第7話 自然の声
虹色に輝く湖のほとりに立つ悠真とアスカは、足元に広がる異様な景色を見つめていた。湖の水面は穏やかに揺れ、虹色の光が波紋のように辺り一帯に広がっている。その輝きは美しくもあり、得体の知れない威圧感をも感じさせた。
「空クジラに届くような大木を育てるには、この湖の水が鍵になる」
悠真が湖を見つめながら呟いた。アスカは慎重に湖の水に視線を向け、小さく首を傾げる。
「カサブランカの力だけじゃ、足りないの?」
「カサブランカの霧は確かにすごい。でも、それだけじゃ広い範囲をカバーできないよ」
悠真は一瞬視線を落とし、湖の水面を見つめる。
「この湖、たぶん空クジラの雨が溜まって虹色に輝いているんだ。だから……同じような力があるかもしれない」
悠真は小さなカップを取り出し、湖の水をそっと掬い上げた。その動作にアスカは一歩後ろへ下がりながらも、興味深そうに見守っていた。
「ちょっと試してみるよ」
悠真は掬った水を近くの草花へ慎重にかけた。すると、草花が一瞬鮮やかな緑色に変わり、わずかに膨らむように成長したが、それ以上の変化はなかった。
「……少しだけ反応してる。でも、空クジラの雨みたいな急激な生長はないみたいだ」
悠真が呟くと、アスカも眉をひそめて考え込んだ。
「湖の水だけじゃ足りないのかな。それとも、何かが違う……?」
そのとき、背後に控えていたカサブランカが静かに動き出した。二人は反射的に振り返り、その巨大な体が湖の方へ向かってゆっくりと進むのを見つめた。
「カサブランカ?」
カサブランカは体表を虹色に明滅させながら、湖の水面にノズルのような器官を伸ばした。そして低い振動音を響かせながら、水を吸い上げ始めた。
「湖の水を……吸い上げてる?」
アスカが目を見張ると、カサブランカは吸い上げた水を霧状に変え、周囲に噴霧し始めた。その霧が森の植物に降り注ぐと、静かだった枝葉がかすかに揺れ、目に見えて成長し始める。
「これって……!」
悠真が驚きの声を上げた。植物の茎は太くなり、葉は大きく広がり、命を吹き込まれるように変化していく。カサブランカが放つ虹色の霧は、湖の水の力を何倍にも増幅しているようだった。
「やっぱり湖の水に秘密があるんだ。それを使うことで、カサブランカの力がさらに引き出される! これなら……空クジラに届く木を育てられるかもしれない!」
悠真は思わず声を上げたが、やがて冷静になり、周囲を見回した。
「でも、この範囲だけじゃ全然足りない。もっと効果的に使わないと」
アスカも湖とカサブランカを交互に見ながら頷いた。
「確かに……どこにどう育てるか計画しないとダメだね」
悠真は少し考え込んだ後、自分の家の裏手に広がる竹林を思い出した。
「そうだ……竹藪を利用するのはどうだろう?」
「竹藪?」
アスカが不思議そうに聞き返すと、悠真は説明を続けた。
「あの竹藪はもともと丈夫で、前に空クジラに届くまで伸ばしたことがあるんだ。それはもう折れてしまったけど……カサブランカの力を使えば、次はもっと強く高く育てることができるはずだよ」
その言葉に、アスカは理解したように頷いた。
「それなら、空クジラに届く可能性があるね。試してみる価値がありそう!」
悠真はアスカに頷き返し、カサブランカに声をかけた。
「カサブランカ、頼めるか?」
カサブランカは虹色の光を柔らかく揺らめかせ、静かに一歩前に出た。その仕草は「任せてくれ」と言っているようだった。
自宅に戻ると、勝二が庭の椅子に腰かけ、のんびりと空を見上げていた。その表情は穏やかで、悠真たちが近づくとすぐに気づいた。
「おお、随分早い帰りじゃのう。今日は何か大きな収穫でもあったか?」
勝二の視線がカサブランカの巨大な体に向けられたが、特に驚いた様子もなく、微笑みを浮かべたままだった。悠真は少し緊張しながら口を開いた。
