第22話 危ない懐事情

「……お座りくださいませ」


 ドロシーが声をかけると、マンフレートは再びお辞儀をしてから椅子に座った。そして、真っ直ぐにドロシーを見つめる。


「奥方様が私に会いたがっていると、ベルンハルト様からお聞きしました」

「え、ええ。わたくしがお願いしたの」


 光栄です、と言いながらも、マンフレートの目は笑っていない。


「……ベルンハルト様は、他になにかおっしゃっていましたか?」

「奥方様がお聞きになったことに対しては、なんでも正直に答えるように。それから……」


 マンフレートが深呼吸をする。そして、冷めた目線をドロシーへ向けた。


「奥方様を不快にさせるようなことがあれば、厳しく罰すると」

「……そんな」


 ベルンハルトは、ドロシーのことを思ってそう言っただけだろう。しかしマンフレートは、明らかに不愉快そうだ。

 そしてその気持ちは、ドロシーだけに向けられているとは限らないのではないか?


 この人からすれば、わたくしはいきなりやってきた面倒な貴族の令嬢でしかないもの。

 やたらとわたくしを特別扱いするベルンハルト様のことまで悪く思う可能性だってあるわ。


「安心してください、マンフレートさん。貴方を罰したりせぬよう、ベルンハルト様にはきちんとお伝えしておきますから」

「感謝いたします。ベルンハルト様は、奥方様のおっしゃることであれば聞いてくださるでしょうから」


 マンフレートの声には、棘がいくつも散らばっている。ちら、と横を見ると、アデルが気まずそうな表情で俯いていた。


「それで、奥方様が私などに聞きたいこととは?」

「……領地の経営についてですわ。ほとんどを貴方に任せていると、ベルンハルト様がおっしゃっていましたから」

「はい。ベルンハルト様は領地を留守にすることも多いので、その際の代理権を与えられております」

「主に、どんなことをしてるのかしら?」

「財政管理ですよ。子爵家の財産や騎士団員への給与なども、私が管理しています。そして、領地経営にあてるための公費をどう扱うかも、私が予算案を作り、ベルンハルト様に決裁をいただいています」


 何をするにもお金はかかる。魔法装置の修繕や設置、領民全員が使える施設の建設、そして福祉や教育。

 つまり、予算案を作る立場の人間が持つ影響力というのはとても大きい。


 もちろん、最終的な決定権はベルンハルト様にあるけれど。


 そして、金銭的な管理を任せるくらい、ベルンハルトは彼を信頼しているのだろう。帳簿を誤魔化されても、きっと全てに気づくことはできないだろうから。


「ベルンハルト様は、自らの財産の一部も公費にあてるような方です。領民の安全が大切だからと」

「まあ」


 なんて素敵な方なのかしら、と改めて思う。公費を減らしてまで遊興費を作る貴族もいるのだから、ベルンハルトは素晴らしい領主だ。


「ですが最近、公費の割合が減りました。減らせ、という命令が直々にあったからです」

「……なぜ?」

「これを見れば、さすがに貴方でもお分かりになりますか」


 かなり失礼な言葉に腹を立てつつ、ドロシーはマンフレートが机の上に広げた帳簿をじっと見た。

 勉強はそれほど得意ではないが、収支の確認くらいならできる。


「……屋敷の修繕費にかなりかかっているわね。それから、調度品や馬車の購入にも」

「分かっていただけてよかったです。ベルガー侯爵家のご令嬢からすれば、とるに足らない金額でしょうから」


 正直なところ、馬車や調度品の金額が妥当かどうかは分からない。しかし、支出の中で、かなりの割合を占めていることくらいは分かる。


「では、馬車の相場についてご存知ですか?」


 悔しいことに、頷けない問いかけだ。ドロシーがゆっくりと首を横に振ると、マンフレートは溜息を吐いて話し始めた。


「通常の五倍の値段なんです、これは」

「……五倍? それほど豪華な馬車を購入したの?」


 呆れたようにドロシーを見つめ、マンフレートは怒りを鎮めるようにゆっくりと言葉を続けた。


「貴女の馬車ですよ」

「……そんな」


 確かに、ベルンハルトが迎えに寄越した馬車は美しいものだった。しかし、やたらと凝った造りではなかったはずだ。


 あの馬車が、そんなに高いの?


 ドロシーがベルガー侯爵家で使っていた馬車に比べれば、シンプルな造りだったのに。


「貴女にとっては、物足りない馬車かもしれませんが」

「……わたくしは、派手な馬車なんて望んでませんわ」

「だとしても、ベルンハルト様はそうは考えません。奥方様に、以前と変わらない生活をしてほしいと思っていらっしゃるのですから」

「だけど、そんなの……」

「ええ、無理です」


 マンフレートは帳簿を指差しながら断言した。


 ベルンハルトがいくら貯金をしていたとはいえ、収入や資産の格が違う。ベルガー侯爵家は、国内でも有数の名門なのである。


「そんなことをすれば、すぐに破産してしまいます」

「破産……!?」

「はい、そうです。ベルンハルト様にだって、何度もそう申し上げました」

「ベルンハルト様はなんとおっしゃっていたの?」

「金がないなら、その分戦って稼いでくると」


 マンフレートは帳簿を懐へしまい、勢いよく立ち上がった。これ以上話すことはない、とでも言いたげに、冷たい眼差しを向けられる。


「奥方様。本気でシュルツ子爵家の領地経営に興味がおありでしたら、まずはベルンハルト様に無駄遣いを控えるようおっしゃってください。まあ……」


 挑発するような笑みを浮かべ、マンフレートが去り際に言った。


「すぐに離縁するつもりでしたら、別に構いませんけれど」

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