第6話 空への挑戦

 翌朝、空にはまだ夜の名残があり、薄青い霞が森を覆っていた。悠真とアスカは庭に立ち、異常な夏の暑さを肌から感じていた。背後にはカサブランカが佇み、その巨大な体が朝日に溶け込むように虹色の光をゆっくりと脈動させている。


 アスカは小さな緊張と期待が混ざり合っていた。


「まずは、この翼がどれくらい動くか試してみようかな」


 アスカは背中の翼を広げ、慎重に動かし始めた。

 

「……意外と力がいるんだね」


 翼を動かすたびに筋肉に力が入り、アスカは少し息を切らせながら呟いた。その羽ばたきはゆっくりとしたもので、風が小さく巻き起こり、彼女の髪をそっと揺らした。


「どう? 悠真、ちゃんと動いてる?」


 アスカが振り返ると、悠真は笑顔で頷いた。


「すごく綺麗に動いてるよ。風まで感じるなんて、本当にすごい」


 その言葉に少し安心したように、アスカは何度か翼を大きく羽ばたかせた。空気がわずかに流れ、周囲の木々がさらさらと音を立てる。


「次は、軽く地面を蹴ってみようよ」


 悠真が提案すると、アスカは少し緊張しながらも頷き、足元をしっかりと固めた。そして軽く地面を蹴ると同時に翼を羽ばたかせる。


「わっ……!」


 アスカの体がほんの少し浮き上がったが、すぐにバランスを崩し、地面に降りた。膝をつきながらも、彼女の顔には驚きと喜びが混じっている。


「アスカ、大丈夫?」


 悠真が駆け寄ると、アスカは息を整えながら顔を上げた。


「うん、ちょっと驚いたけど、浮いたよ……ほんの少しだけどね」


 その言葉には失敗の中にも確かな手応えが感じられた。悠真は笑顔で励ます。


「浮いたってことは確実に前進してるよ。次はもう少しリラックスしてやってみよう」


 アスカはその言葉に力強く頷いた。彼女の視線には失敗を恐れない決意が宿っている。


「うん、もう一度やってみる」


 翼を羽ばたかせるたび、筋肉の疲労が徐々に蓄積していくのを感じながらも、アスカは何度も繰り返した。風が巻き起こり、周囲の草が揺れる。その様子を、カサブランカはじっと見守っていた。


 アスカが再び地面に膝をついた頃、太陽はすっかり上空に昇り、夏の日差しが燦々と降り注いでいた。彼女は肩で息をしながら、地面に視線を落とす。


「なんで……どうして上手くいかないんだろう……」


 その声には焦りと悔しさが滲んでいる。翼の根元からじんじんと痛みが広がり、彼女の表情には苛立ちが見えた。


「アスカ、頑張りすぎだよ。今日はもう休もう」


 悠真が優しく声をかけるが、アスカは首を横に振る。


「でも、このままじゃ……いつまで経っても空クジラに近づけないよ」


 その声は震え、涙が滲んでいるようだった。何度挑戦しても上手くいかない現実に、彼女の心は限界に近づいている。


 庭の隅でじっと彼女を見つめていたカサブランカが、ゆっくりと体を動かし始めた。その動きに悠真とアスカは顔を上げる。


「カサブランカ……?」


 カサブランカの体表が鮮やかに虹色の光を揺らめかせた後、足元から霧のようなものが立ち昇り始める。それは優しく広がり、庭全体を覆う。


「何をしてるんだろう……?」


 アスカが呟くと、カサブランカの足元から虹色の水が噴き出し、地面を濡らし始めた。その水が触れた場所から、小さな芽が顔を出し、みるみる成長していく。庭一面が色とりどりの花畑へと変わる。


「すごい……!」


 アスカは立ち尽くし、その光景に息を呑んだ。咲き誇る花々の中に足を踏み入れ、そっと手を伸ばして一輪を撫でる。


「これ……私を励ましてくれてるの?」


 彼女の呟きに、カサブランカは虹色の光をさらに鮮やかに揺らめかせた。その様子を見て、アスカの表情が少しずつ柔らかくなる。


「ありがとう、カサブランカ。私、もう少し頑張れる気がする」


 その言葉に、悠真が微笑んで言った。


「ほら、みんな君を応援してる。焦らず、自分のペースでいこう」


 アスカはその言葉に頷き、もう一度翼を広げた。花々が風に揺れ、彼女を励ますかのように光を浴びている。その光景の中で、彼女の目に再び強い意志が宿っていた。 


 悠真はその光景を見つめながら、咲き誇る花々とカサブランカの虹色の光に目を留めた。 そして、ふと何かを思い出すように顔を上げた。


「そうか……植物を成長させればいいんだ!」


 その言葉にアスカが目を細め、首をかしげる。


「どういうこと?」


 悠真は少し興奮したようにアスカとカサブランカを交互に見ながら続けた。


「空クジラの雨には植物を異常に生長させる力があるんだ。もしその力を上手く利用できれば……例えば、空まで届くような巨大な木を育てて、僕らも空クジラに近づけるんじゃないか?」


 その言葉にアスカが目を見開く。


「だけど……次に空クジラがいつ雨を降らせるのかわからないよ……」


 悠真は頷きながら周囲を見回した。庭の草木は美しく繁茂しているが、それだけでは空クジラに届くには程遠い。


「湖だ! 昨日見たあの虹色に輝く湖。あれって、空クジラの雨が溜まってると思うんだ。その水を使えば……何とかなるかもしれない!」


 アスカの瞳が少しずつ輝きを取り戻す。


「やる価値がありそうね!」


「よし、まずは湖に行こう! そこで計画を立てて、どうやって空クジラに近づくかを考えよう」


 カサブランカは二人のやり取りをじっと見守っていたが、虹色の光をさらに鮮やかに揺らめかせ、静かに一歩前に出た。その動きはまるで「賛成だ」と伝えているようだった。

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