第2話

 溢れた札束を見て僕たちは息を呑んだ。

 闇オークションのターンの順番は、白石、緑川、僕。

 僕たち三人は一度だけ目線を交差させて――


 ――全員が一斉に思考の世界に潜った。


 緑川はこめかみのあたりを人差し指でトントントンと叩き。

 白石は手のひらで口を覆い。

 僕は人差し指を立てて唇に当てる。


 

 いつもの黒田が思いついた酔狂なゲームじゃなかったのか?


 数分が経って、白石がゆっくりと口を開いた。

「……質問」

「どうぞ」


か?」


「……今のが質問?」

「ああ。俺は――俺たちは、いつもゲームには真摯に向き合ってきた。俺たちは今日、このゲームで遊ぶことに納得して、合意した。だからいらない商品にもきちんと金を払った。お前は今金を出して、宣言をした。その状態でお前が落札者になった場合、その百万は俺たちに配布されることになる。それを分かった上で宣言したってことでいいんだな?」

「本気だよ」

「……俺がここで、五億とか十億って言ったとして、緑川と赤坂がそれに続いたら、お前はその百万円を置いて行かなきゃいけないんだぞ。わかってんのか?」

「質問は一人ひとつだよ」

「……本気、なんだな?」

 黒田はゆっくりと頷いた。

 それを見て白石は数秒考えて、スマートフォンを操作した。

「……貯金的には、まあ払えないこともないか。レイズ――百万百円」

 銀行口座を確認した白石がそう宣言をして、ターンが回る。


 黒田は本気だ。最悪百万円を手放す覚悟すらあるらしい。

 それを賭けるほどの商品とはいったいなんなんだ。

 ここでドロップを宣言することは簡単だ。俺と緑川がドロップしたら、どちらかが無料でそれを買い取ることになる。

 しかし、

 黒田が百万円も出した理由はいったい何なんだろうか。


 購入前にそれを知る方法はひとつしかない。

 質問を、繰り返すことだ。

 レイズをして、質問を繰り返すことだ。


 緑川も同じ思考だったのか、真剣な表情で「質問っス」と言った。


「それを所有すること自体が、社会的――あるいはだったりしますか?」

「…………ほんっとに速い。YESだよ。これは所有するだけで不利益を被る。法的にも」

 黒田は呆れたように上を向いた。

 出品物は所有するだけで法に触れる。

 しかし僕たちは三人ともその可能性に行きついていたので、驚きは少なかった。

「レイズ、百万二百円。法的にマズイなら本当はもっと金額あげたかったんスけどね」

 緑川は普段から貯金はしとくべきっスわ、と力なく笑った。

 順番が回ってくる。情報を整理する。

 黒田の出品物は、所有するだけで法を犯すことになるらしい。

 ぱっと思いつくのはクスリや銃器の類。

 しかし、例えば黒田がクスリを所有していたとして、それを僕たちに押し付ける意図はなんだろう。

 ゲームには真摯に向き合う。だから、ここで僕がドロップしてクスリ(仮)を入手することになったとしたら、僕はきちんとそれを受け取る。

 でも、受け取った後に受け取りっぱなしかと言われればそんなはずはない。処分できそうになかったら警察に相談するだろうし、その際に黒田の名前を出すかもしれない。

 このゲームはあくまで競り。商品を手に入れた後までは縛られていない。

 それは彼も理解しているはずだ。

 大体親友なら、こんな形で押し付けられたからと言って黙っておくはずもない。更生させるというのも友人の務め。

 とは言え黒田がクスリをやっている様子もないし、可能性としては銃刀法違反の銃器の方が濃厚か。

「……銃器の類だったとしても、それを僕たちに押し付ける意味がわかんないんだよな」

 口に出す。直接は見えなかったけれど、白石と緑川が頷いたような気配を感じた。

 ドロップの選択肢はない。僕は貯金が苦手だけれど、百万円くらいなら親や友人、キャッシングなどを駆使すればなんとかならなくもない。

 そういう点で言えば、黒田もそんなに裕福じゃないはずなんだけどな。


「質問」

 たっぷりと思考した僕は、ひとつの問いに行きついていた。

 法律に違反している商品を、僕たちに押し付ける意味が分からない。

 意味が分からないということは、前提が間違えている可能性がある。


「黒田は、僕たちにそれを買われたくない。。そう思っている」

 白石と緑川が息を呑む音が聞こえた。

 貸会議室の秒針の音だけが響く。


「…………YESだよ。僕はキミたちにこれを購入してほしくないと思っている」


 返ってきたのは予想通りの答えだった。


 逆張りの精神で、ドロップしようかなと一瞬思ったけれど、まずはゆっくりと白石の方を見た。

 僕たちは、親友だ。

 大学に入学してすぐ、僕と黒田と白石と青山は仲良くなった。麻雀が好きだというのがきっかけだったと思う。夜中まで黒田の家でアニメを垂れ流しながら、朝も昼もない生活を繰り返していた。徹夜で人生について語った後一限に出て、終わったら黒田の家で眠った。スマブラをしていたら授業に遅刻したこともあった。試験前は真面目に勉強をすることもあった。

