第4話 鶴は友に見守られ


 麓の町は、そこそこ繁盛していると思う。

 毛皮や内臓は商人達も買い付けに来るし、農作も順調で豊作が続いている。千鶴は物々交換で米や野菜、調味料を手に入れて荷台に積んでいた。勿論銭も手に入った。

 事情を知っている町の鞣し業者は千鶴が卸した毛皮に一瞬不審そうな顔をしたが、深く追求してこなかった。期間的に、父が生前狩った獲物の毛皮と思われたかもしれない。深く聞かれないならそれで良かった。

 何せ、千鶴は既にグッタリしている。


(朝から疲れた…)


 荷台をガラガラ引きながら、千鶴は疲れ切った顔をしてうつろな目で空を見上げた。太陽は真上。お空きれい。

 それもこれも、麓へ下山する重労働よりも、出発前の騒動で気力を吸い取られた所為だ。


 百が人間の男に化けた。

 それがめっぽう美人な男性だったことはこの際どうでもいい。問題は、人間に化けた百が全裸だったことだ。


 体勢も悪かった。百はじゃれるように千鶴を押し倒していて、その状態で人間に化けたものだから全裸の男に押し倒される千鶴、なんて構図が出来上がってしまった。


 驚愕と羞恥で絶叫した千鶴。何故叫ばれたのかわかっていない百。千鶴の絶叫に反応して飛び出した三郎は、原因である百の尻に噛みついた。


 そりゃぁもう、大混乱地獄絵図。

 百が半泣きで人間の姿のまま威嚇し、三郎が果敢に噛みついて、千鶴は混乱から抜け出すのに暫く時間を要した。だって全裸の男は全裸のままだったから。


(おっとうの着物を持ってくるまで、まったく落ち着けなかったよ…)


 着せるにしても、獣だった百に着物の着方がわかるはずもない。着せるところまで千鶴がやったが、その間薄目だったのは勘弁して欲しい。

 猟師達の宴会で酔って着物を脱ぎ散らかす、なんてよくあった。だから男の裸など見慣れていたし、本来ならそこまで取り乱すことでもなかった。そう思ったが、年の離れた男と年の近い男では感じ方がまったく違った。

 あと流石に全裸になる奴はいなかったので、千鶴が取り乱すのは仕方のないことだ。


(しかし、おっとうの着物…丈も合わないし色も合わないしまったく似合っていなかったな)


 父は小柄ではなかったが、百が大柄すぎた。獣であるときの姿も大きな猫だし、人間の姿でもとても大きく立派だった。背丈の話だ。

 真っ白い髪と肌、精悍な顔つきの男に、父の鼠色の着物は似合わない。


 ちなみに、折角人に化けた百だが三郎と一緒に集合所で留守番をしている。

 着物はつるつるてんだし、百の髪は獣の毛並みと同じ白。縞模様の黒は何処へ行ったのかと問いたくなるくらい白かった。

 …何より、姿形は人に近くなったが…夕焼けの瞳は肉食獣のままだし、頭部には丸みを帯びた耳が生え、尻から尾が生えたままだった。

 連れ歩けるわけがない。


(仕方がない。この銭も百のおかげで手に入ったようなものだし、布を買って着物を縫うか)


 裁縫は得意だ。女の仕事として任されていたし、男達が狩りに出ている間にもくもくと取り込むことができた。猟師達にはよい嫁になれると褒められたから、ヘタではないはずだ。


 千鶴は荷台を引きながら、布を取り扱う呉服商へと足を向けた。

 麓にある呉服商は小さな町で一番大きな店だ。千鶴も昔からお世話になっているし、布はここで買える。千鶴は店の前に荷台をおいて、店先から中を覗き込んだ。


「梅吉さん、いるかい」

「はぁい…あれ、千鶴ちゃん!」


 声を掛けて振り返ったのは、千鶴より幾何か年上の丸い鼻がご愛嬌の男。

 呉服商「機織はたおり」の跡取り息子、梅吉だ。

 彼には大変お世話になっておいて、千鶴にとって兄のような存在である。


「久しぶりだね…! おじさんの件は本当に残念で…ええと、大丈夫かい。千鶴ちゃんだけあの小屋に残っていると聞いているけど…」

「ああ、あそこに残っているけど、大丈夫だよ。三郎もいて一人じゃないし」

「だとしても若い娘があんなところに居るのは危険だよ。万造さんとの思い出深い場所なのはわかるけど、麓に来た方がよくないかい」

「心配してくれているのはわかるけど、麓に下りる気はないよ」


 心から心配して言ってくれていると分かるので、穏やかに対応できた。

 昔からの知り合いだ。梅吉の人の良さはわかっている。それでも商売人として厳しくあれる人なので、千鶴の友人達はこぞって彼の妻の座を狙っていた。


「それよりも、布が欲しいんだ。見せてくれない?」

「そりゃあ勿論構わないけど…本当にこのままでいいのかい。源一は何も言っていないのかい」

「源一がどうかしたのかい?」


 源一とは、麓の肉屋を手伝っている千鶴の幼馴染みだ。

 彼の父親は千鶴の父と一緒に猟師をしているが、源一は気弱な性格で猟銃を握ることができなかった。親同士が仲間同士なので顔を合わせて何度か遊んだことがあるが、ここ最近はめっきり会っていない。

