NO MUSIC NO LIFE

@zawa-ryu

 幼い頃から歌う事が好きだった。

 なぁんてことを言うと、そこそこ売れてきたミュージシャンがインタビュアーにドヤ顔で応えるありきたりな話しみたいでイヤなんだけど、私に関して言えばマジでそう。だって生まれてまだ数か月の言葉も話せない頃から、ママが流したハードロックのリズムに合わせて、アーアーウーウーと歌ってたんだもん。もちろん自分じゃ覚えてないけどね。はっきり残ってる記憶で言えば3歳の時かな。私は集合住宅のベランダで、オモチャのギターをガンガン掻き鳴らしながら空に向かって吠えていて、近所のおっちゃん、おばちゃんがしょっちゅう「うるさいっ!」って怒鳴り込んできたのを覚えてる。

「蔵土さん、蔵土さん!もういい加減にしてよ!」

「毎日毎日いったい何回言えばわかるんだ!静かにしろっ」

 ドンドンと玄関のドアを叩く声に向かって「てめぇの怒鳴り声の方がうるせぇんだよ!」ってママは箒を持って応戦してた。私は日々繰り返されるそんなご近所さんとのやり取りが楽しくって、ママの後ろでジャカジャカとギターを弾きながら、ますます大声を張り上げて歌っていた。

 幼稚園に入ると、みんなと歌を歌う時間が何よりの楽しみだった。私の歌声は発表会ではみんなの声をかき消してしまうほど、一際馬鹿デカかった。

「佳音の声はほんとパワフルだね。もっともっとデカい声で歌いな」

 ママはいつもそう言って私の髪を撫でてくれた。

 小学校に入っても私はずっと歌っていた。音楽の授業はもちろん、休み時間、昼休憩、放課後の帰り道。私はどこにいたって空に向かってずっとずっと歌を歌っていた。


 だけど……、

 中学校に入って、いや正確には小学校の高学年辺りからかな。

 私が歌うと、周りの反応が変な感じになった。

 声が大きすぎてうるさかったから?違う。リズム感が悪くて周りに合わせられなかった?それも違う。

 そう、その頃には自分でも薄々気づいていた。

 歌うことが大好きな私にとって、それは致命傷とも言えるぐらい残酷な現実。

 そう私は、私は……私は、音痴だったのだ。

 それもそんじょそこらの音痴じゃない。声に抑揚が無いとか音程がずれるとか、そんなレベルじゃない。幼馴染の芽理の言葉を借りれば「地獄の金切り声」だそうで、漫画だったら私の歌声は、間違いなく「キェエエエエ~ッ」と表現されるらしい。普段喋る分には「ハスキーだな」ぐらいで済むんだけど、メロディーに乗せた瞬間、私の歌声を聞いた人は有刺鉄線がぐるぐる巻きにされたバットで殴られたような衝撃を受けるんだってさ。幼い頃から叫び続けた故の独特の声質。メソメソするのが大っ嫌いで、ママに似て気の強かった私は、初めのうちは強がって平気なフリをしていた。「音痴だっていいじゃん、私は歌うことが好きなの」そう思っていた。

 だけど、ある日決定的なことが起こった。


 中二の冬休み。私は、近所の老人施設で行われた「慰問」という名のカラオケ大会に参加した。学校から強制されたボランティアみたいなもので、他の子はイヤイヤ行ってたけど私はノリノリだった。私たちはお年寄りのカラオケに手拍子をし、時にはみんなで一緒に歌ったりして和やかな時を過ごした。

「では最後に、中学生の代表の方からみなさんに歌のプレゼントがありまーす!」

「どもーよろしくでーす!」

 盛大な拍手に迎えられ、満を持して登場した私は「いくぜーっ!」と叫ぶと、魂を揺らすがごとく渾身の思いを込めて、マライアキャリーの「恋人たちのクリスマス」を熱唱した。その瞬間、今までニコニコと手を叩いていたおじいちゃん、おばあちゃんの顔色がどんどん変わっていった。耳を塞ぐ人、泣きだす人、部屋に帰りたいと大声をあげる人もいた。あげく、一番前に座っていた車椅子のおばあちゃんは具合を悪くしてうずくまってしまった。それを見たその横に座っていたおじいちゃんが持っていた杖を振り回して怒鳴ったのだ。

