第6話 ヒッキー、覚醒す!

 失意の中、ヒッキーは暗い部屋でじっと座り込んでいた。

 テーブルの上には、金貨や銀貨を入れていた袋だけが残っている。

 頭の中では、クラリスの涙にれた顔と、シェイドが彼女を連れていく姿が何度もよみがえっていた。


 その時、ドアがノックされた。


 コンコン!


「ヒッキー、いるか? オレだ」


 声を聞いて、ヒッキーは重い腰を上げてドアを開けた。

 そこにはリュクスが立っていた。


「お前、何してんだよ。こんな暗い部屋で」


 ヒッキーはうんざりした顔でリュクスを迎え入れた。


「放っといてくれよ。今は誰とも話したくない」

「そんなこと言うなよ。ま、オレが話を聞いてやるからさ」


 リュクスは図々しく椅子に腰掛けると、部屋の中を見回した。


「聞いたぜ、クラリスのこと」


 その一言で、ヒッキーは眉をひそめた。


「……だったら、何も言うな」



 リュクスは少しだけ肩をすくめ、飄々ひょうひょうとした口調で続けた。


「世の中、金がすべてじゃないけどな。金がなけりゃどうにもならないこともある。それが今回の教訓だ」


 ヒッキーの表情がけわしくなる。


「言われなくても分かってるよ! どうせ金がないからな、俺は……」


 リュクスは手を上げて彼を制した。


「おいおい、そんなに熱くなるなって。オレがきたいのは別のことだ」


 彼はじっとヒッキーを見つめる。


「ガルヴィンさんだよ。なんだって金貨50枚もの借金をしてんだ?」


 ヒッキーは言葉をまらせた。


「そ、それは……クラリスもくわしいことは言わなかったけど、多分、事業の失敗だとか」

「お前、それを確かめたのか?」


 その一言に、ヒッキーは絶句した。

 確かに、彼はガルヴィンの借金について詳しく聞いていなかった。

 ただ、クラリスが困っていることを知り、できる限りの力を貸そうとしたつもりだった。


 リュクスは大きく溜息ためいきをつきながら、テーブルに頬杖ほおづえをついた。


「オレの勘だが、博打ばくちとかそっち系だろうな。普通に商売してて、そんな大借金をこしらえるなんてあり得ないだろ?」


 ヒッキーは眉をひそめた。


「そんなの……分からないだろ。」

「まあな。でも、仮に博打だったとしてもシェイドならどうにかできるだろう。あいつは金も稼げるし、問題を片付ける方法も知ってそうだ」


 リュクスはヒッキーをじっと見つめた。


「でもお前は違う。お前には借金を返せる力もないし、仮にクラリスの親父さんが博打狂ばくちぐるいだったとしたら、その後始末もできないんじゃないか?」


 彼は少しだけ口角を上げて付け加えた。


「だから、別れて正解だったんだよ」


 ヒッキーはこぶしをテーブルに叩きつけた。


「お前、俺をなぐさめる気あるのか! 結局、俺にできることなんて何もなかったって言いたいのかよ」


 リュクスはヒッキーの怒りを受け流しながら、ニヤリと笑った。


「おいおい、別にそんなこと言ってねえよ。ただな、今回の件で一つだけ確かなのは……お前は金がないだけじゃなく、世の中のことをちゃんと知ろうとしていなかったってことだ」

