第11話 リュクスの短剣

 その夜、ラフィアの実家でリュクスの合格を祝いながらの会話が始まった。

 ラフィアの父、ダリオンが微笑みながらリュックスを見つめる。


「君は島の出身らしいな」


 その言葉にリュックの表情が一瞬固まる。

 だが、すぐに背筋を伸ばして答えた。


「いかにも、私はアルディナ島の出身です」


 ダリオンは頷きながら静かに語り始めた。


「端的に言おう。この国ではアルディナ島の出身者には目に見えない差別がある。教育を受ける機会すら与えられない者も多い。だが、君は自分の力で未来への扉を開けた。島の出身であろうとなかろうと、それは立派な事だ」


 リュックは頭を下げた。


「ありがとうございます。それで……もし良かったら、私にラフィアさんとの交際を認めていただけないでしょうか」


 その瞬間、ラフィアが席を立ち、大声で叫んだ。


「駄目よ、お父様!」


 ヒッキーも負けじと声を上げる。


「俺は落ちたといっても、たった3点差ですよ! 俺にもある程度の学力があることが証明できたのではないですか?」


 だが、ダリオンは首を振った。


「約束は約束だ。ヒッキー君と娘との交際は認められない」


 ヒッキーは食い下がる。


「来年に受かったら?」


 ダリオンは考える素振りも見せずに答えた。


「もしリュクス君がいなければ、それもありだろう。でも彼がラフィアとの交際を希望し、しかもヴァルディア大学にも受かっている以上、それは駄目だな」


 ラフィアは涙ぐみながら叫ぶ。


「お父様、私は嫌よ!」


 リュクスが深呼吸して静かに口を開いた。


「なら私は、4年間の大学生活でラフィアさんに相応ふさわしい人間になってみせます。彼女に交際を申し込むのは、それからでも遅くはないのでは?」


 ダリオンはしばし考え込み、やがて頷いた。


「いいだろう。だが、ヒッキー君。君は負けた以上、これからラフィアの家やこの家に出入りすることは許さない。ラフィアも君の部屋には行かない。それが約束だ」


 ヒッキーは悔しそうに拳を握りしめたが、やがて肩を落として頷いた。


「分かりました。約束は約束です」



 ダリオンからラフィアとの交際を認められたリュクス。

 彼の腰には、美しい彫刻が施された短剣「リフィオン」がたずさえられていた。

 その短剣に目を留めたダリオンが興味深そうに尋ねた。


「さっきから気になっておったのだが、その短剣は?」


 リュクスは一瞬だけ短剣に目を落とし、答えた。


「父の形見です。俺の島では『リフィオン』と呼ばれています」


 ダリオンはうなり声を上げるように感嘆した。


「おお……見事な作りだ。大切に持っておるんだな」

「ええ」


リュクスは短剣の柄をそっと撫でた。


「でもこれはただの装飾品じゃありません。『島の男がこの短剣を抜いた時には、どんな困難からも逃げてはならない』と、そう言いきかせられて育ちました」


 ダリオンはその言葉に何かを感じたのか、それ以上は何も言わなかった。



 部屋を出て行こうとするヒッキーをリュクスが呼び止めた。


「待て、ヒッキー」


 振り返るヒッキーに、リュクスがにやりと笑いながら言った。


「中学しか出てない俺がどうしてヴァルディア大学に受かったか知りたくないか?」


 ヒッキーは苛立ちながら答える。


「なんだよ、それ」


 リュクスは胸を張って言った。


「1日30時間勉強したからに決まってんじゃん! 俺の人生でこんなチャンス二度とないと思ったら、無限のエネルギーが湧いてきたんだよ」


 ダリオンが感心したように頷いた。


「そういう男こそ娘に相応しいな」


 ヒッキーは悔しそうに呟く。


「くそっ」


 リュックはさらに畳みかけるように言った。


「それから、もう一つ忠告してやるよ。お前、俺に負けたからって勉強をやめるんじゃないぞ」


 ヒッキーは驚いてリュックを見る。


「勉強ってのは損得でやるもんじゃない。楽しんでやるもんだよ。だから、これからも続けろ」



 数日後、リュクスは首都エレシアに向けて出発の準備を始めた。

 ダリオンの支援で大学の諸費用を賄いながら、新たな生活への期待を胸に抱いている。


 ヒッキーは悔しさと希望を抱きながら、再び自分の道を模索し始めるのだった。



 数ヶ月後……。


 ヒッキーは荷物預かり所の窓辺で、預かった荷物をぼんやり眺めていた。

 夜風が薄いカーテンを揺らし、静かな室内にわずかな涼しさを運んでくる。

 そんな中、扉をノックする音が響いた。


「おい、ヒッキー! いるんだろ?」


 どこか焦りを帯びた声が聞こえた。


 ヒッキーは椅子を引き、ゆっくりと扉を開けた。

 そこに立っていたのはリュクスだった。


「なんだよ、こんな時間に。珍しいじゃないか」

「話があるんだ。ちょっと、聞いてくれ」

「寮生活が始まって忙しいんじゃなかったのか?」

「まあな。でも、お前に話さなきゃならないことがある」


 リュクスはヒッキーに勧められるまま椅子に腰を下ろし、手元で銀貨を弄ぶヒッキーをじっと見つめた。


