第27話 もふもふ登場

 湯あみを済ませ、ガウンを羽織って浴室を出ると、大きな皿をもったメイドと遭遇した。皿の中には、調理をしていない生肉がたっぷりと入っている。


「ねえ、それはなに?」


 気になって尋ねると、メイドは愛想よく答えてくれた。


「ロボスの餌ですよ」

「……ロボス?」

「奥方様にはご紹介がまだでしたね。ベルンハルト様が飼っていらっしゃる犬です。外の犬小屋か、ベルンハルト様のお部屋にいることが多くて」


 犬を飼っているなんて、聞いたこともないわ。どんな子かしら?


 ベルンハルトが犬を可愛がっているところを想像する。あまりにも微笑ましくて、可愛い、とつい呟きがもれてしまった。


「奥方様が驚いてはいけないから、ロボスを奥方様に近づけないよう、ベルンハルト様から言われているんですが」

「まあ。わたくし、犬は好きよ?」


 ベルンハルト様の中で、わたくしってどれだけ弱々しいイメージになってるのかしら。


「でしたら、食事の後、奥方様の部屋にお連れしましょうか?」

「ぜひ!」


 ドロシーが満面の笑みで頷くと、かしこまりました、とメイドは足早に去っていった。





 クローゼットの中から選んだのは、濃い紫色のドレスだ。胸元が大きく開いたおとなっぽいドレスである。

 袖や裾に縫い付けられているレースは黒で、スカート部分は小粒の赤い宝石がいくつも縫い付けられている。


「これに合わせたメイクをお願い。髪はそうね……アデルさん、どうするのがいいと思う?」

「……奥方様。失礼かもしれませんが、髪の前にまず、胸に詰め物をなさってはどうかと」


 気まずそうな顔でアデルはそう言った。おそらく、勇気を振り絞って伝えてくれたのだろう。

 姿見の前に立ち、自分の姿を見つめる。確かに今のままでは貧相だ。


「そうするわ」

「そして、髪は結い上げるより、おろしている方がいいのではないでしょうか。小ぶりで品のいい髪飾りをつければ、すごく上品になると思いますよ」

「ありがとう」


 アデルの意見を聞きながら、こまめにメイドへ指示する。鏡に映る自分がどんどん姿を変えていく様子を見るのは結構面白い。


 一時間もせずに、ドロシーの身支度は整った。


「どうかしら?」

「お似合いですよ、奥方様!」


 アデルだけでなく、その場にいたメイド全員が叫ぶ。もちろんお世辞も入っているだろうが、純粋な称賛もかなり混ざっているはずだ。

 ヒールの高い靴で低身長は誤魔化せているし、メイクのおかげで童顔も緩和されている。なにより胸の詰め物のおかげで、普段とはずいぶん印象が違う。


 これならベルンハルト様だって、おとなっぽいと思ってくれるんじゃないかしら。


 早く帰ってくればいいのに、なんて思っていると、部屋の扉がノックされた。ベルンハルトかと思い素早く扉を開けさせたが、そこに立っていたのは先程廊下ですれ違ったメイドである。


「奥方様。約束通り、ロボスを連れてまいりました」

「まあ!」

「賢くておとなしい犬ですから、ご安心を」


 そう言って、メイドが一歩右にずれる。彼女の背後に隠れていた黒い塊が露になって、ドロシーは大声を上げてしまった。


「えっ!?」


 全長が2メートル以上あるのではないかと思うほど大きな身体。そして身体を覆い尽くすふわふわの長い毛。

 ベルンハルトに似た金色の瞳と、口内に見える鋭い牙。


「ロ、ロボスは犬なのよね……?」


 犬というより、狼にしか見えない。


 犬って、もっと小さくて、可愛いものなんじゃないの?


 少なくとも、今までペットとして紹介されてきた犬はそうだった。簡単に腕に抱けるサイズばかりで、自分より大きな犬なんて見たことがない。


「バウッ!」


 ロボスが大きく吠えた。目が合うと、一直線に駆け寄ってくる。


「えっ? わ、わっ……!?」


 戸惑っている間に、ロボスが突撃してきた。突き飛ばされる形になって、床に倒れ込んでしまう。


「奥方様!?」

「どうしましょう、おとなしいこの子が……!!」


 メイドが慌てている声のほとんどは、ロボスの鳴き声でかき消される。

 ざらり、と生温かい感触を首筋に感じた。


「ロボス、離れなさい!」


 アデルが大声で叫ぶ。しかしロボスはとまらず、ひたすらドロシーの首を舐め始める。


「く、くすぐったいわ、ちょっと、やめて……ロボスったら!」


 ひたすら舐められ続けるうちに、大きな牙に対する恐怖は消えていった。ロボスは舌を使うだけで、ドロシーを噛もうとはしない。

 腕を回し、ふわふわの身体を撫でてみる。すると気持ちいいのか、ロボスが頭を手のひらにこすりつけてきた。


 か、可愛い……っ!

 大きな犬って、こんなに可愛いの!?


 狼のような見た目と、子犬のように甘えるギャップが可愛くてたまらない。

 突撃されたせいで髪の毛は乱れてしまったが、怒る気にもなれない。


「おい、何の騒ぎだ!?」


 焦ったようなベルンハルトの声が聞こえた。慌てて少し上半身を起こしたところで、ごろん、と詰め物が一つ、胸元からこぼれ落ちた。


 勢いよく部屋に入ってきたベルンハルトは、まずロボスを見た。次にロボスを撫でているドロシーを。

 そして最後に、床に転がった詰め物と、片方だけ膨らんだドロシーの胸元を。


「……本当にいったい、何の騒ぎなんだ?」

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