第28話 さっさと手を出してください
「ロボスがここにいる理由は分かった。ドロシー様のご命令なら問題ない」
そう言って、ベルンハルトはメイドとアデルを部屋から下げた。二人と一匹だけになった部屋で、じっとドロシーを見つめる。
そして、床に転がっていた詰め物を拾い上げた。
「……ドロシー様、これは?」
「え、えっと、その……」
「もう一つは、そこに?」
胸元に視線を向けられ、ドロシーは耐えきれずに詰め物を取り出した。すかすかになった胸元が恥ずかしくて、ぎゅっとロボスを抱き寄せる。
ばうっ、と可愛らしく鳴いて、ロボスはまたドロシーの首を舐めた。
「そのようにめかしこんで、どこかへ出かける予定だったのですか?」
「い、いえ。ベルンハルト様と夕食をとるので、気合を入れただけで……」
「俺との食事に気合を?」
「……はい」
「それは嬉しいですが、このような物をドロシー様が使う必要はないかと。……こんなものは、妓女が使う類の物でしょう」
確かに、詰め物をする、というのは貴族社会では一般的な発想ではない。もちろん年頃の娘の間ではよく使用されてはいるのだが、はしたない、と顔を顰められることもあるのだ。
「……ベルンハルト様は、妓楼にはよく行かれますの?」
「人並みだと思いますが。ですが、今後は控えます。夫が妓楼通いに精を出しているなどと言われては、ドロシー様の評判に関わるでしょう」
「だめですわ」
「……はい?」
「控えるなんて、だめですわ。妻として、今後一切の妓楼通いを禁じます」
立ち上がり、ドロシーはそう言いきった。ばうっ! とロボスが吠えたのは、きっとドロシーを応援してくれているからだ。
「そういったことは、妻であるわたくしとすればいいのですから!」
言いながら、顔が火照っていくのを自覚する。自分がどれだけ恥ずかしいことを言っているかは分かっているつもりだ。
でも、勢いに任せて言わないと、何も言えなくなってしまいそうだもの……!
「ベルンハルト様。わたくしを、抱いてくださいませ!」
そう言って、ベルンハルトの手をぎゅっと握る。ベルンハルトは深い溜息を吐いて、額に手を当てた。
「……ドロシー様、自分がなにを言っているのか、分かってるんですか?」
「分かっていますわ。分かった上で、こう言ってますの」
心臓がうるさい。でも、今までで一番、自分の気持ちを正直に話せているのは確かだ。
「ベルンハルト様。白い結婚なんてやめて、わたくしと本当の結婚をしてください!」
勢いよく言うと、ベルンハルトはぽかんとした表情を浮かべた。まさか、こんなことを言われるとは思っていなかったのだろう。
言えたわ。やっと、本音が言えた……!
「ベルンハルト様は、他に恋人もいらっしゃらないし、わたくしのことが嫌いではないのでしょう? でしたら、白い結婚にこだわる必要なんてないですわ」
ベルンハルトの返事を聞くのが怖くて、やたらと早口になってしまう。
「ベルガー侯爵家と縁を結ぶことはベルンハルト様にとってもいいことでしょうし……! わたくしと本当の結婚をすることは、メリットだらけだと思うの」
エドウィンには婚約破棄されてしまったが、ドロシーほど好条件の娘は社交界を探してもそれほどいない。
「……では、ドロシー様にとって、俺と本当の結婚をするメリットはなんなんです?」
「そんなの決まってますわ。だってわたくしは、わたくしは……」
すう、と何度か深呼吸を繰り返す。今の勢いなら、なんだって言ってしまえそうだ。
「わたくしは、ベルンハルト様が大好きなんですもの! 好きな殿方と結婚したいと思うのは、当たり前のことですわ!」
ちゃんと言えた。これでもう、ベルンハルトとすれ違うこともなくなるはずだ。
結婚式を前にして、わたくしたちはちゃんとした夫婦になれるんだわ。
と、ドロシーは期待していたのだが……
「ドロシー様のお言葉は嬉しいですが、そういうわけにはいきません」
「……はい?」
「ドロシー様が俺を好きだと思っているのは、初めてまともに接した異性だからでしょう。雛鳥が親鳥を慕うようなものです」
真剣な表情でそう言うと、ベルンハルトはそっとドロシーの頭を撫でた。
「ありがとうございます。ですが、子供に手を出すわけにはいきません」
「……子供?」
「ドロシー様は俺より10も年下ですから」
子供? わたくしが? 女学校を卒業し、18となったわたくしが!?
怒りでわなわなと全身が震える。勇気を出して告白したというのに、この仕打ちはなんなのだろう。
「では、ドロシー様。食事にしましょう。お腹が空いたでしょう?」
言いながら、ベルンハルトは優しくドロシーの手をとった。しかし今は、ありがとう、なんて微笑む気分にはなれない。
「……ベルンハルト様」
「はい?」
「いいから、さっさとわたくしに手を出してください!!」
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