第10話 ヴァルディア大学受験

 受験のためにヒッキーとリュクスが馬車で首都エレシアに到着した時、そこはルナリス村とは全く異なる世界だった。

 広々とした街道には行き交う人々があふれ、屋台や露店が並び、どこからともなくにぎやかな音楽が聞こえてくる。

 高い城壁に囲まれたエレシアの中心には、豪華絢爛ごうかけんらんたる王宮がそびえ立ち、黄金に輝く塔が朝の光を受けてきらめいていた。


 ヒッキーが馬車の窓から感嘆の声を漏らす。


「すげぇ……。こんな街がこの世にあるなんてな」


 リュクスが得意げに頷く。


「これが首都だ。田舎の村とはスケールが違うな!」



 王宮を横目にさらに進むと、石畳の大通りの先に巨大な門が見えてきた。

 ヴァルディア大学の入り口だ。

 その門は繊細な彫刻と荘厳そうごんな紋章で装飾されており、その先には広大なキャンパスが広がっていた。


 校舎はどれも石造りで、時代の重みを感じさせる壮麗な建物ばかり。

 尖塔がそびえ立つ図書館や、広場を囲むように並ぶ教室棟、アーチ型の廊下が続く寮舎などが点在している。

 庭には手入れの行き届いた木々や色とりどりの花が咲き誇り、受験生たちを迎えるように静かに揺れていた。


 受験会場に集まる受験生は実に様々だった。10代半ばにしか見えない少年少女から、白髪の老人まで。

 肌の色も髪の色も多様で、どの国から来たのか一目では分からない者も多い。


「俺たち以外にも、いろんな奴が夢を追いかけてるんだな」


 ヒッキーがつぶやくと、リュクスが肩を叩いた。


「お前もその一人だろ。ここで圧倒されている場合じゃねえぞ」


 応援に来た家族や友人たちも大勢いて、広場では歓声や拍手がき起こっていた。

 誰もがこの瞬間を特別なものとして受け止めているようだった。


 いよいよ試験が始まる。受験生たちは伝統を感じさせる重厚な教室に案内され、緊張の面持ちで席に着く。

 問題は数学、物理、化学、古代言語、歴史など、多岐にわたる。

 特に数学の最後の証明問題は難問だった。


 ヒッキーは額に汗を浮かべながら、何度も紙に式を書き直した。

 試験終了間際に解法がひらめき、急いで答案用紙に書こうとしたその瞬間、終了のかねが鳴った。


「くそっ、間に合わなかった……」


 悔しそうに机にすヒッキーに、リュクスが苦笑する。


「ま、全力を出した手応てごたえはあったんだろ?」


 試験終了後、大学の在校生たちが受験生を引き連れてキャンパス内を案内してくれた。

 広大な敷地には、勉強に打ち込むための静かな図書館や、質素ながら機能的な2人1室の学生寮、広々としたグラウンドや体育館、さらには剣術や格闘術を磨くための武道場も整備されていた。