「今すぐ歌うのをやめろ!お前の声はノイズだ!」

 私はショックのあまりその場に立ちつくし、冬休みの間中「もう二度と歌なんて歌わない!」理由も言わずにそう叫んで布団に包まり、ママを困らせた。

 その一件は瞬く間に学校中の噂になり、それ以降、私のあだ名はノイズになったが、それじゃあんまりだという事でNOISEのスペルをひっくり返してみんなからSIONと呼ばれるようになった。えっ?Eはどこに行ったって?知らないよ、気にした事無いから。

 とにかく、それ以降、歌う事が大好きだった私は人前で歌う事をやめた。相変わらずハードロックを聴くのは大好きだったけど、この春志望校に合格してJKになった私は、校歌を歌う時はもちろん口パク。人前で歌うことのトラウマが植え付けられた私は、今じゃ歌うのはお風呂の中か、せいぜいママの前で鼻歌を鳴らすぐらいのものだ。

 

 そんな私がアイツに出会ったのは、高校生活にも何となく慣れた、四月半ばの穏やかな、何の変哲もない晴れの日のことだった。



「ねえシオン。約束のブツ持ってきたわよ」

 腐れ縁で同じ高校に進学した芽理が、鞄からほれ、と取り出したCDに私は思わず飛びついた。

「おおっマジでサンキュー。お兄さんにもお礼言っといて」

「兄貴も最近聞いてないからしばらく返さなくていいってさ」

 最近ジャケ買いしたバンドにすっかりハマってしまった私は、誰かれ構わず声をかけてそのバンドのアルバムを借りては聴き漁っていた。

 さっそく鞄からCDウォークマンを取り出してセットする。イヤホンから流れる、シビれるようなギターリフ。イントロから私の心が持ってかれる。コレよコレ。コレぞ私が求めていた音。すっかり聞き入ってイイ感じにノッてきた時、右隣からぬっと伸びた足が、私の机をコンコンと突つくのが見えた。