「じいちゃん、竹藪で試したいことがあるんだ。カサブランカの力で竹をもっと高く育てて、空クジラに届かせたいんだ」
勝二は椅子から立ち上がり、悠真の目をじっと見つめた。その後、ゆっくりと頷いて言った。
「ほう……なるほどな。やれるとこまでやってみい」
「ありがとう、じいちゃん!」
悠真の目には、決意と感謝の色が浮かんでいた。
竹藪に到着すると、悠真とアスカはカサブランカの力を使う準備を始めた。アスカが周囲の安全を確認し、悠真がカサブランカに具体的な指示を出す。
「カサブランカ、この竹藪の根元に霧を集中して放ってくれる?」
悠真の声に応えるように、カサブランカがゆっくりと動き、ノズルを竹藪の根元に向けた。そして虹色の霧が静かに放たれ、竹藪全体を優しく覆い始める。
霧が竹に降り注ぐと、驚くべき変化が起こった。竹の節が膨らみ、茎がぐんぐんと太く、高く伸びていく。目に見える速度で成長する竹に、アスカは思わず歓声を上げた。
「すごい……本当に成長してる」
悠真もその様子を見上げながら呟く。
「こんなに早く育つなんて……すごいけど、何か変な感じがする」
竹が風に揺れる音は力強く、その成長ぶりに希望を感じる反面、どこか不安定な印象を与えていた。
「これなら空クジラに届くかもしれない。でも……」
悠真の声が少し低くなった。
「……普通なら何年もかけて育つはずの竹が、たった数分でこんなに伸びていくなんて……やっぱり空クジラの雨は変だよ」
その言葉に、アスカも黙って竹を見上げた。竹の葉が揺れる音が、まるで何かを訴えているように感じられた。
成長する竹を観察しているうちに、いくつかの竹が途中で成長を止めたり、枯れるようにしおれていく様子が目についた。
「これ……全部が元気に育つわけじゃないんだね」
アスカがしぼんだ竹を指差しながら言う。
「たぶん、栄養が行き渡らない竹が出てくるんだ。このまま続けたら、竹自体が持たなくなるかもしれない……」
悠真が竹の根元に触れながら呟いた。その手に伝わる感触は力強いはずなのに、どこか冷たく感じた。
「急激に育てるのは、竹にとっても負担なんだろうな……」
その言葉に、アスカは小さく頷きながら竹を見つめた。
「植物って人と同じ、生き物なんだね。無理やり成長させられるのって、私たちが無理をするのと同じくらい苦しいのかも……」
その言葉を聞き、悠真はハッとした表情を見せた。
「そっか……僕たちは、自分のためだけに竹に無理をさせてるのかもしれない」
カサブランカが虹色の光を静かに明滅させた。その動きは、彼らの考えを後押しするようにも見えた。
「……そうか」
悠真は竹を見上げながら呟いた。その目に、これまでの焦りとは違う強い意志が宿り始めていた。
「空クジラが止まらない限り、この世界の植物たちはずっと無理をさせられ続ける……空クジラの雨で、無理やり成長させられて、最後は枯れてしまう。これじゃ、植物だって生きていけない」
アスカはその言葉に驚き、しかし静かに頷いた。
悠真は目を閉じ、竹の葉が揺れる音に耳を澄ませた。それは、まるで竹が「助けて」と言っているようにも感じられた。
「じいちゃんがいつも言ってるんだ、畑の野菜は食べられる分だけ収穫しろって。自然は循環しているから、取りすぎても、与えすぎても、バランスが壊れるだけだって……」
悠真は竹藪全体を見渡し、拳を強く握った。
「空クジラを止めよう。僕たちだけのためじゃない。この世界の植物や生き物たちのためにも、絶対に……」
その言葉に、アスカも決意を固めたように深く頷いた。
「うん。空クジラを止めて、この星を元の状態に戻そう」
竹藪の葉が再び風に揺れた。彼らの決意を聞いたかのように、さらさらと音を立て、森全体が味方になったように感じられた。
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