第37話 一番の妻
窓から差し込む日差しで、ドロシーはゆっくりと目を覚ました。
「……わっ」
目を開けてすぐ、つい声を出してしまう。だって、あまりにも近くにベルンハルトの顔があったから。
ベルンハルトはまだ眠っているようだ。
ベルンハルト様って、結構、睫毛が長いわよね。
髪の毛はちょっと癖毛っぽい。わたくしの髪よりは硬めね。
ベルンハルトを起こしてしまわないように、動かずに彼を観察する。見慣れた顔だが、寝顔を見るのは初めてだ。
昨晩、初めてベルンハルトとベッドを共にした。残念ながら文字通りの意味でしかないのだが、それでも、ドロシーにとっては幸せな一夜だった。
好きな人と眠ると、こんなに幸せな気持ちになるのね。
「ベルンハルト様」
耳元でそっと名前を囁いてみる。ベルンハルトは起きなかったが、ううん……とわずかに声をもらした。
なんだか、すごく可愛いわ。
今度は、つん、と頬をつついてみる。やはり起きなかったけれど、嫌そうに顔を背けられてしまった。
わたくし、このまま何時間でもこうしていられそう……!
次はどうしようかとわくわくしていたら、不意に扉が激しくノックされた。
慌てて飛び起きたのはドロシーだけではない。
「入りますからね!」
大声でそう言い、中に入ってきたのはアデルだった。ベッドの上で慌てている二人を見て、まあ……とにやにやする。
「ベルンハルト様も起きてこないと思っていましたが、まさかご一緒しているとは」
「……俺たちは結婚したんだぞ」
ベルンハルトがぶすっとした顔で言い返したものの、アデルは楽しそうに笑ったままだ。
「ええ。とても嬉しく思っています。お二人がこうして夜を共にしたことも!」
きらきらと期待に満ちた眼差しを向けられ、ドロシーは力なく首を横に振った。
「アデルさん、喜んでくれて嬉しいのだけれど、わたくしたち、本当に一緒に寝ただけなの」
「えっ?」
「相変わらず、ベルンハルト様はわたくしに手を出してくれていないのよ!」
ドロシーが泣く真似をすると、アデルが大袈裟に慰めてくれる。
そんな二人の様子を見て、ベルンハルトは困ったように笑った。
「……いつの間にか、ずいぶんと仲良くなられたのですね」
「ええ。アデルさんには、いろいろと相談に乗ってもらってますもの!」
「それはよかったです。……ところで」
ベルンハルトはアデルに視線を向け、恐る恐る彼女に尋ねた。
「わざわざ迎えにきたということは、なにかあったのか?」
ベルンハルトの言葉にはっとして窓の外を確認する。
もしかしてもう、昼?
「二人がなかなか起きてこないから、お客様が帰れないんですよ。挨拶をしてから帰ると、皆様おっしゃってくれていますから」
ベルンハルトとドロシーは顔を見合わせ、そして、同時に顔を青くしたのだった。
◆
身支度を済ませた頃には、もう昼過ぎになっていた。
王都まではそれなりに距離があるため、客たちは早めに出発したかったはずだ。
完全に油断しちゃってたわ!
反省しつつ、笑顔で客たちを見送る。最後に出発するのは、もちろんベルガー侯爵家の二人だ。
「じゃあね、姉さん。またすぐにくるから」
「ええ」
「台車も、ちょっとしたらくると思うよ」
「届いたら、手紙を送るわ」
「うん。待ってる」
「お父様も、お元気で」
ドロシーがじっと見つめると、ベルガー侯爵は泣きそうな顔で笑った。
「……なにかあったら、すぐに連絡をしてくるんだよ。それに、いつでも帰ってきていいからね」
いつでも帰ってきていい、なんて結婚したての娘に送る言葉ではないだろう。
けれど、ドロシーを思いやっての言葉だということはちゃんと分かる。
「安心してください。わたくしはベルンハルト様の妻として、ちゃんと留守を守りますから」
寂しそうな、けれどどこか嬉しそうな顔をして父は手を振った。
二人の乗った馬車が遠ざかっていくのをじっと見つめる。
わたくしには帰る場所がある。けれど、帰るつもりはないわ。
「寂しいですか?」
後ろからベルンハルトが話しかけてきた。ええ、と返事をしながら振り向く。
「でも、大丈夫ですわ」
「いつでも実家に行っていいですから。ただ……ちゃんと、ここに戻ってきてください」
「ベルンハルト様……!」
ベルンハルトの言葉が嬉しくて、勢いよく飛びつく。近くに控えていたアデルが、楽しそうに笑った。
もうすぐ、ベルンハルトもここからいなくなってしまう。
しかし、離れたところで、ベルンハルトは頑張ってくれるのだ。ドロシーのために、そして領地のために。
「留守の間、わたくしがしっかりここを守りますわ。いえ、それだけじゃなくて……もっと素敵な場所にして、ベルンハルト様の帰りを待ちますから!」
「ありがとうございます。でも、無理はしないように」
「ええ」
ベルンハルトが出発したら、たくさんのことを学ぼう。
そして、この村を豊かにする。
「ベルンハルト様が国で一番の魔法騎士になるのなら、わたくしは、国で一番の妻になってみせますから!」
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