「なに?」

 イヤホンを外し不機嫌に尋ねる私に、足の主、隣の席の派手な髪色の男子が声をかけてきた。

「音漏れすげぇな」

「は?」

「音漏れだよ。イヤホンから爆音が漏れ出てる」

「ああ、ごめん。うるさかった?」

「お前女のくせにゴリゴリのロック聞いてるのな」

「は?女のくせにってなに?女がロック聞いちゃいけないの?てか、誰お前」

「わりぃわりぃ、そんな怒るなって。珍しいなと思っただけで悪意はねぇよ。にしても隣に座るこんなハンサムを忘れてもらっちゃ困るぜ」

「ウッザ。なにコイツ」

「ハハハ。俺は美月耶麻人だ、よろしく」

 差し出された手は無視して、私は自分の名前だけを答えた。

「……蔵土佳音」

「お前ってすんげぇハスキーボイスだな。カッコいいぜ」

「うるさい黙れ」

 それが耶麻人と私の出会いだった。

 その日から、耶麻人は私にグイグイ話しかけてくるようになって、あれは確か、四月も終わりかけた最終週の金曜日だったように思う。

「おはよう蔵土。今日の機嫌はどうだ?」

「おはよう。ってかアンタ毎日毎日ホント馴れ馴れしいわね」

「そう絡むなよ。この間お前が聞いてたあの曲、俺も好きなんだ。センスいいぜお前」

「何よ、今日は機嫌取り?まあセンスがいいのは認めるけどさ」

「なあ、蔵土はどんなタイプの曲が好きなんだ?」

「んー?ロックなら何でも聞くし特に決まって無いけど、しいて言うならギターがカッコイイやつ?」

「そっか、ならこれ聞いてみろよ。きっと気に入ると思うぜ。何せ俺がギターを始めるきっかけになったアルバムだ」

「へえ、あんたギターやってるんだ」

「おう、中学ん時のダチとバンド組んでる」

「ふーん」

 私は手渡されたCDジャケットを開いて眺めた。

「とにかく一回聞いてみてくれよ。速くて超テクってる曲からアコギが沁みる曲まで揃ってる。俺のおススメだ」

 そう言って耶麻人はクラスの男子と連れ立って教室から出て行った。

「ねぇ。シオンってば、なんか美月君とイイ感じじゃない?」

 私の腕をツンツンと突いて、芽理がニヤニヤと笑う。

「は?そんなんじゃないし」

「そう?私はお似合いだと思うよ。それに美月君てけっこうカッコいいじゃん」

「何それ。そんなに言うんだったら芽理がアタックすればいいじゃんか」

「アンタねえ。そんな呑気に構えてたらマジで誰かに獲られちゃうよ?ほらアレ見てみな?」

 芽理が小さく指さした先に、一目も憚らず教室でいちゃつくカップルがいた。

「げっ何アレ」

「最近付き合い始めたんだって。しかもさ……」

「何よ」

「もうって話しよ」

「えっマジでっ?」

「だからあんたも早いとこ唾付けとかないと、あっという間に掻っ攫われるよ。ウチは商業高校だし圧倒的に女子の方が多いんだから。この世は弱肉強食。人生は椅子取りゲームってね」

