第13話 ヒッキーの過去

 その後、ヒッキーとレイラは自然と話をするようになった。


 彼女は旅の行く先々で色々な経験をしたことなどを語った。

 ヒッキーもまた、自分の荷物預かりとしての仕事や村での出来事を語るようになった。 



 ある日、レイラはぽつりと口を開いた。


「ねえ、ヒッキー。あんたを元の世界に戻すことだって、私にはできるんだよ」


 ヒッキーは驚いて彼女を見つめた。


「……どういうことだよ?」

「まあ、特殊な能力みたいなもんさ。それ以外の特殊能力は何もないけどね」


 レイラは軽く肩をすくめた。

 その態度は、特別な力を持つ者にありがちな威圧感とは無縁だった。


「戻れるのか……元の世界に」


 ヒッキーはその言葉を噛みしめるように繰り返したが、それ以上のことは聴かなかった。


 レイラは、ヒッキーのことを「ヒッキー」と呼び捨てにし、タメ口で話す。

 その率直さが、ヒッキーにとっては新鮮だった。



 ある夜、ヒッキーはふと口を開いた。


「なあ、レイラ。俺、今まで誰にも話したことがないことがあるんだ」

「おお、それは楽しみだね」


 レイラは焚き火を見つめながら軽い調子で答えた。


 ヒッキーは深呼吸をし、語り始めた。


「俺、高校の時、文武両道の進学校に通ってたんだ。勉強もスポーツも得意で、それなりに充実してた。……あの時までは」


 ヒッキーはゆっくりと言葉を続けた。


「全国高校生文芸大会ってのがあってさ、俺、そこに小説を応募したんだよ。自分では結構自信作だったんだけど……出した作品が、なぜか親友の名前になっていたんだ」


 レイラは眉をひそめ、黙って聞いている。


「直人っていう奴なんだけど。そいつ、銅賞を取ったんだよ、俺の作品でな。抗議したけど『お前が書いたって証拠がどこにあるんだ』って言われてさ。それで終わりだった」


 ヒッキーの声には悔しさが滲んでいた。


「後で分かったんだ。直人は俺の原稿を預かった時に自分の名前に書き替えて応募してたんだよ」


 レイラは静かに呟いた。


「ひどい話だね」


 ヒッキーは小さく笑った。


「だろ? でも、直人に裏切られたって分かった瞬間、俺の中で何かが壊れたんだ。それ以来、人を信じられなくなって高校を卒業してからはずっとニートさ」


 ヒッキーはさらに、クラリスやティナ、ラフィアとのことも語った。


「ゼダールやリュクスとの勝負に負けたのも悔しかったけど、それ以上に、俺は人間としても『参った!』と言うしかなかったんだ」

「どういう事?」

「連中は皆、堂々として立派な奴だった」

「そうなの?」

「毎回毎回、俺はどうしようもない敗北感を味わったんだ」


 レイラは焚き火をじっと見つめたまま、ぽつりと呟いた。


「それ、今初めて話したの?」

「ああ。お前だから話せたのかもな」

「へえ、光栄だね」


 レイラはそう言って軽く笑った。

 その笑顔は、どこか不思議な安心感を与えるものだった。


 ヒッキーがこれまでの過去を語り終えると、夜風だけが静かに吹き抜けた。

 レイラはじっとヒッキーを見つめ、何も言わずにその場に座っていた。


「……何か言えよ」


 ヒッキーが少し苛立いらだったように声を上げると、レイラはゆっくりと首を振った。


「いや、別に。あんたの話が長すぎて、どこから突っ込めばいいか迷ってただけ」

「お前なあ!」


 レイラは軽く笑いながら手を振った。


「冗談だよ。でもさ、ヒッキー」


 彼女の表情がふと真剣なものに変わる。

 その瞳はどこまでも冷静で、迷いがない。


「で、あんたこれからどうするつもりなの?」


 その言葉に、ヒッキーは思わず言葉に詰まった。


「それを言いたくて話したわけじゃない」

「分かってるよ。ただ聞いてほしかったんだろ?」


 ヒッキーは何も言えなくなる。

 レイラは少し息をついて、視線を空に向けた。


「その直人とやらに裏切られて壊れました。だから何よ? 貰うはずだった賞状って、所詮は紙切れ1枚でしょ」

「ひどい言い方だな。俺にとっては本当に大切な……」

「それ、リュクスに言えるの?」


 思わぬ名前にヒッキーはハッとした。


「賞状をとられたからっていつまでもメソメソしている奴のためにリュクスは命を落としたわけ?」

「……」

「その腰の短剣に相応しい人間なの? あんたは!」


 ヒッキーはぐうの音も出なかった。


 短剣1つで巨人に立ち向かったリュクスに比べて、何年も前の賞状1枚にこだわっている自分がどれだけ情けない人間か、ようやく気づかされた。


 レイラは立ち上がり、ヒッキーを見下ろしてニヤリと笑った。


「だからさ、ヒッキー。過去にこだわるのもいいけど、どうせなら『これから何をするか』にも少しは目を向けてみたら?」


 ヒッキーは小さく息をつきながら答えた。


「お前、本当に何者なんだよ……」


 レイラは軽く手を振りながら歩き出した。


「ただの旅人だってば。まあ、ちょっとだけあんたに興味があるだけ」


 彼女の後ろ姿を見つめながら、ヒッキーは初めて自分の心の中に、過去の傷とは違う感情が生まれるのを感じていた。



 村に滞在している旅人のレイラは、宿屋から買い物に出かけていた。


