第29話 ドロシーの脅し

 ドロシーの叫び声を聞いて、ベルンハルトは深々と溜息を吐いた。物分かりの悪い子供を相手にするような態度にむかむかする。


「ドロシー様。そのようなことを言ってはいけません。本気にされたらどうするんです?」

「わたくしは本気で言っていますのよ!?」

「もっとご自分を大切になさってください。ドロシー様に、俺のような男は似合いませんよ」

「わたくしがベルンハルト様がいいといっておりますのに!」

「ですからそれは雛鳥が親鳥を慕うようなもので……」


 何度言っても、ベルンハルトはドロシーの言葉を信じてくれない。悲しくて、悔しくて、なにより腹が立つ。


 乙女の告白を、ベルンハルト様はなんだと思っていますの!?


 確かに、女学校で育ったドロシーは家族以外の異性とまともに接点を持ったことはほとんどない。

 例外がエドウィンだが、それにしても、親しいというほどはない。

 しかし、もう18だ。同年代には、既に結婚し、子を成している者さえいる。


 わたくしはぜんっぜん、子供じゃないのよ!


 ベルンハルトは年の差についても言及していたが、貴族社会において10歳差なんて珍しくない。


 それとも、わたくしの見た目が子供っぽいから、恋愛対象として見てもらえないの?


「ベルンハルト様の、馬鹿!!」


 衝動に身を任せ、ドロシーは思いきりベルンハルトの頬を平手打ちした。





「いやあ、さすがですよ、奥方様! ベルンハルト様は、魔物にだって顔を傷つけられたことがないっていうのに」


 アデルは大きく口を開けて笑った。そんなことを言われても、どう反応すればいいのか分からない。


「わ、わたくしはただ、つい……その、腹が立ってしまって」

「奥方様は見かけによらず、度胸もおありなんですね。あの魔法騎士ベルンハルトを平手打ちにするなんて」

「あの時はそんなこと考えられなくて……!」


 冷静に考えれば、とんでもないことをしてしまったと分かる。

 告白を受け入れてもらえなかったから相手を殴るだなんて、とても大人の女性がやることとは思えない。


「いいじゃないですか。あの後ベルンハルト様、真っ青な顔で弟のところへきたそうですよ。頬は平手打ちの痕があるし、顔面蒼白だしで、騎士団員たちもびっくりしたとか」

「……本当に、恥ずかしいですわ……」


 ドロシーに頬を叩かれたベルンハルトは、すぐにドロシーに謝罪してくれた。もちろんドロシーも謝罪した。

 お互いに食事どころではなくなってしまい、ベルンハルトは部屋を出ていってしまったのである。

 そしてほどなくして、全ての事情を把握したアデルがやってきたというわけだ。


「いえいえ。奥方様は悪くありませんよ。せっかくベルンハルト様好みにおめかしして告白したのに、酷い返事でしたね」

「アデルさん……!」

「それにベルンハルト様からすれば、たいした痛みではないでしょう。もちろん、身体的な意味に限れば、ですが」


 アデルが再び大声で笑うと、反応するようにロボスが小さく吠えた。

 ロボスは落ち込んでしまったドロシーに寄り添い、ずっと隣にいてくれたのだ。


「正直な気持ちをちゃんと伝えられたんです。奥方様は頑張りましたよ」

「……そうよね」


 こんなことにはなってしまったが、本音を伝えないよりはよかったはずだ。


「はい。今日の夕飯は広間ではなく、ここで二人きりで召し上がってはどうでしょう? お互い落ち着いたことでしょうし、ゆっくりと改めてお話するのは」

「……そうするわ」


 ドロシーが頷いたのとほぼ同時に、部屋の扉がノックされた。ドロシーが返事をすると、デトルフに連れられたベルンハルトが立っている。

 どうやら、姉弟が示し合わせてくれていたみたいだ。


「……先程は取り乱して部屋を出ていってしまい、申し訳ありません」

「い、いえ。わたくしこそ、叩いてしまって申し訳ありませんわ。その、つい、かっとなってしまって……」


 互いに頭を下げる。ごゆっくり、と言い残して姉弟が部屋から出ていった。


「ドロシー様を傷つけてしまって申し訳ありません。俺はただ、ドロシー様に後悔してほしくないと……」

「後悔なんてしませんわ」


 胸を張って、堂々とベルンハルトを見つめる。気まずそうに目を逸らしたベルンハルトの腕を掴み、ぐいっと顔を近づけた。


「仲直りのキスをしましょう」

「……はい?」

「夫婦なのですから、当たり前ですわ」


 どうもベルンハルトは、ドロシーを子ども扱いしていて、ドロシーに手を出す気がないらしい。


 だったら、どうにかして手を出させるしかないわ!


「……それは」

「ベルンハルト様がキスしてくださらないのなら、わたくし……わたくしは」


 ごくり、とベルンハルトが唾を飲み込む。

 脅すような真似はなるべくしたくなかったが、仕方ない。


「今ここで、大号泣してしまいますから!!」

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