「意味わかんない」

 芽理とそんなやり取りをした放課後、帰ろうとした私に向かって、耶麻人がピンッと軽い音を立てて何かを飛ばした。

「何よこれ」

「ライブが決まったんだ。対バン形式のイベントで俺たちのバンドも出る。ヒマしてるなら来てくれよな。良かったら友達も誘ってよ」

「ライブ?……へぇ」

 それはギターのピックだった。その裏には小さくマジックで5月4日ベイサイドジーニー19時 ヨロシク!と書かれていた。

「お前も来て大声で叫んでみろよ。日頃のうっぷん晴らしには最高だぜ。俺のギターで必ずノセてやるからよ」

「……………………」

「ちょっとシオン、最高じゃん!行こうよライブ、私も連れてって!」

 芽理が私の腕を掴んで飛び跳ねた。

「えっ?ああ、うん。……考えとく」

 口ではそんな事を言いながら、その時私は、なぜか勝手にドキドキと音を立てる鼓動にどうしていいのか分からず、耶麻人が飛ばしたピックをじっと見つめていた。

「待ってるからよ」

 そう言って耶麻人が私の方をポンと叩く。私はその時耶麻人が見せた笑顔が眩しくって、思わず彼から目を逸らした。



「ねぇママ。ベイサイドジーニーってライブハウス知ってる?」

「わお!ひっさしぶりに聞いたわその名前」

 夕飯の支度を手伝いながら、私はママに尋ねた。

「有名?」

「そうねぇ。まあまあかな。フロアも中規模ってとこかだし。何で?ライブでもあるの?」

「ん、ちょっとした知り合いが出るみたいだし、芽理と行こうかなって」

「へえ、いいじゃん。その子どんな子?カッコいい?」

「べつに男目当てで行くんじゃないし!」

 私がムキになって言いかえすとママはプッと吹き出した。

「ライブかぁ。長い事行ってないわね。最後に行ったのは……きっとアレね。佳音と一緒に出たあの日のやつ。覚えてる?」

「もちろん。ママが昔働いてたアメ村のあそこでしょ」

「そうそう。店閉める最後の日。パパが昔組んでたバンドメンバーもその日はみんな集まってさ。パパがギター、私と佳音でダブルボーカル。最高だったわね」

「うん、私まだ7歳とかだったよ?けど、あの時はむちゃくちゃ気持ち良かった」

「懐かしいわね。あれからもう10年近く経つのかぁ」

 茹でたジャガイモの皮を剥いていた手を止めて、ママはそう呟いて目を瞑った。

「ねぇ、昔のパパってどんな感じだったの?イケてた?」

「佳音、今もイケてる」

「うーわ、やられた」

 私たちは二人、目を合わせて笑った。

「めちゃトッポかったしイカしてた。パパのバンドが出る日は女どもが群がってたのよ。パパ目当てでね」

「へぇ。ママよくゲットできたね」

「ふふん。私もめちゃめちゃイカしてたからね。店に来る男はみんな私とデートしたがってたわ」

「それってママが私ぐらいの頃の話だよね?すごいなぁ」

「まああの頃は毎日ゴキゲンな曲聴いてイケイケだったからね」

「ゴキゲンな曲ってどんな?」

「ドライブ行って、車の中でヤリまくろうぜ!みたいな曲」

「何それ?超笑けるんだけど」

「佳音は自分を安売りしちゃダメよ。ライブに行くんだったらこの中でナンバーワンはワタシ!みんなワタシに跪け!ぐらいの気持ちで行きな」

「安売りなんかしないよ。そんなママみたいな度胸も無いし」

 ママが剥いてくれたジャガイモをすり潰すと、辺りにモクモクと湯気が広がった。

「ねえママ」

「ん?」

「今年はパパ帰ってくるかな」

「そうねえ。夏には戻るって言ってたけど、どうかしらね」

「会いたいな、久しぶりに。私の誕生日にでも帰ってきてくれないかな」

「ホント、パパったらアンタが出来たってわかった途端にバンドも辞めて漁師になっちゃうなんてね。それもいつ帰るかも分からない遠い海の。自慢だった長い髪もバッサリ切っちゃったし人生なんてわかんないもんよね」

「私が知ってるパパはイカツイ海の男だからロン毛のパパなんて想像つかないな」

「だよねぇ。昔は髪を振り回してガンガンやってたんだけどね。その時のギターもまだあるはずよ」

「へぇ。そういや私、パパのギターも見たことない」

「興味あるなら弾いてみたら?」

「……怒られないかな」

「むしろ喜ぶんじゃない?押し入れの奥にあると思うから開けてみな?」

 私は洗った手を着ていたスウェットで拭いて、久しぶりにパパの部屋を覗いてみた。押入れにはママの言う通り、ギターが数台カバーに収められていた。私はその中の、一番私好みの、真っ黒なボディのギターを取り出した。

「……弦も張ったままなんだ」

 私は少し考えて、自分の部屋に戻ると制服のポケットに入れたままにしていた耶麻人のピックを取り出した。

「ドゥン」

 ためしに一番上の弦を軽く弾くと、低くて渋い音が部屋に響いた。

「ジャーーーン」

 私は今度は上の弦から下の弦まで一気にピックを走らせてみた。

「イイ音鳴らしてんじゃん」

 いつの間にか後ろに立っていたママが、笑いながらパチパチと拍手する。

「どう?弾いてみたくなった?」

「……うーん、まだわかんない」

「佳音、アンタが歌を歌わなくなった理由は知らないけど、胸の奥にあるアツいモノを吐き出したくなった時のためにイイ事を教えてあげる。ギターでもドラムでも人間でも、相手は何でもいいから心から寄り添えるモノを見つけてみな。きっとその時、アンタはまた歌が歌いたくなる」

「……ママ」

「さっ晩御飯食べようよ。ママお腹ペコペコだわ」

「うん」

 私は小さく頷いてパパの部屋を出た。後で片付けようとそのままにしたギターがルームライトに照らされて、私はその時なぜか、耶麻人の顔を思い出していた。



 薄暗いライブハウスの中は、溢れかえった人の熱気でスモークを焚いてるみたいに曇っていた。

「女性はワンドリンク付き500円っス」

 受付に立つ赤い髪をツンツンに立てたパンクな男が、列に並んだ私たちを無表情に捌いていく。チケットをもらって階段を降りていくと、ドン!ドン!と体を突き上げられるようなドラム音が奥から響いてきた。