「ここでは、好きな科目や訓練を自由に選んで受けられるんです」


 案内役の学生がそう説明するたびに、ヒッキーとリュクスの目が輝く。


「ここなら俺でもやれる気がするな」


 ヒッキーがつぶやくと、リュクスも満足げに頷いた。


 試験が終わった後、ラフィアが2人を街へ案内してくれた。

 エレシアの市場では異国の品々が並び、広場では楽師たちがかなでる音楽が響き渡っていた。


「エレシアの夕方は特にきれいよ」


 ラフィアの言葉通り、日が沈むと街全体が灯りに包まれ、また別の世界のようだった。



 帰りの馬車の中、ヒッキーがポツリと呟いた。


「試験は厳しかったけど……俺、少しでもこの世界に近づけたかな」

「バカ言うな、俺たちはここで学ぶんだ」


 リュクスのその言葉に、ヒッキーも少しだけ笑みを浮かべた。

 試験の結果がどうであれ、全力で挑戦したという事実が彼を確実に変え始めていた。



 試験が終わり、1週間が過ぎようとしていた。

 しかし、その期間はヒッキーとリュクスにとって、1年にも感じられるほど長いものだった。


 ヒッキーは預かり所で荷物を受け取りながらも、集中力を欠いて空返事からへんじばかり。


「ヒッキーさん、大丈夫ですか?」


 ラフィアが心配そうに声をかけると、ヒッキーは苦笑いを浮かべた。


「ああ、悪い。ちょっと……頭がエレシアに飛んでるみたいだ」


 リュクスも同じような様子だった。

 いつもは皮肉たっぷりの彼も、この1週間は珍しくおとなしく、何かを考え込むことが多かった。


「なあ、俺たちどっちかは受かると思うか?」


 ヒッキーにそう問いかけられたリュクスが苦笑いを浮かべる。


「さあな。でも、もし俺が受かってお前が落ちたら、どうする?」

「そんなこと言うなよ!」



 1週間後の朝。

 ヒッキーとリュクスが馬車に乗り込む前、ラフィアが見送りに来ていた。


「ヒッキーさん、必ず合格していますよ」


 彼女の言葉に、ヒッキーは苦笑しながら顔を上げた。


「そうだといいんだけどな」


 リュクスが口をとがらせながら言う。


「俺にも何か励ましの言葉はないのかよ」


 ラフィアが微笑みながら肩をすくめた。


「お二人とも通っていたらいいですね」


 その言葉に、ヒッキーとリュクスは互いを見やり、やや苦笑しながら頷いた。


 馬車がゆっくりと動き始める。

 2人は緊張と期待を胸に、エレシアへと向かっていった。



 ヴァルディア大学の門を抜け、広大なキャンパスに足を踏み入れたヒッキーとリュクス。

 そこにはすでに大勢の受験生とその家族、応援の人々が集まり、ざわめきと興奮に満ちていた。


「なんか、これだけで緊張してくるな」


 ヒッキーが小声で言うと、リュクスが豪快に笑った。


「おいおい、今さらビビってんじゃねえよ。ここまで来たんだから、あとは見るだけだろ」


 ヴァルディア大学の壁に張り出された合格者の一覧の前は、大勢の受験生や応援者たちでごった返していた。

 ヒッキーとリュクスは緊張しながらその壁に近づき、指で名前をなぞるように確認していく。


 リュクスが突然声を上げた。


「俺の名前、あったぞ! ほら、リュクス・ヴァリオ、合格だ!」


 壁には「リュクス・ヴァリオ」の名前とともに、大きな「合格」の文字が書かれていた。

 リュクスはガッツポーズをとり、その場でねる。


「やったーっ! 俺、ヴァルディア大学に受かったんだ!」


 その瞬間、周囲にいた見知らぬ受験生や応援者たちが驚きと尊敬の声を上げる。


「おおーっ!」

「合格者だぞ」

「おめでとう!」


 拍手が自然と湧き起こり、リュクスは少し照れくさそうに頭をきながらも祝福に応えた。


 一方で、ヒッキーも自分の名前を探し続けていた。


疋田ひきた、疋田優之介ゆうのすけ……あった」


 壁に書かれた自分の名前の隣には「不合格」という冷たい文字が並んでいた。

 その瞬間、ヒッキーの肩が落ちる。


「不合格か……」


 声に出してみても、その事実はどこか現実感がなく、ただ呆然ぼうぜんと立ち尽くすしかなかった。


 リュクスが満面の笑みで近づいてくる。


「ヒッキー、お前の名前は見つかったか?」


 その言葉に、ヒッキーは小さく頷きながら、壁を指さした。

 リュクスの視線が「疋田優之介」と「不合格」の文字に向けられた。


「……そっか」


 一瞬の沈黙が2人の間に流れた。

 リュクスは何かを言おうとしたが、適切な言葉が見つからず口を閉じた。

 後で判明したことだが、ヒッキーはわずか3点差で落ちていたのだ。



 村への帰りの馬車の中、リュクスは何度か話題を振ったが、ヒッキーはほとんど答えず、窓の外を見つめていた。


 ようやくヒッキーが口を開いた。


「……俺、全力でやったつもりだったんだけどな。最後の最後で足りなかったみたいだ」


 リュクスは静かにうなずく。


「数学の最後の問題、あれだろ? 解法は浮かんだけど時間が足りなかったやつ」


 ヒッキーは苦笑いを浮かべた。


「ああ、浮かんでたんだ。だけど、間に合わなかった。あと1分あれば、もしかしたら。でも、それが試験だってことだよな。間に合わないのも、実力不足ってことか……」


 沈黙が再び流れる。

 ヒッキーが続けた。


「リュクス、お前が受かって良かったよ。せめてどっちかがとおった方がいいに決まってる」

「おい、そんなこと言うなよ。お前だって……」


 リュクスが言いかけたところで、ヒッキーがポツリと呟いた。


「俺、なんか……空っぽだな」


 その声には、大きな挫折に直面した者に特有の深い虚無感きょむかんにじんでいた。



 村に戻ると、ラフィアが馬車を迎えに来ていた。

 リュクスが馬車から飛び降り、大声で叫んだ。


「俺、受かったぜ!」


 ラフィアは微笑んで拍手した。


「本当におめでとうございます、リュクスさん」


 一方、ヒッキーはゆっくりと馬車から降りる。

 ラフィアはその顔を見ただけで結果を悟ったようだった。


「ヒッキーさん……」


 ラフィアがそっと声をかけるが、ヒッキーは力なく微笑むだけだった。


「俺、村に帰ってきちゃったよ」


 その言葉には、悔しさと自嘲が込められていた。


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