第3話 虹色の石と静かな兆し
翌朝、淡い朝焼けの中、静かな森に包まれて悠真は目を覚ました。木々の間を漂う霧が、日の光を受けて銀色に輝いている。耳を澄ますと、風が葉を揺らす音が微かに聞こえた。
悠真は布団から体を起こし、ふと窓の外を見る。庭にはアスカの姿があった。彼女は一人、じっと畑の野菜を見つめている。トマトの赤、ナスの紫、キュウリの緑。それらの鮮やかな色彩が朝日を浴びて、背中の翼も虹色にきらめかせていた。
「アスカ、どうしたの?」
悠真は慎重に声をかけながら庭に下りていった。アスカは振り返り、穏やかな笑みを浮かべる。その瞳には、説明しがたい感情が宿っていた。
「この野菜たち……とても生き生きしてる。まるで、命が溢れてるみたい」
アスカの声は静かだったが、その一言には感嘆と不思議さが混じっていた。悠真は一瞬、彼女の視線を追いかけたあと、深いため息をついた。
「空クジラの雨のせいだよ。この雨で僕らは食いつないでる。だけど……この雨は僕らにとって……っ」
悠真はそこまで言って、言葉を詰まらせた。両親の姿がふいに脳裏をよぎる。雨に濡れ、ゆっくりと樹木に変わっていく光景。悠真の拳は、気づけば固く握られていた。
「ごめんなさい。嫌なことを思い出させた?」
アスカがそっと問いかける。その声には、本心からの気遣いが感じられた。翼を小さく震わせながら、アスカは申し訳なさそうに視線を逸らす。
「アスカが謝ることじゃないよ。でも、僕は絶対に空クジラを許さない。あいつを……どうにかして止めたいんだ」
悠真の声には、自分自身でもどうしようもない怒りと悲しみが滲んでいた。アスカは少し困ったような微笑みを浮かべた。その微笑みはどこか儚げで、だがその奥に芯の強さも見える。
「どうすれば分からないけど……私も一緒に考えてもいい?」
悠真は一瞬黙り込んだ。アスカが何者なのか、まだ何一つ分からない。けれども、彼女のその瞳を見ていると、断る気にはなれなかった。
「……うん。アスカには聞きたいこともたくさんあるし。一緒に考えよう」
悠真が頷くと、アスカは少し安心したように笑みを浮かべた。二人は庭を見つめながら、しばらく無言で立ち尽くした。空は青く澄み渡り、遠くで鳥のさえずりが響く。その穏やかな時間の中で、わずかだが確かな信頼が二人の間に芽生え始めていた。
それから数日が過ぎ、アスカは徐々にこの家での生活に馴染んできた。最初は緊張していた彼女も、庭の畑の手伝いをしたり、勝二の古い本棚から見つけた本を読んだりして、自然と笑顔を見せるようになった。
ある日、夕暮れ時の庭で、悠真がふと外に出ると、アスカが庭の隅で何かをじっと見つめているのに気づいた。
「アスカ、なにしてるの?」
悠真が声をかけると、アスカは指を差して示した。それは庭の片隅にある苔むした石だった。夕日の光が当たると、石の表面が虹色に揺らめいていた。
「悠真みて。この石、光が当たるとこんな風に光るの。普通の石じゃないみたい」
アスカの声には不思議な響きがあった。悠真はその石に近づき、じっくりと観察した。
「……これは、空クジラの雨の色と似てる」
二人は顔を見合わせた。その石が何を意味するのかは分からなかったが、どこか引き寄せられるような感覚があった。
その夜、夕食後に勝二も加わり、三人で石を囲んで話をすることになった。ランプの明かりの下、石は柔らかな虹色の光を揺らめかせている。
「じいちゃん、この石、庭で見つけたんだ。きっと空クジラと何か関係があるよ!」
悠真が興奮気味に石を指差すと、勝二は手を伸ばして石を手に取り、じっと観察した。
「ほう……珍しい石じゃな。ただの石がこんなふうになるのは妙じゃな」
勝二は頷きながら石を回転させて眺めた。
「空クジラの雨が植物を育て、街を森を変えたんじゃ。石に影響を与えてもおかしくはないのう」
「不思議な色……でも綺麗……」
アスカは石を見つめながら呟いた。その声には、雨がもたらす未知の力への戸惑いと興味が混ざっている。
悠真はふと思い立ったように視線を上げた。
「そういえば……森の奥に湖があるんだ」
「湖……?」
アスカが小さく首をかしげる。
「うん、子どものころ、何度か行ったことがあるんだ。すごく静かで、透明な湖だった……」
悠真は言葉を詰まらせながらも、その先を続けた。
「庭の石だってこんな風に変わったんだ。だったら……あの湖も、何か起きてるかもしれない」
アスカはじっと考えるように視線を落としていたが、やがて顔を上げて言った。
「私……その湖、見てみたい」
その言葉に、悠真は力強く頷いた。
「明日、行こう。きっと何かがある。僕たちの知らない、何かが……」
勝二は軽く笑いながら頷いた。
「気をつけるんじゃぞ。空クジラは自然環境に影響を与えておる。そして自然はわしらに答えをくれることもあるが、同時に厳しい顔を見せることもある」
静かな夜の空気が三人を包む中、明日の行動が静かに決まった。
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