「すごい……」

 芽理と私は思わず息をのんだ。階段を降りた先に広がったフロア。ママは中規模って言ってたけど、思ってたより全然広い。そのステージの中央に立つ鋲だらけの革ジャンを来た男が手を振り上げて叫んだ。

「1発目行くぜーっ!」

 ドーン!と雷が落ちたような衝撃とともに、掻き鳴らすギターが唸りを上げ、ベースとドラムのリズムが心臓を突き刺すように響いてくる。その瞬間フロアから歓声が上がり、そこにいた観客が一斉に拳を突き上げた。狂ったように叫ぶボーカルの声がメロディの波に乗って押し寄せ、音の渦の中にどんどん観衆を引き込んでいく。

「うおーっ!」

 あちこちから叫び声が生まれ、皆全身を激しく揺らしていた。

 そうだ、これだ!この感覚!7歳の時の私が感じたあの高揚感!思い出した!これがライブだ!

 気づけば私も芽理も、拳を振り上げ叫んでいた。歓声、絶叫、汗の匂いと爆発した制御不能な感情。こんなのCDからじゃ絶対味わえない。

「さ……う」

「えっ?なに?」

「さ……こ……」

「まって、何言ってっか全然聞こえないんだけど!」

「最高って言ってんの!」

 私と芽理はお互いギャーギャー喚きながら、名前も知らないそのバンドの音に体を預けていた。やがて彼らは3曲目を演奏し終えると「サンキューッ!」と手を振ってステージから去って行った。

「ちょっとマジでアツいんだけど」

 興奮冷めやらない芽理が火照った顔を近づけた。

「ホント最高!どうする?このまま聞いとく?いったんドリンクでも飲む?」

「うーん、そうねぇ……」

 そんな話をしていた私たちをどけよと言わんばかりに押しのけて、女の子の集団がステージに向かってすごい勢いで駆け抜けて行った。

「痛ッ何あれ」

「感じ悪くない?」

 私が文句を言ってやろうと、彼女たちに向かったその時、パッと照明が明るくなって、ステージ上に現れたバンドにさっきよりもさらに大きな歓声が沸いた。

「こんばんは、ようこそーっ!」

「あっ!」

「美月だ!」

 ボーカルの隣にギターを構えて立つ耶麻人は、学校で見るよりもずっと大人っぽく見えた。

「いくぜっ!」

 ボーカルの合図とともにドラムがカウントし、怒号のような歓声とともにフロアが揺れた。大げさじゃなくてマジで揺れた。ボーカルのメロディアスな甘い声を乗せる耶麻人の高速ギターが、一瞬でフロアを包みこむ。

「……かっこいいじゃん」

「えっ?何?」

「なっ何でもない!」

 思わず出た独り言を隠すように私が慌てて手を振ると、ステージの前、フロアの最前列にさっきの女たちが耶麻人に手を伸ばしているのが見えた。

「耶麻人!耶麻人!」

 女たちが口々に耶麻人の名を呼ぶ。

 それを見た瞬間、何故か私の胸がざわついた。

 この感情は何?わかんない、わかんないけど、知らない誰かなんかに美月を取られたくない!そんな思いに突き動かされて、理性がどこかに吹っ飛んだ私は、人波をかき分け必死に手を伸ばして、喉がちぎれるほどに叫んだ。

「耶麻人―ッ!」

 気づけば私は彼の名前を叫んでいた。私の金切り声が届いたのかはわからない。だけど伸ばした私の指の先、スポットライトに照らされた眩いほどに輝く耶麻人と私は目が合った。