「世の中のこと?」

「ああ、世の中のことだよ。オレも偉そうなこと言えないけど、親父さんの借金の理由も調べずに助けようとするなんて、そりゃちょっと甘すぎるだろ?」


 ヒッキーは言葉を失った。

 彼は、確かにクラリスを助けたい一心だったが、その過程で冷静な判断をおこたっていた自分に気づかされた。


 リュクスは椅子から立ち上がり、窓の外を見つめながら言った。


「ま、オレが言いたいのはそれだけだ。金がすべてじゃねえけど、金がなきゃどうにもならないこともある。それを知ったなら、次からどうするか考えろよ」


 そして、窓の外を見たまま付け加えた。


「でもな、ヒッキー。お前は悪い奴じゃねえ。だから、次はもう少し頭を使え。無駄にするなよ、今回の経験を」


 ヒッキーはしばらく黙ったまま、リュクスの背中を見つめていた。


「確かにお前の言うことにも一理ある」


そう呟いたところで、ヒッキーは少し間を置き、続けた。


「だがな……」



 その時、リュクスが振り返った。

 その顔は蒼白そうはくだった。


「お、おい。ヒッキー!」


 震える指で窓の外を指し示すリュクス。ヒッキーはその先を見る。そこには……


 熊がいた。


 巨体が夕日を浴びて黒く輝き、鋭い爪と牙が不気味に光っている。

 その目は、獲物を見つけた猛獣そのものだった。


 ヒッキーの体が硬直する。


「な、なんで熊がここにいるんだよ!」


 リュクスは息をみながら言った。


「知らねえよ。そんなこと、どうでもいいだろ。お前、熊だぞ熊!」


 熊はこちらをじっと見つめたまま、突然低くうなり声を上げた。

 そして、次の瞬間、地響きを立てて突進してきた。


「逃げろ!」


 リュクスが叫び、窓を開け放って外に飛び出した。

 

 ヒッキーもあわてて窓から身を乗り出そうとするが、熊は速度を緩めることなく窓ガラスを粉々にして突っ込んできた。

 鋭い爪が窓枠をえぐり、咆哮ほうこうが部屋全体に響き渡る。


「なんでこんな目に!」


 ヒッキーは別の窓から飛び出し、庭を走り抜けた。

 リュクスは一足先に塀を越えようとしている。


「おい、ヒッキー、早くしろ」

「言われなくても分かってる!」


 ヒッキーは全力で塀にしがみつき、なんとかい上がった。


 振り返ると、熊はすでに部屋の中を完全に占拠していた。

 テーブルをひっくり返し、金貨や銀貨を踏み散らしながら、部屋中を荒らし回っている。


「おい、リュクス。俺の部屋が……」

「部屋なんてどうでもいいだろ。命が先だ!」


 ヒッキーは頭をかかえたが、熊が窓から出てきそうな気配を見せたことで再び駆け出した。



 2人は村の中央広場まで走り続けた。そこでようやく息を整えると、リュクスが半笑いで言った。


「おい、なんだよアレ。熊って、普通は森にいるもんだろ」


 ヒッキーはひたいの汗をぬぐいながら、息を切らせて言った。


「お前、さっきまで俺に説教してたくせに、何だってこんな目に遭うんだよ!」


 リュクスも苦笑いしながら肩をすくめた。


「知らねえよ。世の中、金じゃどうにもならないこともあるって事だな。シェイドに教えてやったらどうだ?」


 ヒッキーはあきれた顔でにらみつけた。


「お前、今それを言うか」


 その時、村人たちが2人に気づいて駆け寄ってきた。


「おい、どうしたんだ」

「すごい音がしたぞ。何があった?」


 ヒッキーは息を整えながら言った。


「熊だ。俺の部屋に熊が突っ込んできやがった」


 村人たちは目を丸くし、ざわめき始めた。


「熊が村に? そんな馬鹿な」

「いや、あの2人がおびえてるのを見る限り、本当だろう」


 村人たちは一気に騒ぎ始めた。


「武器を持ってこい、村を守らなきゃ」

「誰か、子供たちが外にいないか確認しろ!」


 ヒッキーとリュクスは、どこか自分たちが原因を作ったような気がして、黙り込む。

 リュクスが苦笑いしながらつぶやいた。


「こりゃあ、お前が何とかする番かもな」


 ヒッキーはリュクスをにらんだ。


「おい、それ本気で言ってるのか?」


 リュクスはニヤリと笑い、肩をすくめた。


「本気だよ。だって、お前、やる時はやる男だろ?」


 ヒッキーは深くため息をつきながら、村人たちの輪に加わった。


「熊なんて、どうにかなるもんじゃないだろう……。でも、何とかしないと」


 彼の中に、今までになかった奇妙な使命感が芽生めばえ始めていた。



 疲れ果てて村の広場に座り込むヒッキーとリュクス。

 二人が息を整えていると、遠くから物音が聞こえてきた。


 ガシャン! ドゴッ!


