第15話 貴族として

 ドロシーに話しかけられた少女は、いきなりのことに驚いたのか、びくっと身体を震わせて、慌てて姿勢を正した。

 しかし籠が重くてきついようで、すぐに背中が曲がってしまう。


「籠、下ろしてもいいのよ」


 ドロシーがそう声をかけると、少女は安心した顔になって籠を地面においた。

 中には、葡萄がたっぷりと入っている。


「あ、えっと、あの……っ、あ、アデル様……」


 震える声で少女はアデルを見つめた。

 ここで暮らす少女にとっては、騎士団で働くアデルは尊敬すべき存在なのだろう。


「奥方様、どうされたのですか」


 アデルが困惑した瞳でドロシーを見る。奥方様、という言葉に反応し、少女は勢いよく頭を下げた。


「顔を上げて。わたくし、貴女と話をしたくて声をかけたのだから」


 ドロシーの言葉に反応し、少女がゆっくりと顔を上げる。


「この葡萄はどこへ運んでいるの?」

「えっ、えっとその……し、集荷場、です」

「集荷場?」

「このあたりで作った農作物を王都へ運んでくれる人がいるんです。その人へは、集荷場で作物を渡す約束になっているんです」

「まあ。じゃあ、のんびりしていたら大変よね。ついていくから、その間に話を聞いてもいいかしら?」

「えっ……!?」

「ね、いいでしょう?」


 少女についていけば、領民の暮らしについて詳しく知ることができそうだ。


「ねえ、アデルさん。だめかしら?」


 アデルへ視線を向けると、戸惑った表情を浮かべながらも頷いてくれた。


「分かりました」

「ありがとう。そうだ、貴女、名前はなんていうの?」


 再び少女の顔を見ると、少女は震える声でコリーナです、と告げた。緊張しているのだろうが、受け答えはしっかりしている。


「コリーナ、この籠、わたくしが背負ってみてもいいかしら?」

「え?」

「どれくらいの重さなのか気になるの。それに、貴女は疲れているでしょう。わたくしが代わりに……」


 運ぶわ、と言いながら籠に向かって手を伸ばしたのだが、コリーナは慌てて籠を自分の方へ引っ張った。

 その拍子に、籠に付着していた泥が少し跳ね、ドロシーの白いドレスについてしまう。


「あっ……!」


 コリーナは即座に土下座した。頭を地面にこすりつけながら、申し訳ございません、と謝罪の言葉を繰り返す。


「え、どうしたの? そんなに謝ることないわよ?」

「ほ、本当に申し訳ございません。籠に触れれば汚れてしまうと思ったのですが、私が動かしたせいで、お洋服が……!」


 どうやらコリーナは、ドロシーの手や服が汚れないよう、籠を遠ざけてくれようとしたらしい。

 しかしそれが失敗し、ドロシーのドレスに泥が飛んだ。


 完全にわたくしのせいだわ。

 そもそも、コリーナが頷くより先に、勝手に籠を触ろうとしたのもわたくしだもの。


「ねえ、アデルさんも……」


 アデルに話しかけようとし、ドロシーは絶句した。なぜなら、アデルもコリーナの隣で土下座を始めたからである。


「えっ、ど、どうしたの、アデルさん!?」


 驚いたドロシーが叫ぶように問うと、アデルが緊張した声で話し始めた。


「私がついていながら、このようなことになってしまい申し訳ありません。きちんと見ていなかった私の責任です。ですからどうか、この子をお許しください……!」

「と、とりあえず二人とも土下座はやめて!?」


 ドロシーがそう言ったからか、二人はゆっくりと立ち上がった。しかし、頭を深く下げている。


 ちょっと大袈裟過ぎない?

 アデルさんはわたくしの護衛だけれど、わたくしが怪我をしたわけでもなんでもないのに。


 ただ、ドレスに少し泥が飛んだ。それだけの話ではないか。


「二人とも、わたくしは全く怒ってないわ。それにドレスだって、ちょっと汚れただけよ。洗えばいいじゃない」


 そもそも、着ていれば服が汚れてしまうのは仕方がないことだ。そんなことで、いちいち腹を立てたりしない。


「なにより、二人は悪くないのだから、謝る必要なんてないのよ」


 ドロシーがそう言うと、ようやく二人が顔を上げた。怯えたような眼差しを向けられて、ドロシーはようやく気づく。


 この二人は、自分が悪いから謝っているんじゃないわ。

 わたくしが貴族だから謝ってるのね。


 ここは、ドロシーが暮らしていたところとは違う。その意味が、だんだんと分かってきた気がする。


 平民が貴族をどう思っているのか。

 平民に対して、貴族はどんな態度をとっているのか。


 わたくしはちゃんと、それを知らなければならないんだわ。

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