 一年が経って、緑川が入ってきてからは五人で遊ぶようになった。

 基本的にはインドアだったけれど、時にはドライブに行ったり、テーマパークや謎解きゲームに行った。

 四六時中一緒にいた。


 だから、通じた。


 僕たちがこれから何をするべきか、心で通じ合った。



「レイズ、百万三百円」

 その宣言を聞いて黒田は満足そうに笑う。

「今日は付き合ってくれてありがとう。俺はドロップする。だから落札者は俺で、この百万円は三人に分配するよ。百の位で切り上げるのは面倒だから、三十三万円ずつ渡して、残り一万円はここの会議室代を払うってことでどうだ?」

 黒田が荷物を鞄に詰めながらゲームの後片付けを始めた。

「商品に関しては、俺が出品して俺が落札したから、非公開とさせてもらう。問題はないだろう?」

「……」

「ということで、ほら、三十三万ずつ」

 サクサクと話を進める黒田を見て、僕たち三人は一斉に口元を緩めた。

 それを見て怪訝そうな顔をする黒田。白石が代表して口を開く。

「は? いや、終わりだよ。俺がドロップして最低金額提示者になったんだもん。ルール聞いてなかった?」

「そっちこそ、ルールの詰めが甘いんじゃないか」

 僕はルールを思い出す。

 この競りの終了条件を思い出す。


――これで全員がドロップしたので競りは終了!


「競りは、全員がドロップしない限り終わらないと言ったのはお前だぜ? 黒田」

 このゲームは最低金額提示者を決めるルールのため、誰か一人がドロップした時点で、続ける意味はない。

 だからこそ、黒田はルールの詰めを誤った。

 まだ僕たちはドロップしていない。つまり、


「続行だ。質問をさせてもらうぜ」


 黒田の目が一瞬大きく開かれて。


「ルールだもんね」


 席に戻った。



「質問。お前はその商品を望んで手に入れたのか?」

「NO。望むわけがない」

「なるほどな。レイズ、百万四百円」

「質問っス。黒田さんがそれを手に入れたのは、昨日今日の話?」

「YES」

「ふうん。レイズ、百万五百円っス」

「じゃあ僕からも質問」

 僕が代表して、全員の頭の中に浮かんでいた疑問を聞く。


「黒田は解散した後、自首しに行くつもりだった」                                                                                                                                                                                                           


「……なんでもお見通しって感じかな」

 黒田は諦めたように両手を挙げて、肯定した。


 もう、繋がってしまっていた。

 僕たち三人は、


 望んで手に入れたわけではないもの。

 昨日今日で手に入れた、所持するだけで法に触れるもの。

 このゲームが終わったら、自首をするほどのもの。


 黒田が出品した商品は――青山。

 昨晩黒田の家で飲んでいた、今日はこの場にいない、もう一人の親友。

 青山雄介の――死体。


「青山、死んだのか」

「ああ」

「殺したのか?」

「殺意はなかった。事故だと言ってくれる人もいると思う」

「……そうか」


 脳裏に青山との思い出がフラッシュバックする。

 お調子者で、明るくて、僕たちの中では珍しく女っけのあった楽しいやつ。

 黒田の書いた出品物の紙には丁寧な文字で『青山雄介』と書かれていた。


「俺たちが全員ドロップしてたらどうしてたんスか?」

「その場合は、ルール通りランダムに選んだ誰か一人にこの事実を共有していたよ。ただ、共有するだけで自首は俺一人でするつもりだった。それに、そうならない確信があった。まさか出品物まで当てられるとは思っていなかったけど、キミたちは単純にドロップしないだろうなとまでは予想していた」

「……全員に共有するって選択肢はなかったの?」

「ないよ。本当は誰にも共有しないまま自首するつもりだった」

「じゃあどうしてこんなことを?」

 そう聞くと黒田はゆっくり息を吐いてから、力なく言った。

「俺は、事故だと思ってる。でも、俺が原因であることには変わりない。そうなると、法が俺をどう扱ったとしても――たとえ無罪だったとしても、俺たちの関係は変わると思った」

 そう思ってしまうのも仕方がないと思った。

 仲のよかった五人組が四人組になって、今まで通りの関係を続けることは難しい。

「だから最後に遊びたかったんだ。俺はキミたちが大好きだ。キミたちと知り合えて本当に幸せだし、出会えたことを一生誇りに思う。そして一緒に遊ぶのが本当に好きだった。だから最後に、遊びたかったんだよ」

 黒田の言葉はだんだんと力がなくなっていった。自分はなんて我儘なことを言っているんだと思っているに違いなかった。

「最後の遊びはさ、なにが良かったかな。出会いのきっかけだった麻雀かな。スマブラかな。カタンとかドミニオンも死ぬほどやったよね。色々考えた結果、心の底から読み合いをしたくて、こんなゲームを提案したんだ」

 黒田の意図がわかった僕は、確認も込めて口に出す。

「全員を巻き込むつもりはなかったけど、もし全員がドロップしていたら、ランダムの一人にだけ話せて、それならそれで気持ちは楽になるしOK。全員が何かに気付いて金額を釣り上げたら、出品物は明かさずに自首して消える。そんな計画だったってことか」

 そして緑川がその言葉の続きを引き取った。

「この百万は黒田さんからの別れの金ってことっスかね。おおかた、俺たちへの感謝の気持ちを伝えたくて、でも内容を言えないから金に思いを託したって感じっスか」

 黒田が小さく頷いた。

 僕たち三人は顔を見合わせてから、口を揃えて言った。





「ばかにするな」

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