「えっと……これとこれをください。」


 村の通りは夕暮れの柔らかな光に包まれ、人々が家路を急いでいた。

 買い物袋を手にしたレイラが、宿屋へ戻る道を歩いていると、遠くからヒッキーの声が聞こえた。


「おーい、レイラ!」


 振り返ると、ヒッキーが手を振りながら歩いてくる。

 その隣には、村の長老エルドルフが杖をついてゆっくりと歩いていた。


「ちょうど良かった、紹介するよ。この人はエルドルフさん、村の長老だ」

「ほほう、こちらが噂の旅人さんか。私はエルドルフ。村の知恵袋として役に立とうと日々奮闘しておる」


 レイラは微笑みながら一礼した。


「この村に滞在しているレイラです。よろしくお願いします」


 エルドルフは目を細めて彼女をじっくりと観察し、ふと彼女の服の胸元にある小さな飾りに気づいた。


「むむっ、その飾り……ちょっと見せてくれるかな?」


 レイラは戸惑いながらも、胸元の金属の装飾品を取り外して手渡した。


 エルドルフはそれをじっくり眺め、驚いた表情を浮かべる。


「これは……アストレア王国の紋章じゃないか」

「アストレア王国?」


 ヒッキーは思わず声を上げた。 


 エルドルフは真剣な表情で頷く。


「うむ、間違いない。この紋章はアストレア王国のものだ。かなりの身分の者しか身につけることを許されないものだぞ」


 ヒッキーはレイラを振り返り、驚きの目を向ける。


「レイラ、お前はアストレア王国とやらの人間なのか?」


 レイラは微笑みながら肩をすくめた。


「まあ、そんなところよ。詳しいことは……そのうち話すわ」


 エルドルフはじっとレイラを見つめながら言った。


「旅人とはいえ、ただ者ではないようだな。もし助けが必要なら、この村の者たちが力になろう」


 レイラはその言葉に小さく頷き、飾りを受け取って再び胸元に戻した。


「ありがとう、エルドルフさん。そうなった時には頼りにさせてもらいます」



 平和なルナリス村だが、時に自然災害に襲われることがある。

 今回は、それが水害だった。

 何日にも渡って降り続ける雨に川の水は徐々に増えていった。

 そして、ついに危機がやってくる。


 村に警鐘が鳴り響き、人々の悲鳴が響き渡った。

 上流にあるダムが大雨で決壊しかけているという知らせが届いたのだ。

 ヒッキーは村の中央に駆けつけ、エルドルフやクローネたちと状況を確認する。


「どうしたらいいんですか……」

「ダムが壊れたら、村は水に飲まれるのでは?」


 その時、エルドルフがどこか決意に満ちた顔で口を開いた。


「古代の制御装置を起動するしかあるまい」


 レイラが驚いた顔で言う。


「そんなもの、本当に動くのですか?」


 エルドルフは頷きながら答えた。


「言い伝えによれば、このダムは非常時に水流を調整する仕組みがある。でも、それを起動するには上流の制御室まで行かないといけないんじゃ」


 その言葉にレイラが即座に答えた。


「その制御装置とやらを起動すればいいのね」


 ヒッキーはレイラの言葉に顔をしかめた。


「ちょっと待てよ。上流まで行く道なんて、もう川になってるぞ!」

「だから何よ」


 レイラは軽く肩をすくめて続けた。


「誰かが行かなきゃ、村は全滅でしょ」

「お前、正気か」

「他に方法があるの?」


 レイラの真っ直ぐな目を見て、ヒッキーは大きく息を吐いた。

 そして肩の荷物を下ろしながら言う。


「分かったよ。俺も行く。お前を1人で死なせるもんか」


 レイラは少し驚いたような顔をしたが、すぐに微笑んで言った。


「いいね、その覚悟」



 2人は豪雨の中、道なき道を進んでいった。

 足元の土がぬかるみ、水流に流されそうになるたびにお互いを支え合う。


「ヒッキー、ここ滑るよ!」

「分かってる!」


 何とか制御室にたどり着いた頃には、全身泥まみれだった。


 制御室の壁には、ところどころ剥がれ落ちた古代言語が刻まれていた。

 おそらく制御装置の起動方法が記されたものだろう。


 ヒッキーとレイラが慎重にその内容を読み取る。


「このレバーを引いて、その後にあのアームを固定する……らしいわ」

「らしいってなんだよ!」

「だって、欠けてるところが多すぎるのよ」


 2人は試行錯誤しながら指示通りに作業を進めた。

 そしてついに装置が動き始める。


「動いた!」


 だが、その時、アームを支える綱が切れる音が響いた。


「まずい!」


 巨大なアームが崩れ落ちそうになり、制御装置が停止する。

 レイラは咄嗟にアームを掴み、全力で引っ張り上げようとした。


「レイラ、無理だって」

「あんたも手伝ってよ!」


 ヒッキーも加勢し、2人でアームを引き上げようとした。

 が、力が足りず、ずるずると谷底に引き込まれそうになる。


 その時、ヒッキーの足元が崩れた。

 踏ん張ろうにも足がかりがなくてはどうにもならない。


 次の瞬間、身体がフワッと軽くなった。

 2人とも濁流に向かって落下し始めたのだ。



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