第25話 自分の気持ち
「ドロシー様? 顔が赤いですよ。まさか、熱でもあるのですか」
ベルンハルトが慌ててドロシーの額に手をあてる。手のひらの大きさを実感すればするほど、ドロシーの体温は上昇してしまう。
「額も熱いですね。……アデル! きてくれ! ドロシー様が熱を……」
「ち、違いますわ、これは熱などでは……!」
ドロシーは必死にそう叫んだが、すぐにアデルが駆けてきた。団員たちと酒を飲んでいただろうに、顔色は全く変わっていない。
「奥方様、体調が悪いのですか?」
「アデル、お前がいながら……。屋敷にいた時から体調が悪かったのか? 疲れがたまったのかもしれない。まさか、合わない食べ物があったのか……?」
ぶつぶつ言いながら、ベルンハルトがドロシーの近くを歩き回る。アデルも顔を真っ青にし、ドロシーの様子を窺ってきた。
「二人とも、違いますの」
「違う? ですがドロシー様の額は熱かったですし、顔も赤いです。自覚はないかもしれませんが、体調を崩してしまっているのでは……」
「違いますわ。だってわたくし、ベルンハルト様の顔が近くてどきどきしてしまっただけですもの!」
ドロシーの大声が、訓練所中に響いた。こんなことを大声で言うのは恥ずかしいが、そうでもしなければ、二人が話を聞いてくれそうになかったのである。
「だ、だって、キスしちゃうくらい、近かったもの……! そりゃあどきどきするわよ!」
やけになってドロシーが叫ぶ。そうすると、ベルンハルトの頬も少し赤くなった。日に焼けているせいで分かりにくいが、確実にいつもとは違う。
こういう表情もするのね……なんて思うと、さらに体温が上がった気がした。
「……どきどきしたんですか、俺と顔が近いから」
「……ええ」
「不快になったわけではなく?」
「そうですわ。だって、すごく格好いいお顔をしていらっしゃいますし……」
元々好みの顔だとは思っていたが、過ごす時間が長くなれば長くなるほど、ベルンハルトの格好良さにときめいてしまう。
ドロシーとベルンハルトが無言のまま見つめ合っていると、アデルが呆れたように溜息を吐いた。
「お二人とも。夫婦なんですから、キスくらいで動揺してどうするんですか」
白い結婚だということを知らされていないアデルからすれば、ドロシーたちの言動はおかしかったに違いない。
そしてアデルは、ドロシーにとって衝撃的なことを口にした。
「それに、結婚式では、みんなの前でキスだってするんですから」
「……あ!!」
すっかり忘れていた。というか、頭から抜け落ちていた。
しかし、言われてみればそうだ。結婚式では、永遠の愛を誓って口づけを交わす。白い結婚だからといって、儀式が通常と異なるわけじゃない。
わたくし、結婚式でベルンハルト様とキスをするのね……!
結婚式は四日後だ。エドウィンとの婚約が破棄された直後とあってそれほど大勢を招きはしないが、実家から父親と弟はやってくる。
他にも、ベルガー侯爵家と付き合いの深い貴族や、ベルンハルトと関係のある貴族もくる予定だ。
大勢の前で、わたくしが、ベルンハルト様と……。
意識すればするほど、緊張してしまう。
「ベルンハルト様、わたくし、緊張してしまって、上手くキスできる気がしませんわ」
「……ご安心ください。本当に口づけをせずとも、しているように見せるだけで十分ですから」
ベルンハルトの言葉に、ドロシーは勢いよく首を振った。
「そういうわけにはいきませんわ。結婚式は、神様の前で行う神聖な行事。神様に嘘をつくなんて不誠実な真似、できませんもの」
そうなのですか、とベルンハルトは呟いた。おそらく、彼はあまり信心深い性格ではないのだろう。
そして実のところ、ドロシーも、たいして信心深くはない。
そう。だからわたくしが、キスのふりを拒んだのは、信心深いからじゃないわ。
じっとベルンハルトの唇を見つめる。少しだけ厚い唇は紅を塗っていないため、もちろん薄い肌色だ。
たくましい身体を持つベルンハルトはあちこちが硬そうだが、唇は柔らかいのだろう。
「あ、あの、ベルンハルト様。わたくし、1つ提案がありますの」
「なんでしょう?」
「結婚式本番で失敗しないためにも、練習をしておくのがよいのではないかと……!」
一瞬の沈黙の後、ベルンハルトは溜息を吐いた。
「どういう意味か分かってるんですか?」
「ええ。わたくしとベルンハルト様が、結婚式に向けて何度もキスの練習をするという意味よね?」
やけになって早口でまくし立てる。先程散々恥ずかしいことを大声で言ってしまったのだから、今さら気にする必要はない。
それに、妻が旦那とキスをして、おかしいことなんてないもの!
ドロシーとベルンハルトが無言のままみつめ合っていると、アデルがわざとらしく咳払いをした。
「奥方様。今日は、ベルンハルト様に話があって、ここまできたのではなかったのですか?」
「あっ……!」
いけない。動揺するあまり、目的を忘れてしまっていた。
深呼吸し、じっとベルンハルトの瞳を見つめる。
「ベルンハルト様」
「……はい」
「わたくしは、実家と変わらぬ贅沢な暮らしを続けるためにここにきたわけではありません。貴方の妻となり、領民を幸せにするためにここにきたの」
「ですがそれでは……」
ベルンハルトの言葉を思い出す。彼は、ドロシーが実家に帰りたくなるのではないかと心配していた。
実家が少しも恋しくないと言ったら、嘘になるわ。だけど、わたくしは今、実家よりもここにいたい。
「安心して、ベルンハルト様。わたくしは、ベルンハルト様が望む限り……いえ、望まなくたって、ベルンハルト様のお傍にいたいと思っておりますから」
笑顔ではっきりとそう告げた瞬間、告白めいた言葉を口にしてしまったことに気づく。
そしてそれが、自分の本心であることをドロシーは分かっていた。
わたくし……やっぱり、本当の意味でベルンハルト様と夫婦になりたいのかもしれないわ。
白い結婚でなくともいい、とは最初から思っていた。しかし今、自分の気持ちにはっきりと気づいた。
わたくしは、白い結婚なんて嫌なんだわ。
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