 耶麻人は私を見てニヤリと笑うと、ギターから離した指で、銃を作って私を撃った。

 まるでスローモーションみたいな一瞬の出来事。

 それは、私のハートが完全に耶麻人に撃ち抜かれた瞬間だった。



 あの日のライブから数か月が経って、耶麻人が私の事をシオンと呼ぶようになってしばらく経った夏休みのある日、ママが嬉しそうに告げた「8月1日、私の誕生日にパパが帰ってくる」そんな、本来なら嬉しくってたまらないサプライズニュースを聞いた日に、ママと私は大喧嘩になった。

「どうしてなのシオン。パパの友だちも集まって、みんなで騒ごうって言ってるだけじゃない。何が気に入らないの?あの日みたいにアンタと私のボーカルで、また盛り上がろうよ」

「……歌いたくない」

「佳音?」

「歌いたくないよママ。ていうか歌えない」

「どうして?ねえ佳音、アンタに何があったかは知らないけど、アンタの誕生日と、パパが帰ってくるお祝いの日なのよ?」

「やだ、絶対ヤダ!パパが帰ってくるから尚更よ!私絶対に歌わないから!」

「佳音!」

 気づけば私は玄関のドアを蹴り飛ばすような勢いで、家を飛び出していた。

 吐きそうになるぐらい走ったあとで、私は街外れの電話BOXの中でうずくまって、声を殺して泣いた。どれぐらいそうしていたのかは分からないけど、コンコンとしつこく扉をノックする音に顔をあげると、街灯に照らされギターを肩に背負った耶麻人がいた。


「……何してんの」

「こっちのセリフだ、バカ。こんな時間にこんなとこで何やってんだよ」

「どうせバカだもん私」

「なあ、シオンどうしたんだよ。いったい何があった?いつものお前なら誰がバカだって突っかかってくるとこだろうが」

「………………」

「話してみろよ、ほら」

「……パパが帰って来るの」

「親父さんが?良かったじゃないか」

「うん、だけどママが……その日ライブでお祝いしようって。私とママで昔みたいにツインボーカルでって」

「それで?」

「でも、ダメなの。私もう昔みたいに歌えない。もう人前で歌う事なんて出来ないの」

「何でだよ、人前で歌うのが恥ずかしいのか?」

「そんなんじゃない!ねえ耶麻人、私がなんでシオンて呼ばれてるか教えてあげようか?私の歌声はノイズなの。私の歌は誰にも受け入れられない!私の声は聞いたみんなを悲しい思いにさせる、そんな声なの。パパだってきっと、私の歌を聞いたらきっと……私のこと、嫌いになるに決まってる」

「……そんなの、やってみなくちゃわからねぇだろ?」

「何も知らないくせに!わかってないのは耶麻人の方よ!」

 そう叫んだ途端、また涙が溢れだした。

「………………………………………」

 耶麻人はしばらくの間黙って、私が泣き止むのを待っていた。

「……なあシオン」

 耶麻人は私の肩を抱いてぐっと引き寄せるとおでこを合わせた。

「聞けよ、お前も知ってる曲だ」

 そう言うと、ヤマトはギターを鳴らし口ずさみ始めた。

「…………この曲」

 初めてヤマトが貸してくれたCDに入ってた、アコギのロックナンバー。

 乾いたアコースティックの音が、耶麻人の優しい歌声に合わさって、破裂しそうだった私の心をなだめるようにゆっくりと、沁み込んでいく。


  おい、立ち止まってみろよ

  お前があいつにされたことを教えてくれないか?

  ちょっと立ち止まって考えればわかるだろ?

  お前に必要なのは誰かってことが


  お前と一緒にいたい 

  心の底からそう思ってる お前もきっと同じなはずさ

  悲しみ 怒り お前をしばってるすべてのモノから

  解き放てるのは 俺だけ

  

  もう気づいてるだろ?

