸を張り、堂々と言った。


「ちょっとした旅の用事があってね。その途中で、あんたに会っておこうと思ったの」

「なんでわざわざ?」


 ヒッキーが首を傾げると、レイラは笑みを浮かべながら言った。


「それは……まだ教えられないわ。とりあえず村を案内してもらえる?」


 彼女の言動にはどこか堂々とした自信があり、ヒッキーとは対照的だった。


「まあいいか、これも何かの縁だな」


 ヒッキーはそう言いながら村の方へ足を向けた。


 レイラは足取り軽く、まるでこの土地を知り尽くしているかのように小道を進む。

 ヒッキーは彼女の後ろ姿を見つめながら、自分でも気づかぬうちに心が少しずつ軽くなっているのを感じた。

 


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