 何より彼の父親は父と同僚の猟師。今はあまり顔を合わせたくない相手だ。


「だめよ梅吉さん。この子、ぜんぜんわかっていないんだから」

「それが鶴ちゃんの可愛いところですけどもぉ」


 梅吉と話していたら、背後から知った声が割って入る。振り返ると、麓の友人が二人立っていた。


「八重ちゃん、富ちゃん」


 千鶴の友人である八重と富子は、千鶴が麓に下りてきていると誰かから聞いたのだろう。探し回ってくれたのか、軽く息を乱しながら呉服商に入ってくる。彼女たちは幼い頃から付き合いのある、千鶴の友人だ。

 猟師の手伝いばかりで山に籠もりがちな千鶴。そんな彼女を友だと言ってくれる貴重な友人。

 二人は一瞬気遣わしげに千鶴を見たが、千鶴がしゃんと立っているのを見て表情を緩めた。


「もう、あれから一切顔を見せないで、やっと下りて来たかと思ったら私達に会わず帰る気だったでしょう」

「私達は上に行っちゃいけないって言われているんですから、鶴ちゃんが来てくれないと会えないんですよぉ。忘れずに顔を見せて貰わないと。何なら暫くうちにいてくれたっていいんですよぉ」

「いや、ちゃんと顔を見せるつもりだったよ。本当だよ」


 思わず視線を逸らしてしまう。今回は疲れたから、買うものを買ってさっさと帰ろうと思っていた。布を買えば、百の着物を縫わねばならないし。


(…それと、おっとうのことをわかっている人と話すのは、辛い)


 梅吉の場合は人柄を知っていて、商売上仕方がなく話すが、腰を落ち着かせて会話するのはまだ辛い。

 そんな気持ちはお見通しなのだろう。黄紅葉の小袖を着た八重が声を潜めて呟く。


「本当に心配していたんだよ。アンタったら墓参りにも来ないから」


 父は麓で弔われた。山で弔えば、肉食獣が土を掘り返してしまうからだ。

 麓には共同墓地があるから、父の万造はそこに弔われている。

 本来なら弔ったあとも墓参りをしてお供えをする必要があるのだが、千鶴はそれらを放り出して集合所へと戻った。そしてそれを、猟師達は止めなかった。

 お供えは私達がした、と八重がこっそり教えてくれたので、千鶴は申し訳なさとありがたさから絞り出すようにお礼を言った。


「ちなみにあと一日来るのが遅ければ、新次朗さんが様子を見に行くって言っていましたよぅ」

「新次朗おじさんが…そうかい」


 杜若の小袖を着た小柄な富子が擦り寄りながら続けた言葉に、千鶴は浮かべていた笑みを消した。そんな千鶴を、友人達は気遣わしげに見上げてくる。


 新次朗は千鶴の父、万造の親友だ。親友だった。

 同じ猟師で、寡黙な万造と闊達な新次朗は組んで狩りをすることが多かった。あの日は一緒じゃなかったようだが、だからこそ千鶴は猟師仲間の中で彼に一番世話になった。第二の父のように思っていたかもしれない。

 しかし彼もまた、父が死んだのに「討伐隊」に報告しないと決めた大人の一人だ。


「…おじさん達とは、まだ顔を合わせたくないねぇ…」


 落ちた呟きはどうしても暗くなる。

 八重と富子は顔を見合わせて、千鶴の沈んだ肩を撫でてくれた。


 二人とも詳しい事情は知らない。千鶴が父親を亡くしたことだけを知っていて、原因をどう聞いているのか、千鶴は問うことができなかった。ここで熊に襲われたなんて言われたら、千鶴は本当のことを叫んでしまう。

 報告義務があるのだから、それでいいのかもしれない。ここから騒ぎを起こして訴えれば村長も報告に踏み出すかも。しかし確実に混乱を招く。


(「歪」がどこに居るかわからないこの状態はよくない。わかっているのに、なんで何もしないんだ)


 麓は繁盛しているが「歪」が出たとあっては商人達が逃げ出す可能性がある。そうならないよう、早急に対処する必要があるのに。

 下を向いた千鶴の視界は、目の前でパンと手を叩かれて上向いた。


「ほら、布を選びに来たんだろう。早くしないと日が暮れて、麓に泊まることになるよ」


 手を叩いた梅吉が、穏やかな顔で千鶴に微笑みかける。

 丸い鼻が愛嬌の彼はその穏やかな表情がよく似合う。顔を上げた千鶴は、苦笑を零して頷いた。

 そうだ。早く決めないと、日が沈んでしまう。今は日が長い季節だが油断はできない。


「そういえば珍しく新調するようね。何色にするか決めたの? 枯葉と黄の組み合わせで朽葉? いいえ蘇芳と萌黄で萩?」

「蘇芳と赤の椿はどうですかぁ? 鶴ちゃんはもっとはっきりした色が似合うと思うんですよぅ」


 きゃっきゃと二人も声を高くして勧めてくれる。何かあると感じながら触れないようにしてくれているのだろう。それでも両側から手を握ってくれている二人の気遣いが嬉しい。

 嬉しくて、つい口が滑った。


「いや、今回はあたしじゃなくて、百の着物でね。色の白い男性なんだけど…」

「「男ぉ!?」」

「あっ」


 気遣いに溢れていた二人の顔が、好奇心で一気に塗りつぶされる。ぎゅんっと音が聞こえるほどの勢いで見上げてきた。

 繋いでいた手は、いつの間にか絡めるように組まれていた。


 それから二人からの追及が始まったのは仕方のないことである。


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