第5話 荷物預かりの苦労

 ある日、クローネが大きな犬を連れてヒッキー荷物預かり所にやってきた。

 その犬は全身が白く、立派な毛並みをしている。

 しかし、非常に元気が良く、クローネはリードを引っ張られながら息を切らしていた。


「ヒッキーさん、この子を預かってほしいんです」


 クローネが息を整えながら言う。


「犬を荷物扱いするのかよ!」


 ヒッキーは目を丸くしたが、クローネは手をひらひら振って笑った。


「いや、事情がありまして。この子の飼い主は村を離れる必要があって、しばらく戻れないんです。私が預かる予定だったのですけど、荷物の配達で忙しくて……」


 ヒッキーは犬と目を合わせた。

 その犬は大きな目を輝かせて尻尾を振っている。


「……俺が世話するしかないってことか」


 犬は勢いよく吠えた。


「ワン!」



 犬の名前は「ノア」と言った。

 ノアは初日から元気いっぱいで、ヒッキーの部屋を駆け回り、積み上げていた本や荷物をひっくり返す。


「おい、やめろって! これは俺の大事な……」


 しかしノアはヒッキーの言うことなど聞く耳持たず、最後には彼の靴をくわえて部屋の外に飛び出してしまった。


「お前、犬じゃなくて泥棒だろ!」


 靴を取り返したヒッキーはため息をついたが、ふとノアの後ろ姿を見て思った。


「でも、なんか愛嬌ある奴だな」



 翌朝、ヒッキーはノアを散歩に連れ出すことになった。

 しかし、ノアは力が強く、ヒッキーを引っ張り回す。


「おい、待て! そっちは川だ!」


 足場が悪い道を通るたびに、ヒッキーはバランスを崩し、泥だらけになりながらなんとか散歩を終える。

 クラリスがその姿を見つけて微笑ほほえんだ。


「ヒッキーくん、大丈夫? ずいぶん楽しそうな散歩ね」

「楽しそうに見えるかな? 俺はヘトヘトだよ」

「でも、ノアは喜んでいるわ」


 ノアは尻尾を振りながらクラリスにじゃれついている。

 その無邪気な姿を見て、ヒッキーは少しだけ笑った。



 ある日のこと。

 ノアが散歩中にリードを振り切り、森の中へ走り去ってしまった。

 ヒッキーは必死で追いかけるが、途中で迷ってしまう。


「おい、ノア! どこだ!」


 森の奥からノアの鳴き声が聞こえる。ヒッキーが声を辿って進むと、ノアが倒木に挟まって身動きが取れなくなっていた。


「お前、何やってんだよ」


 ヒッキーは泥だらけになりながら倒木をどかし、ノアを救出する。

 ノアは彼の顔をめて感謝を示した。


「まったく……お前に感謝される日が来るなんてな」


 その言葉を口にしたとき、ヒッキーは自分が以前よりも犬の世話に慣れてきたことに気づいた。



 数日後、ノアの飼い主が戻ってきた。


「本当にありがとう! ノアがこんなに嬉しそうにしているのは、あなたのおかげです」


 ヒッキーは頭を掻きながら言った。


「いや、俺も最初は大変だったけど……なんだかんだで楽しかったよ」


 飼い主はノアを連れて帰っていったが、ノアは何度も振り返り、ヒッキーに尻尾を振った。



 ノアを見送ったヒッキーは村に戻ると、村人たちが彼を迎えた。


「ヒッキー、犬の世話なんて簡単じゃないだろ?」

「あのノアを無事に預かりきったんだから、大したもんだ!」


 誰かが笑いながら、彼の肩を叩いた。


 ヒッキーは少し誇らしげに笑った。


「まあ、犬相手に鍛えられることもあるもんだな」



 夕暮れ時、クラリスはいつものようにヒッキー荷物預かり所をおとずれた。

 しかし、その表情はどこか沈んでいて、いつもの明るさが感じられない。


「クラリス、今日はどうしたんだ?」


 ヒッキーが声をかけると、クラリスはぎこちないみを浮かべた。


「ちょっと……いろいろあってね」


 ヒッキーは眉をひそめ、椅子を勧めた。


「座って話せよ。荷物預かり所は仕事場だけど、愚痴を聞くくらいなら大丈夫だ」



 クラリスはお礼を言いながら腰を下ろし、しばらくの間、遠くを見つめている。

 やがて、ポツリと口を開いた。


「私の家、借金だらけなの」


 ヒッキーは驚いて言葉を失う。

 クラリスは静かに続けた。


「父が事業に失敗して、家はずっと借金の返済に追われてるの。最近、父が決めたの。お金持ちの商人と私を……結婚させるって」


 ヒッキーの目が大きく見開かれた。


「それって、君は納得しているのか?」


 クラリスは力なく笑った。


「納得……ね。家を救うためなら仕方がないのかな、と思ってる。でも、本当にそれでいいのか分からないの」


 ヒッキーは何も言えず、こぶしを握りしめた。