  お前に必要なのは誰かってことが

  俺はただお前の横で 

  同じ時を過ごしたいだけさ


  悲しみ 怒り お前をしばってるすべてのモノから

  解き放てるのは 俺だけ なんだよ


 耶麻人が歌い終わってからも私はしばらく俯いたまま黙っていた。そんな私の肩を耶麻人はまたそっと抱き寄せた。

「……俺を信じろ」

 耶麻人の胸に顔をうずめて彼の温度を感じていた私は、その言葉にバッと顔を上げた。

「信じろって、どうやって?」

「信じるんだよ、ただシンプルに。何も難しく考える必要は無いさ。シオンの心のままに、思いを叫べばいい。あとは俺のギターが連れてってやる。俺たち二人しか行けない場所へな」

「……そんな、そんなこと」

 耶麻人が私の唇に人差し指を当てた。

「考えんな。いいか?頭空っぽにして、俺に合わせろ。ワン、ツー、スリー、フォー」


  おい、立ち止まってみろよ

  お前があいつにされたことを教えてくれないか

  

 カウントに合わせて、じっと私を見つめる耶麻人のあとを追いかけるように、私は小さく歌い出した。


  ちょっと立ち止まって考えればわかるだろ?

  お前に必要なのは誰かってことが


 歌いながら耶麻人を見つめる。耶麻人の目が「いいぞ、その調子だ」そう呟く。


  お前と一緒にいたい 

  心の底からそう思ってる お前もきっと同じなはずさ

  悲しみ 怒り お前をしばってるすべてのモノから

  解き放てるのは 俺だけ


 耶麻人、耶麻人……。

 二人で口ずさみながら、私は心の中で耶麻人の名を呼んだ。

 耶麻人、私歌ってる。私今、歌ってるよね。

 私は彼に寄り添うようにもたれかかって歌っていた。耶麻人のギター、温もり、優しい声。そのすべてに包まれながら。




「良かったぜ、シオン」

「……うん」

 私はまだ夢見心地だった。

「ねぇ耶麻人」

「ん?」

「私、歌っていいのかな。耶麻人のギターにだったら……ねぇ、耶麻人……私……」

「いいに決まってんだろ」

 耶麻人は私の髪をクシャクシャと撫でた。私はそんな彼に顔を近づけると、そっと目を閉じた。

 私の唇に、耶麻人の唇が優しく重なる。

 私たちは唇を合わせたままお互いを抱きしめて、夜の間中ずっと、離れなかった。



 朝日が昇ってから、送ってくれた耶麻人に手を振って家に戻ると、リビングのテーブルに突っ伏したママがいた。

「佳音?帰ったの?」

「ゴメン、ママ」

 ママは何も言わずぎゅっと私を抱きしめた後、笑いながら私の頬っぺたをぎゅっとつまんだ。ママの目は泣きはらしたように真っ赤だった。

「佳音、謝るのはママの方よ。私、あなたの気持ちを考えてなかった。ダメな母親ね」

「歌うよ」

「えっ?」

「私、歌う。ママと二人、あの日みたいにツインボーカルで」

「……佳音」

「だけど、一つお願いがあるの」

「なんでも言って佳音」

「紹介したい人がいるの。それでその、私たちのライブに、あっソイツ耶麻人って言うんだけど……ライブの日に耶麻人をリードギターに加えてほしいの」

 ママは少し驚いた顔をしたあと、茶目っ気たっぷりに言った。

「へえ、その子って腕は確かなんでしょうね。私と佳音のボーカルについて来れるのかしら?」

「もちろんよ、私が保証する。だって耶麻人のギターがもう一度私に歌わせてくれたんだもん」

 私がそう言って笑うと、ママも目を拭きながら、クスリと笑った。


「耶麻人―っ!」

 翌日、呼び出した先に見えた耶麻人に駆け寄って、私は思い切り抱きついた。

「はい、これっ」

「うわっと!おっおい、何だよコレ?ピック?」

「招待状よ!来ないと許さないからね!」

 ピックに赤いマーカーで書いた、私からのラブレター。


 8月1日クラブリッツ18時 ヨロシク!

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