第36話 大きな進歩

 教会には、王都からきた参列者たちが行儀よく座っていた。奥には、結婚を神様に伝えてくれる神父が立っている。


 いよいよわたくし、ベルンハルト様と正式な夫婦になるのね。


「緊張していますか、ドロシー様?」

「……ええ」


 腕を組んで夫婦が入場し、神父の前で誓いのキスを交わす。

 結婚式というのは準備が大変なわりに、式そのものの行程は短い。


「行きましょうか」


 ベルンハルトも緊張しているようだ。けれど堂々としていて、近くにいるだけで安心できる。


 教会に入ると、参列者たちの拍手に包まれた。真っ先に手を叩いてくれたのはヨーゼフだ。弟からの祝福が嬉しくて、つい笑ってしまう。


 騎士団のみんなもきてくれて、よかったわ。


 当初、騎士団からは数名が参列するだけの予定だった。だが、ドロシーが提案し、全員で参列してもらうことになったのだ。


 だってみんな、ベルンハルト様の大事な仲間だもの。


 ろくに話したこともない大貴族に祝われるより、温かく迎えてくれた騎士団のみんなに祝福されたい。

 大好きなベルンハルトとの結婚式を、心から喜んでくれる人たちにお祝いしてほしい。


 全部、わたくしの我儘だけど……今日だけは、我儘を通してよかったと思うわ。


 神父の前まで歩き、立ち止まる。そっと腕を外し、互いに正面から見つめ合う。

 立って向き合うと、かなり上を見なければ目が合わない。


 いつもわたくしと話す時、ベルンハルト様はしゃがんでくださるものね。


「病める時も健やかなる時も、永遠の愛を誓いますか?」


 神父の言葉に、ベルンハルトがはっきりと返事をした。それが嬉しくて、つい、大きな声で返事をしてしまう。

 すると、参列席で笑いが起こった。


 結婚式で笑いが起こるなんて、貴族のマナー的には失敗よね。

 でも、わたくしにとっては、これ以上の結婚式はないわ。


「では、誓いの口づけを」


 ベルンハルトがかがんで、そっとドロシーの肩に手をおく。

 優しく引き寄せられ、そのまま唇を重ねた。

 数秒の後、ゆっくりとベルンハルトが離れていく。それと同時に、盛大な拍手が教会中に響いた。





「今日は疲れましたね」


 ソファーに座り、ベルンハルトがゆっくりと息を吐く。

 結婚式の後、遅くまでパーティーがあり、主役の二人は大忙しだったのだ。新婚の夜は二人で、ということで部屋に戻ってこられたが、パーティー自体はまだ終わっていない。


「ええ。でも、すごくいい日になりましたわ」

「もうお休みになりますか?」

「そうね。わたくしとしては、今から夫婦の義務を果たしてもよいかとも思うのだけれど?」


 冗談めかして言ってみたが、自分でも恥ずかしくなってしまった。そんなドロシーを見て、ベルンハルトがくすっと笑う。


「それはまだだめです」

「……ベルンハルト様って、頑固ね」

「ドロシー様を大切に思っているからこそです」


 そっと手を伸ばし、ベルンハルトの手を握る。ベルンハルトは拒まず、そっと手を握り返してくれた。

 分厚くて、硬い手のひらだ。触れているだけで、彼がどれほど努力してきたのかが分かる。


「ドロシー様、そんな顔をしないでください」

「え?」

「今、泣きそうな顔をしていました」


 ベルンハルトが、そっと両手でドロシーの頬を包んだ。金色の瞳が、戸惑いで揺れている。


「……俺が旅立ってしまうのが、寂しいんですか?」

「……ええ」


 ベルンハルトを愛おしいと思えば思うほど、束の間の別れが寂しくなってしまう。

 この手にもあと少しすれば触れられなくなるのかと思うほど、切なくてたまらない。


 でも、行かないで、なんて言わないわ。


「旅立つまでの間、たくさんの時間を一緒に過ごしましょう。約束通り、ドロシー様の服も買いにいきましょうか」


 穏やかに微笑みながら、ベルンハルトはドロシーの頭を撫でた。

 子供に対するような動作だとは思いながらも、それを心地よく感じてしまう。


「ベルンハルト様」

「はい?」

「今日はここで、一緒に寝てくださいます?」


 ベルンハルトは固まったが、すぐに首を横に振りはしなかった。

 今までなら、即座に断られていたのに。


 きっと、今がチャンスね。


「何もしなくていいの。ただ、ベルンハルト様が傍にいて一緒に寝てくれたら、わたくし、安心して眠れる気がして」

「ドロシー様……」

「それに、少しでも長く一緒にいたいもの」


 だめ? と上目遣いでベルンハルトを見つめる。こうした態度がベルンハルトに有効だということは、もう分かっているのだ。


「……分かりました。今日からは、一緒に寝ましょう」

「本当!?」

「はい。ですが本当に寝るだけですからね」

「わたくしは、いつでも準備ができておりますのに!」


 ベルンハルトが呆れたように溜息を吐く。けれど瞳は嬉しさを隠しきれていない気がして、ドロシーまで嬉しくなった。

 新婚初夜だというのに、ただ同じベッドで眠るだけ。

 物足りないと言えばそうだが、ドロシーたちにとっては大きな進歩だ。

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