第24話 ちょうどいい身長差

「よし」


 鏡に映った自分を見て満足げに頷くドロシーとはうらはらに、メイドは不安そうな顔をしている。

 ドロシーがあまりにも地味な仕上がりを希望したものだから、さすがに戸惑っているのだろう。


 髪の毛は三つ編みにした後、結い上げてお団子にしてもらった。髪飾りもつけていないため、かなり質素だ。

 この身なりでは、とても侯爵家の令嬢には見えないだろう。子爵家夫人にすら見えないかもしれない。


 着替えを終えたところで、アデルが部屋に入ってきた。


「差し入れとして、酒と肉を用意してもらいました。馬車に詰め込んでいます」


 アデルも着替えを済ませ、いつもの訓練着姿だ。ドロシーの服装に目を見開きはしたけれど、何も言わない。


「ありがとう。ここから訓練所は遠いのかしら?」

「いえ、それほど遠くはありません。馬車でなら、すぐにつくと思います」


 徒歩で行くわ、と答えようとしたが、さすがにやめた。馬車で移動する、とベルンハルトと約束しているのだから。


「分かった。じゃあ、すぐに行くわ」


 ドロシーが部屋を出ると、慌ててアデルもついてくる。既に屋敷の玄関前に馬車が二台おかれていた。

 一つはドロシー用の豪華な物で、もう一つは荷を運ぶための地味な物である。


 馬車の豪華さは、貴族にとってはそれなりに重要だ。馬車だけでなく、所有物全てが自らの豊かさを主張する武器になる。

 くだらないと言えばそれまでだが、貴族社会で生き抜くためには知っておかなければならないことだ。


 アデルと共に馬車に乗り込むと、すぐに馬車は動き出した。


 急にわたくしがきたら、ベルンハルト様は迷惑かしら?


 不安な気持ちはある。ベルンハルトは現状、ドロシーに自分のよき妻となることを期待していないようだから。

 けれど、ベルンハルトはドロシーを疎んでいるわけではない。傍にいてくれるだけで嬉しいと、そう言ってくれた。


「……きっと、大丈夫よ」


 言い聞かせるように呟いて、ドロシーはそっと目を閉じた。





 訓練所へドロシーの馬車が到着するとすぐ、騎士団員たちが駆け寄ってきた。中でもベルンハルトは、真っ先にきてくれた。

 ゆっくりと馬車を下り、丁寧に一礼する。

 皆が驚いているのは、ドロシーが急にきたからだろうか。それとも、ドロシーが地味な身なりをしているからだろうか。


「急にきてしまって申し訳ありませんわ。皆様にも、差し入れを持ってきましたの」


 ドロシーがそう言うと、アデルが荷物をのせた馬車を指差した。中に積んでいる酒と串焼きにした肉を見て、団員たちが歓声を上げる。


「休憩、ってことでいいよね?」


 デトルフがベルンハルトに尋ねると、ベルンハルトはゆっくりと頷いた。それを合図に、団員たちが酒を飲み始める。


 どうやら、この差し入れは気に入ってもらえたようだ。

 といっても、用意してくれたのはメイドなのだが。


 騎士団団長の妻として、みんなが喜ぶ差し入れも知っておく必要があるわよね。


 ドロシーがそんなことを考えていると、ベルンハルトがドロシーの目の前にやってきた。

 そして、困惑しきった顔で問いかけてくる。


「そんな格好をして……いったい、どうしたんです?」

「出歩く時に、あまり派手な格好をする必要もないと思いましたの」

「それはそうですが……」


 納得はしていないようだが、それ以上は言ってこない。いくら地味で質素な服とはいえ、ベルガー侯爵家から持ってきた服だ。文句はつけられないだろう。


「それとわたくし、腕輪を一つ売って、公費にまわすようにしましたの」


 ドロシーがそう言った瞬間、ベルンハルトの目が大きく見開かれた。


「……マンフレートが、なにか言ったんですか」


 ええ、そうですわ、なんて言えば、ベルンハルトは烈火のごとくマンフレートを叱責するのだろう。

 だから、いいえ、とドロシーは首を横に振った。


「わたくしが自分で決めたことですわ」

「……ドロシー様が物を売らねばならぬほど、貧しくありません」

「でも、馬車や調度品が家計を圧迫していたわ。わたくし、帳簿くらいは見れば分かりますの」


 ベルンハルトが苦虫を嚙み潰したような顔をする。


「それに、公費の割合を減らすように指示をしたと」


 ベルンハルトは荒々しく舌打ちをし、その直後、青い顔になって頭を下げた。


「申し訳ありません。ドロシー様の前で野蛮な真似を……」

「気にしなくていいわ」


 ですが、とベルンハルトは俯いてしまった。少々怖かったが、素を見せてくれたようで嬉しかったのに。


「ベルンハルト様。わたくし、贅沢な暮らしをしたいなんて思っていませんわよ?」

「しかし、みすぼらしい暮らしはしたくないでしょう」


 ベルンハルトはそう言うと、ゆっくりと息を吐き出した。


「俺はただ、ドロシー様に、ここを居心地よく思ってほしいんです。故郷に帰りたい、なんて、思われないように」


 ベルンハルトが下を向いてしまう。彼の表情を確認したくて、ドロシーは下から覗き込んだ。


「ドロシー様……!?」

「身長差があると、こういう時に便利ですわね」


 ドロシーがくすっと笑うと、ベルンハルトは慌てて顔を上げ、ドロシーから距離をとった。


 いくらキスしてしまいそうな距離だったとはいえ、逃げなくてもいいのに。

 というか別に、夫婦なんだから、キスくらいしたっていいのに。


 ……あれ。

 わたくし、ベルンハルト様とキスをしてもいいと思ってるの?


 突然頭の中に浮かんだ考えに、自分でもびっくりしてしまう。


 抱きたいと言われたらどうするんです? と問われた時、とっさに返事をすることができなかった。

 けれどきっと今、キスをしていいかと問われたら、すぐに頷いてしまう気がする。


「ドロシー様? どうかしましたか?」


 急に黙り込んでしまったドロシーを不審に思ったのか、今度はベルンハルトがしゃがんで顔を覗き込んでくる。

 金色の瞳と目が合った瞬間、ドロシーの頬は真っ赤に染まってしまった。

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