第26話 ベルンハルトの好み

 ベルンハルトが呆然とした顔でドロシーを見つめている。少し気まずくなって、ドロシーはアデルの名を呼んだ。


「これ以上訓練の邪魔をしてもいけないから、わたくしはそろそろ帰ろうと思うの」

「では、私も」


 アデルが手に持っていた酒を飲み干し、騎士団員たちに別れを告げる。二人で馬車に乗り込もうとした寸前、ドロシー様! とベルンハルトに呼び止められた。


「高価な物がいらないというのなら……ドロシー様は、なにが欲しいのですか」


 切実な声音にはっとする。

 今まで、やたらと高価な物を用意してくれていたのは、全てドロシーのためだ。ドロシーが実家へ帰りたい、などと思わないように。

 でもそれだけじゃない。きっとベルンハルトは、ドロシーを喜ばせようとしてくれたのだろう。


 考えてみれば、当たり前のことじゃない。


 そしてきっと、ベルンハルトは高価な物を用意する以外、ドロシーを喜ばせる術が分からなかったのだ。


 ベルンハルト様って、なんて不器用な方なのかしら。


 焦ったような表情がどんどん愛おしくなってきて、ドロシーは自然と笑っていた。そんなドロシーを見て、ベルンハルトが困惑したように首を傾げる。


「わたくしは、ベルンハルト様がくれる物でしたら、なんだって嬉しいわ」

「……それでは、何を用意すればいいのか分かりません」


 だからなんだっていいって言ってますのに、とは言わない。そんなことを言っても、ベルンハルトを困らせてしまうだけだろうから。


「でしたらわたくしは、ベルンハルト様の時間が欲しいわ」

「時間?」

「ええ」

「……分かりました。訓練が終わったら、すぐに帰ります」

「まあ! では、共に夕飯をとるのを楽しみにしておりますわね」


 笑顔で手を振って馬車に乗り込む。馬車の窓からベルンハルトの様子を見たが、両手で顔を覆っていて、どんな顔をしているかは分からなかった。





 屋敷に戻ってすぐ、結い上げていた髪を下ろす。ちら、と時計を確認すると、夕飯まではまだかなりの時間がある。


「アデルさん。参考までに聞きたいのだけれど、ベルンハルト様はどんな女性が好きなのかしら?」

「えっ?」

「今まで恋人関係にあった女性の特徴とか……待って。それはちょっと、いや、かなり聞きたくないかもしれないわね」


 ドロシーが頭を抱えると、アデルはきょとんとした顔をした。

 そして直後、なるほど、と納得したような表情で頷く。


「奥方様は、ベルンハルト様を惚れさせたいのですね?」

「ええ、そうよ!」


 白い結婚は嫌だ……つまりそれは、ベルンハルトに本当の意味で愛され、真実の夫婦になりたいということだ。

 そのためには、ベルンハルトにも白い結婚は嫌だと思わせる必要がある。


 要するに、ベルンハルトを惚れさせなければならないのだ。


「それを聞いて、なんだか安心しました」

「え?」

「子供は期待するなとも言われていましたし、なにより、貴族は愛で結婚するわけではないのだということを感じる機会も多いですから」


 アデルの言う通り、大半の貴族は政略結婚だ。その中でも愛情を育み、仲睦まじい夫婦もたくさんいるが、そうではない家庭も山のようにある。

 女学校時代も、結婚するために今の恋人と別れなければいけない……なんて悩みを持っている子もいた。


「わたくしは、ベルンハルト様とちゃんと愛を育みたいと思っているわ」


 自分で言っておいて恥ずかしくなるが、間違いなく本音だ。


「そのためにも、ベルンハルト様好みの女性にならなければ……!」

「……ベルンハルト様はあまり女遊びをしない方なので、お好みは分からないのですが……どちらかというと、その……」


 しばらく気まずそうな顔をしていたが、アデルは覚悟を決めたような表情で言葉を続けた。


「おとなっぽい女性が好みなのではと、私は思っていまして……」


 そう言われたのと同時に、鏡で自分の姿を確認する。

 実年齢より常に若く見える童顔に、女性らしさのない小さな胸。どこをどう見ても、おとなっぽい女性には見えない。


 わたくし、ベルンハルト様の好みとは真逆ってこと!?


「あくまでも、私の推測ですが、その……過去のできごとを思い返しますと」

「一つだけ聞いていいかしら?」

「はい」

「ベルンハルト様に、特定の恋人がいらっしゃった時期って……あるかしら?」

「いえ、それはないと思います。馴染みの妓女なども、特にはいなかったかと」

「妓楼を利用していたことはあるのね?」


 ドロシーの質問に、アデルは目を逸らしながらも頷いた。


 男性が……特に戦場へ行く騎士が妓楼を使うなんて、珍しい話じゃないわ。

 だけど、だけどこう……もやもやするわね。


 妓女と一夜を共にする時、ベルンハルトはどのような目で女を見つめ、どのような手つきで女の身体に触れていたのだろう。

 想像するだけでむかむかする。


「アデルさん、とりあえずわたくし、湯浴みを済ませてくるわ。その後、着替えなおすから、意見をくれるかしら?」

「……かしこまりました」


 白い結婚なんてまっぴらだ。

 だったらさっさと、手を出してもらうしかない。


 昨日、抱きたいと言ったらどうするつもりなのか、とベルンハルトに問われた時、すぐに返事はできなかった。

 突然過ぎたし、自分の気持ちをはっきりと自覚できていなかったからだ。


 でも、今なら大声で返事ができる自信がある。


 ぜひ、今すぐわたくしを抱いてください! と。

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