 クラリスは立ち上がり、微笑ほほえもうとした。


「ごめんなさい、変な話をして。でも、誰かに聴いてもらいたかったの」


 ヒッキーは無意識に口を開いた。


「俺にできることがあれば言ってくれよ。何か力になれるかもしれないからさ」


 クラリスの表情にわずかな感謝の色が浮かんだ。


「ありがとう、ヒッキーくん。でも、これは私の家の問題だから……気にしないで」



 クラリスの父、ガルヴィンの家にヒッキーが現れた時、部屋の中は緊張感に包まれていた。

 テーブルの向こうに立つクラリスの目は赤くれており、彼女が泣いていたことを物語っている。

 その隣には、整った顔立ちの若い男性、シェイドが座っていた。

 彼は洗練された服装で、場の空気を落ち着かせるような静かな雰囲気を纏っていた。


 ヒッキーは持参したズタ袋を取り出し、金貨9枚、銀貨68枚、銅貨3枚を一つずつ丁寧にテーブルの上に並べた。

 金貨1枚が銀貨100枚になるので、ヒッキーの元の世界の貨幣価値では1000万円に近い金額になる。


「これが俺の全財産です。これで少しでも借金の足しにしてください」


 その静かな声に、ガルヴィンは目を見開いた。


「こんな大金を……君が?」

「ええ。荷物預かりの仕事で、少しずつ貯めました」


 クラリスは目に涙を浮かべ、震える声で言った。


「ヒッキーくん……どうしてここまでしてくれるの?」

「決まってるだろ、君を助けたいんだ」


 その時、シェイドが席を立った。


「ヒッキーさん、そのお気持ちは立派ですが、この額では借金の一部にもなりません」


 クラリスは驚きの表情でシェイドを見上げる。


「シェイドさん、どういうこと?」


 シェイドは静かにうなずきながら、ヒッキーに目を向けた。


「借金の総額は金貨50枚以上です」


 部屋の空気が凍りついた。

 ガルヴィンは驚愕し、クラリスは動揺のあまり言葉を失う。

 そしてシェイドが静かに告げた。


「私がその全額を肩代わりします」


 ヒッキーはこぶしを握りしめ、唇を噛んだ。


「なんでも金で解決すればいいってもんじゃないだろ!」


 ヒッキーの言葉は鋭かったが、シェイドは冷静だった。


「確かにその通りです。でも、私には彼女を守る力があります」


 彼は少し間を置いて続けた。


「私は高校を卒業して以来、ずっと働き続けてきました。貧しい家の出身ではありますが、誰にも負けない努力をして財産を築きました。もちろんお金を稼ぐことだけが人生の目的ではありません。でも、いざという時に大切な人を守る事ができるのもお金の力です」


 ヒッキーは何も言い返せず、心の中で呟いた。

「完敗だ」と。

 ふと、クラリスのためには自分が身を引いた方がいいのかもしれない、そんな考えが心に浮かぶ。


「クラリス。シェイドの方が君に相応ふさわしそうだな」


 クラリスはヒッキーを見つめた。


「それに俺には君が……重荷だ」


 涙が頬を伝いながら、クラリスは必死に問いかける。


「ヒッキーくん、その言葉は本当なの? 本当に……私と一緒にいるのが嫌なの」


 ヒッキーは目をらしたまま、答えなかった。

 沈黙が部屋を支配する。


「答えて!」


 クラリスの声がふるえる。


 ヒッキーはゆっくりと口を開いた。


「……本当だよ。俺には何もできない。ただの荷物預かりだ。君を幸せにする力なんて持っていないよ」

「そんなことないわ!」


 クラリスは声を張り上げたが、ヒッキーはそれをさえぎるように言った。


「残念だけど本当の事だ」


 その言葉に、クラリスは崩れるようにその場に膝をついた。


 シェイドはクラリスに手を差し出しす。


「クラリスさん。私はあなたを幸せにすると誓います。どんな困難が待っていても、私はあなたを守る」


 クラリスはヒッキーを見上げたが、彼は目を合わせようとしなかった。

 やがて彼女は震える手でシェイドの手を取った。


 シェイドは一瞬ヒッキーを見つめ、静かに言った。


「あなたが彼女をここまで想っていること、そして彼女のために下した決断に、私は心から敬意を表します」


 そして彼は、泣き崩れたクラリスを優しく支えながら部屋を出ていった。



 残されたヒッキーは、テーブルの上に置かれた金貨や銀貨を見つめながら、自分に言い聞かせた。


「俺はひどいことを言ってしまった。でも……これでよかったんだ」


 彼の胸にはくやしさと悲しさ、そしてほんの少しの安堵あんどが入り混じっていた。





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