「ラフィアのことなんだが……」


 ヒッキーの手が止まる。


「どうした? 順調なんだろ、交際の許可も出て」

「そうだよ、許可は出た。でも、なんていうか……ラフィアが本当に俺を見てくれている気がしないんだ」


 ヒッキーは眉をひそめる。


「それってどういうことだよ?」


 リュクスは目を伏せ、苦笑いを浮かべた。


「ラフィアはいつも笑顔で接してくれるんだ。でもさ、その笑顔の裏に別の誰かを見てるんじゃないかって、どうしても思っちまうんだよ」


 ヒッキーは言葉を失った。

 リュクスは続ける。


「俺、ラフィアが好きだよ。本気で好きだ。でも、あいつの中にはお前がいるんじゃないかって、不安になる」


 ヒッキーはリュクスの話を静かに聞きながら、少し間をおいて口を開いた。


「お前がそう思うのも無理はないかもしれないな。ラフィアは、たしかにあんまり感情を表に出すタイプじゃないし」


 リュクスは苦笑いを浮かべた。


「だろ? あいつ、俺がどんな話をしても、笑うには笑うけど、それ以上何も言わないんだ。何考えてるのか、全然分かんねえ」


 ヒッキーは少し考え込むように眉を寄せたが、ふと顔を上げた。


「でもさ、この前ラフィアが言ってたよ。お前が大学でどれだけ頑張ってるかって」


 リュクスの表情が驚きに変わる。


「え? 俺のことを?」

「ああ。『リュクスさんは本当に一生懸命で、少しずつ変わってきてる』ってな。なんていうか、ちょっと誇らしげな顔してたぜ」


 リュクスはしばらく沈黙していたが、やがて少し照れくさそうに口を開いた。


「それ、本当にラフィアが言ったのか?」

「俺が嘘ついてどうする」


 リュクスは少しだけ笑い、天井を見上げた。


「そっか……。たしかに、この前ラフィアが俺に『くれぐれも体に気をつけてくださいね』って言ってくれたんだ。それが妙にあったかくてさ」


 ヒッキーは肩をすくめる。


「それって、お前に心を開いてきてる証拠だろ」


 リュクスは少し考え込むようにして頷いた。


「そうだな……。焦りすぎてたのかもしれねえ。でも、俺に時間をくれるってことは、可能性がゼロじゃないってことだよな」


 ヒッキーはニヤリと笑った。


「その通りだよ、リュクスさん」

「なんだよ、その呼び方」

「いや、お前もそろそろ威厳のある呼び方が似合う男になってきたかなと思ってさ」


 リュクスは笑いながらヒッキーの肩を軽く小突き、椅子から立ち上がった。


「ありがとな、ヒッキー。お前の言葉で少しだけ元気が出たわ」


 扉の方に向かうリュクスの背中を見送りながら、ヒッキーはそっと呟いた。


「ラフィアが本当に笑える日が来るといいな。それも、リュクスの隣で」



 ある日、ヒッキーはいつものように荷物を受け取り、帳簿をつけていた。

 日差しが差し込む窓辺で、一息つきながら外を眺めていると、近所の住人たちが荷物を受け取りに来た。


「ヒッキーさん、これ、預かってもらってた荷物ね。ありがとう」

「はいよ、どうぞ」


 雑談が始まるのはいつものことだが、今日はその内容がヒッキーの耳に引っかかった。


「そういえば、クラリスさんのところ、大変らしいな」

「え、クラリス?」

 

 ヒッキーは思わず口を挟む。

 住人たちは頷き合いながら話を続けた。


「クラリスさんの父親、ガルヴィンさんがね……。あの人、借金が返せなくて首を吊ったらしいよ」

「そうそう。それでクラリスさんもすっかり塞ぎ込んでるって話だ」


 ヒッキーは机の上に広げた帳簿を眺めながらも、耳は完全に住人たちの会話に向いていた。


「シェイドさんが大変だってね。義父の残した借金を全部背負ってるらしいじゃないか」

「そうなんだよ。商売もうまくやってるみたいだけど、それでもあれだけの借金を返すのは並大抵じゃないだろう」

「クラリスさんが元気になれば、シェイドさんも助かるんだろうけどね……。夫婦で協力していければ、きっと何とかなるよ」


 住人たちはそれぞれの荷物を手にし、帰っていった。


 ヒッキーは机に頬杖をつきながら、ぼんやりと考え込んだ。


「ガルヴィンさんが……」


 クラリスの明るい笑顔を思い出す。

 あの笑顔が失われ、彼女が深い悲しみに沈んでいると想像するだけで胸が痛んだ。


「シェイドが全部背負ったのか。あいつも苦労してるんだな」


 一瞬、悔しさや嫉妬のような感情が頭をよぎるが、すぐにそれを振り払った。


「いや、俺があの時、何もできなかったからシェイドに託したんだ。クラリスを幸せにしてくれるって、信じたから」


 ヒッキーは椅子に深く座り直し、窓から外を見つめた。


「俺には俺のやるべきことがある。荷物を預かることも、誰かを支えることも、俺なりに続けるしかないな」


 そう呟きながら、ヒッキーは帳簿に戻った。その手はほんの少しだけ強くペンを握っていた。


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