第2話 荷物預かりの恩恵

 夕方になると、部屋のドアが再びノックされた。


 コンコン!


「またかよ……」


 ベッドに寝ていたヒッキーは渋々立ち上がり、ドアを開けた。

 そこに立っていたのは中年の男性だった。

 長いマントに特徴的な模様のついた服装で背が高い。

 だが、彼の表情は柔らかく、威圧感はない。


「こんにちは。この家のあるじですか?」

「あ、えっと、そうですが……」


 男性は丁寧ていねいに頭を下げた。


「私は隣の家に住む者です。実は先ほど配達人のクローネさんから、荷物をこちらに預かっていただいているとうかがいまして」


 ヒッキーは「ああ、あれの事か」と机の上に置いていた包みを取り、隣人に差し出した。


「これでしょ?」


 男性は目を輝かせながら受け取った。


「ありがとうございます! 本当に助かりました。実はこの荷物、商売に使う大切な道具でして。再配達を頼むと時間も費用もかるので、預かってもらって大変ありがたいです」


 男性はふところから小さな銀貨を取り出し、ヒッキーの手に握らせた。


「これはお礼です。小銀貨しょうぎんか1枚ですが、ぜひ受け取ってください」

「え? いや、預かっただけだし」

「いいえ、あなたのおかげで助かりました」

「ちょっと教えて欲しいんだけど、貨幣の換算レートはどうなっているの?」

「この小銀貨10枚が銀貨1枚になります。どうぞお気になさらずに」


 男性は再び頭を下げ、満足そうに帰っていった。


 ドアを閉めたヒッキーは、手の中の小銀貨をじっと見つめた。

 それは輝きを放ち、見るからに価値がありそうだった。


「これが小銀貨か。銀貨1枚が1万円くらいらしいから、これ1枚が1000円になるのか…」


 自然にみが浮かぶ。


「ただ荷物を受け取るだけで1000円って……これ、俺にぴったりじゃん!」


 ヒッキーは小銀貨を指で転がしながら、久々にやる気を感じた。

 いや、正確には「本格的にこもってやるぞ」と思ったのだ。


「よし、これからはどんどん荷物を預かって稼いでやる!」


 こうして、意外な形でヒッキーの異世界生活が始まった。



 翌日の朝10時ころ、再びノックの音が聞こえる。

 ドアを開けるとクローネさんが立っていた。


「お蔭で助かりました」

「荷物を預かっただけなのに小銀貨をもらっちゃって」

「いえいえ。時間も費用も節約できたのですから、皆さんにとっては安いものですよ」


 ヒッキーにはどう考えても1000円が安いとは思えなかった。


「それで大変恐縮なのですが、今日も荷物を預かっていただけませんか?」

「お安い御用です」

「良かった。実は3個あるのですよ」

「3個でも10個でも、俺にとっては同じ事ですから」


 ということでヒッキーは荷物を3個預かり、それぞれの受取人から小銀貨を1枚ずつもらった。

 どうやら1個の預かりにつき、小銀貨1枚というのが相場のようだ。

 相変わらずヒッキーにとっては安いと思えない金額だけど、受け取り人たちが納得していれば問題はない。



 とはいえ、次第に預かる荷物が多くなってくる。

 バラバラに受け取りに来る人の数が増えてくるといささか面倒になってきた。

 クローネさんが来るのは朝の10時前後で、この時間は決まっているが、荷物を受け取りに来る人は昼から夕方にかけて2~3人。

 夕方以降が7〜8人くらいだ。

 村の人たちはマナーがいいのか、早朝や夜中に来る人は全くいない。


 ドアがノックされるたびにベッドから起き上がって対応するのも疲れる話だ。



 ヒッキーは机の上に置かれた銀貨を眺めながら、苦々しい表情をしていた。


「確かに小銀貨をもらえるのはいいけどさ……いちいち顔を合わせて御礼おれいを言われるの、正直、面倒なんだよな」


 そんなひとごとを聞きつけたかのように、クローネが部屋の窓の外から顔を出した。


「いや~、ヒッキーさん、またぼやいてますね。でも、それ、めちゃくちゃ重要なことなんですよ!」

「何が重要だよ。ただ荷物を渡して御礼を言われるだけだろ?」


 クローネは軽やかに部屋に入ると、椅子に腰を下ろし、真剣な表情になった。


「ヒッキーさん、ここルナリス村では『顔を合わせる』っていうのが一番大事な社会的儀式なんです。特に御礼を言うっていうのは、相手に感謝の気持ちを伝えるだけじゃなくて『信頼』を築くための第一歩なんですよ」


 ヒッキーは首をかしげた。


「信頼? 俺が? そんなのいらなくない?」


 クローネは笑みを浮かべながら首を振る。


「信頼があるとね、何か困った時に助けてもらえるんです。実際のところ一人で生きていくのはなかなか厳しいから、顔を合わせて少しでも会話をすることで、あなたが『この村の一員』として認められる手掛かりになるんですよ」


 ヒッキーは銀貨を指で転がしながら考え込む。


「でも、俺は別にこの村の一員になりたいわけじゃないし、ただ部屋でゴロゴロしてたいだけなんだけど」


 クローネは膝をぽんと叩きながら笑った。


「それでもいいんです! 働かなくても、こうして荷物を預かって、住人と最低限の会話をするだけで、自然に信頼が生まれる。それだけで村のみんなから頼られる存在になれるんです。それにね、御礼を言われるって結構気分いいでしょ?」


 ヒッキーは反論しかけて、思わず言葉を飲み込んだ。

 確かに、荷物を取りに来た隣人たちが笑顔で「ありがとう」と言いながら小銀貨を手渡してくれる時、ほんの少しだけど嬉しい気がした。


「それにヒッキーさんの部屋も最初の頃より随分ずいぶん片付いてきたし」

「ま、そういうもんかな……」


 クローネは満足そうに立ち上がった。


「その通り! ルナリス村では、顔を合わせて言葉を交わすことで、みんながお互いに助け合える世界なんです。これからも、ヒッキーさんなりにその役割を楽しんでください!」


 クローネが帰った後、ヒッキーは窓の外を見ながらつぶやいた。


「顔を合わせるだけで信頼が……。まあ、金になるなら悪くないかもな」


 ヒッキーの中に、小さな社会性が芽生めばえた瞬間だった。


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