第30話 次の作戦
「えっ……?」
「ですからわたくし、今ここで、大号泣してみせますから! いいんですの!?」
「それは……」
ベルンハルトは真剣な表情で考え込んだ後、ゆっくりと首を横に振った。
「困ります。ドロシー様に泣いてほしくありませんから」
「でしょう!?」
ベルンハルト様はお優しいし、わたくしを大切にしてくれているわ。
だから、わたくしが泣くと言えば、きっと困るはずだと思ったのよ。
それに、嫌いになる、とか、実家に帰りたくなる……なんて酷い言葉を口にしたくなかったのだ。
「ねえ、ベルンハルト様。いいでしょう? わたくしにキスをしたって」
「……ですが」
「ベルンハルト様はどうせ、初めてではないんでしょう?」
そう言った後に、拗ねた子供みたいだったかもしれない、と反省する。こんなことを言えば、今よりさらに子ども扱いされてしまうのではないか。
「……分かりました。では、目を閉じてください」
「わ、分かりました!」
勢いよく両目をぎゅっとつぶる。すると、頬をベルンハルトの両手で包まれた。
目が見えないから分からないけれど、ベルンハルトが近づいてきている気がする。
どくん、どくんと心臓がうるさい。
わたくし、本当にベルンハルト様とキスしちゃうの?
生温かいものが唇に触れた。反射的に目を開くと、金色の瞳に見つめられる。
そしてすぐ、ベルンハルトは離れていった。
「……どうでしたか? 嫌ではありませんでしたか?」
「そんなはずありませんわ」
心がふわふわして、不思議な感覚だ。なんだか落ち着かなくて、ベルンハルトの目を見ることすら恥ずかしい。
「ドロシー様」
「はい」
「その格好は、俺に合わせてくれたんでしょう?」
「……そうですわ。あんまり、似合ってないかもしれませんけど」
「お似合いですよ。でも、ドロシー様にはもっと似合う物があるでしょう」
微笑んで、ベルンハルトはドロシーの頭を撫でた。
大きな手のひらに安心する。
「今度、一緒に買いに行きましょうか。いや、こういう時、普通は商人を招くものですか?」
「わたくし、ベルンハルト様とお買い物に行きたいわ!」
商人を家に呼び、特注で服を作らせたことしかない。でも、だからこそ、服を買いに出かけるということに興味はある。
それに、ベルンハルト様とのデートだもの!
「分かりました。結婚式が終わったら、行きましょうか」
「ベルンハルト様……!」
「腹が空いたでしょう。今、食事を運ばせます」
ベルンハルトは立ち上がり、メイドに指示を出すために外へ出た。
一人きりになった部屋で、ドロシーはにっこりと笑う。
泣き落とし作戦……いえ、断ったら泣いちゃう作戦、大成功だわ!
ねだってキスをしてもらっただけだ。でも、それでも大きな進歩である。
わたくしがベルンハルト様の好みとちょっとずれているとしても、可愛いと言われたことは事実だし。
「それに、一度したことって、ハードルが下がるわよね」
うんうん、と頷いていると、ベルンハルトが部屋に戻ってきた。
「ドロシー様。すぐに夕飯がきますよ」
「ありがとうございます。わたくし、その前にお願いがありますの」
「お願い?」
「もう一回、キスしてほしいんですわ!」
甘えるようにベルンハルトの腕を引き、ねえ、と上目遣いで見つめる。
ドロシーを応援するように、ロボスが大きく吠えた。
「……ドロシー様、それは」
「だめですの? わたくし、泣いちゃいますわよ?」
「……分かりました」
どうやらこの台詞は、ドロシーが思っていた以上に効果を発揮してくれるらしい。
◆
「それで、昨日からベルンハルト様とはもう32回もキスしたのよ!」
「おめでとうございます、奥方様」
「本当、めでたいわよね。後はどうやって次へ進むかだわ。とりあえず、同じ寝室を使うようになればと思うのだけれど……」
夫婦の寝室、ということになっているが、未だにベルンハルトは別室で寝ている。
同じ部屋で寝たからといって必ずしも進展があるわけではないだろうが、チャンスは生まれるはずだ。
「……奥方様、すごいですね。そんなに自分からぐいぐいといけるなんて」
私にはできません、と呟いたアデルは、少し寂しそうに見えた。
「だって、そうしないとベルンハルト様は分かってくれそうにないもの」
何もしなければ、きっと、何も変わらないまま日々が過ぎていく。
そんなのは嫌だ。
「確かに、ちょっと強引にいく、くらいがいいのかもしれませんね」
くすっとアデルが笑う。うんうん、と頷いていると、そうだ、とアデルが小さく呟く。
「今日の夕方、奥方様の御父上と弟君がいらっしゃるんですよね」
「あ、そうだったわ。つい、ベルンハルト様に夢中で忘れていたけど」
アデルがにやっと笑った。
「外堀から埋める、なんていうのもありだと思いますよ、奥方様」
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