第35話 帰ってきたら

 いよいよ今日、ドロシーはベルンハルトと結婚式を挙げる。

 会場は領内にある教会で、参列者はそれほど多くない。しかし、ドロシーにとっては一生に一度の一大イベントだ。


「姉さん。着替え終わった?」


 メイドに確認してから、ヨーゼフが控室に入ってくる。ヨーゼフも一張羅の衣服に身を包み、いつも以上に華やかな装いだ。


「ええ。たった今、終わったところよ」


 今日のドレスは、父がかなりの金をはたいて仕立ててくれたものだ。このドレス一着で一般的な平民は何年暮らせるのだろう……なんて考えると少しだけ気が引けるが、これは父からの愛だ。


 お父様は、わたくしに幸せな結婚をしてほしいとずっと言っていたものね。


 母は早くに死んだ。そのため、両親の結婚生活は長くない。けれどその短い結婚生活がどれほど楽しい日々だったかを、未だに父は語ってくれる。


「姉さん。ドレス、似合ってるよ」

「ありがとう。なんだか、素直に褒められるとちょっと照れるわね」

「今日くらい、素直に褒めるって」


 そう言いながらも、ヨーゼフだって少し照れくさそうだ。


 改めて姿見でドレスを確認する。白いドレスはチュールが幾重にも縫いつけられ、中にもパニエを履いているおかげでかなりのボリュームがある。

 胸元には金糸で刺繍の施された大きなリボンがあり、スカート部分には小粒のダイヤモンドがいくつも散りばめられている。


 すごく綺麗なドレスだわ。


「ベルンハルト殿も、もう準備は終わってるって。かなりそわそわしてたよ。姉さんの花嫁姿を早く見たいんじゃない?」

「……そうだといいのだけど」

「なにそれ。仲のいい夫婦なんじゃないの」


 ヨーゼフはくすっと笑った。


「そ、それはもちろんそうよ」

「結婚式が終わったら、寂しくなるね」

「……ええ」


 一週間後、ベルンハルトが率いる騎士団はここを離れる。領地の護衛役としてアデルを筆頭に何人かは残るが、かなり寂しくなるだろう。

 任務の終了時期は未定だ。作業が終わり次第すぐに戻るとは言ってくれているけれど、それがいつになるかは分からない。


 これから、もっとベルンハルト様との距離が縮まりそうだと思っていたのに。


 正直、すごく寂しい。行かないで、と泣きながら喚きたいくらいだ。

 でも、妻としてそんな振る舞いはしない。


「姉さんが寂しくないように、時々きてあげる」

「ヨーゼフ……!」

「それに、田舎の領地経営について学ぶのも、いい勉強になるしね」

「ありがとう。すごく嬉しいわ」


 ドロシーがヨーゼフの手をぎゅっと握ったところで、扉が控えめにノックされた。


「入ってもいいか?」


 ベルンハルトの声だ。おそらく中にヨーゼフがいることを知っているから、いつもとは違う口調なのだろう。


「ええ」


 ドロシーが返事をすると、白いタキシードを着たベルンハルトが中に入ってきた。いつもは黒や茶色の服を着ていることが多いから、白い服は新鮮だ。


「格好いいですわ、旦那様!」


 ドロシーが心の底から褒めると、ベルンハルトは照れくさそうに目を逸らした。


「ありがとう。だが……俺にこういう格好はあまり似合わないだろう」

「そんなことありませんわ。肖像画にして、永遠に飾っておきたいくらい素敵ですもの」

「……ドロシーの方が、俺なんかよりずっと似合っているだろう」

「まあ……!」


 そっとベルンハルトの手をとろうとした瞬間、ヨーゼフがわざとらしく溜息を吐いた。


「いちゃつくのは式が終わってからにしてくれない?」


 呆れたように言うと、ヨーゼフはそのまま部屋を出ていこうとする。


「じゃあまた後でね。盛り上がるのは勝手だけど、主役が揃って遅刻なんてやめてよ」


 ドロシーたちが反応する暇もないまま、ヨーゼフは部屋の扉を閉めた。

 こほん、とお互いに咳払いをしてから、ドロシーとベルンハルトは改めて見つめ合う。


「ドロシー様。本当に、よくお似合いです」

「本当に?」

「はい」

「ベルンハルト様も、すごく似合っているわ」


 無意識のうちに、ベルンハルトの唇を見てしまう。

 キスはもう何度もしたけれど、結婚式でのキスは、やっぱり特別だ。


「……ドロシー様。忙しいところに、申し訳ありません。結婚式の前に、一つだけ言いたいことがあって」

「なにかしら?」

「俺が留守にしている間、俺を待っていてほしいんです」

「改めてどうしましたの? 夫を待つなんて、当たり前ですわよ?」

「……以前俺は、もし他にいい相手がいれば、離縁に応じると言いました」


 そう言って、ベルンハルトは大きく深呼吸をした。覚悟を決めたような表情に、胸が高鳴る。


「それを、取り消したいんです」

「ベルンハルト様……!」

「それと、もう一つ」

「は、はい!」

「……帰ってきたら、ドロシーと呼んでも?」


 ベルンハルトの頬は真っ赤に染まっていた。自分で口にした言葉が恥ずかしいのか、ぎゅっと握った両手の拳はぷるぷると震えている。


 ……可愛い。


「では、わたくしは、旦那様とお呼びしても?」


 ベルンハルトが無言で頷く。その表情があまりにも愛おしくて、動きにくいドレスのまま、ドロシーはベルンハルトに勢いよく抱き着いたのだった。

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