「おい、ヒッキー!」


 リュクスが叫ぶ。


 広場の端から、再びヒッキーの家から出てきた熊が姿を現した。

 巨大な体を揺らしながら、ゆっくりと村人たちに近づいてくる。


「おいおい、またあの熊かよ、何でこっちにやって来たんだ!」


 リュクスが肩をすくめながら後ずさる。


 村人たちも逃げ惑い始める中、リュクスがヒッキーを突き飛ばすように前に押し出した。


「熊さん、こいつです!」


 ヒッキーは振り返り、驚愕の表情を浮かべた。


「おい、何をするんだ。俺は熊使いでもなんでもないんだぞ!」


 リュクスは鼻で笑いながら言った。


「だからお前はいつまでも穀潰ごくつぶしのニートなんだよ」


 その言葉にヒッキーの眉がピクリと動く。


「なんだと」

「いいから、ちょっとは働け!」


 その瞬間……ヒッキーの中で何かの引き金が引かれた。

 目つきが変わり、肩が震え始める。


 ヒッキーは無言のまま立ち上がり、熊に向かって一直線に突進していった。


「おいおい、正気かよ?」


 リュクスが叫ぶが、ヒッキーは止まらない。


 巨大な熊が低いうなり声を上げながら、ヒッキーの方を向いた。

 その巨体にひるむ様子もなく、ヒッキーは熊の背中に飛び乗り、そのまま首に両腕を回した。


「うおおおおおお!」


 驚いた熊が暴れるが、ヒッキーは両腕の力をしぼり、その巨体を締め上げる。

 村人たちは呆然ぼうぜんと立ち尽くし、息を呑んで見守っていた。


 やがて、熊は動きを止め、その場にドサリと倒れた。


 ヒッキーはその場にへたり込み、息を切らせて熊を見る。


「……なんで俺、こんなことが」


 リュクスが駆け寄り、ヒッキーの肩を叩く。


「すっげえ、素手で熊を倒しちまった」


 ヒッキーは当惑した表情を浮かべながらリュクスを振り返る。


「いやいや、俺、なんで熊を倒せたんだ? なんにも覚えてねえぞ」


 その時、遠くから何人かの人影が駆け寄ってきた。

 カラフルな衣装に身を包んだ人々……サーカス団だった。


「おお、ここにいたか!」


 団長らしき男が熊を見るなり、深く頭を下げた。


「失礼しました。この熊はサーカスの一員で、おりから逃げ出してしまったんです」


 ヒッキーは茫然ぼうぜんと立ち尽くし、リュクスは呆れたように笑った。


「おいおい、まさかのサーカスかよ」


 サーカス団員たちは手際よく熊を荷車に載せ、団長が再び頭を下げる。


「この度はご迷惑をおかけしました。あなた方の勇気に感謝します」


 ヒッキーは半ば呆れながら答えた。


「いや、俺、何が何だか分かんねえんだけど」


 リュクスは村人たちの視線を浴びるヒッキーを横目で見て、ぽつりと呟いた。


「どうやら『働け』と言われるとキレてしまうらしいな、ニートは」


 村人たちが笑い始める中、ヒッキーは大きなため息をついた。


「熊を倒すニートって……どんな肩書きだよ。」



 村人たちはヒッキーをたたえ始め、次々と感謝の言葉をかけていった。

 リュクスは横で笑いをこらえながら肩を叩いた。


「ま、キレた結果がこれだ。悪くないだろ?」


 ヒッキーは苦笑しながら肩をすくめた。


「勘弁してくれよ、二度とこんな事はごめんだ」




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