第11話 アデル・バッヘム
「ドロシー様、お腹が空きましたか?」
「……はい」
顔から火が出そうなほど恥ずかしい。なにもこんな時に、盛大に腹が鳴らなくてもいいのに。
ドロシーが俯いていると、ベルンハルトが身をかがめて顔を覗き込んできた。
「すぐに食事を用意させます。見ての通りここは畑が多いので、新鮮な野菜が美味しいんです」
「まあ、では、ここでとれた野菜を料理に使っていますの?」
「はい」
「それは楽しみですわ!」
ドロシーが笑顔になると、ベルンハルトが安心したように息を吐く。その行動に、なんだかどぎまぎしてしまう。
わたくしが笑うと、ベルンハルト様はほっとしてくれるのね。
「アデル!」
ベルンハルトはデトルフたちの方を向くと、いきなりそう叫んだ。すると集団の中から、一人の人物が前に進み出る。
金髪に赤い瞳の、すらっとした人だ。髪は、男性にしては少し長めだろうか。
……いや、違うわ。この人って……。
「奥方様、初めまして」
アデルがそう言った瞬間、ドロシーは確信した。
この人、女性だわ!
かなり背が高く、男性と同じ服を着ているが、声を聞けば分かる。
「は、初めまして」
凛とした佇まいに、少しだけたじろいでしまう。そんなドロシーを見て、彼女はにっこりと笑った。
それに、すごく綺麗な人。デトルフさんと少し似ている気もするわね。
「私はアデル・バッヘム。そこにいるデトルフの姉です」
「まあ……!」
「そして今日から、奥方様の護衛を担当いたします」
「わたくしの護衛?」
驚いてベルンハルトを見つめる。
山道ならともかく、これからは領内で暮らすのだ。メイドならともかく、専属の護衛をつけてもらう必要があるのだろうか。
「ベルンハルト様は、奥方様をとても心配していらっしゃるんです。そのくせ身辺警護を男に任せるわけにはいかないと、私を護衛に任命したんですよ」
「アデル!」
うるさい、とでも言いたげなベルンハルトの声を無視し、アデルはドロシーに手を差し出してきた。
手を握ると、ぎゅっと握り返される。
「女ではありますが、ここにいる誰にも負けるつもりはありません。ですから奥方様、安心してくださいね」
「それは頼もしいですわ」
今までドロシーの周りには、武術の心得がある女性なんていなかった。
武術は男性の嗜みであり、貴族の令嬢が武術を習うことなんてなかったから。
「これからよろしくお願いします、アデルさん」
そう言ってドロシーが頭を下げる。するとなぜか、ざわめきが聞こえてきた。不思議に思って顔を上げると、アデルが目を真ん丸にしている。
「あの、わたくし、なにか変なことを言いました……?」
アデルはこれから、ドロシーの護衛をしてくれる。世話になることばかりだろうし、話す機会だって多いだろう。
だからこそ、しっかりと挨拶をしたつもりだったのだが。
「いえ。ただまさか、奥方様が私なんかに頭を下げるなんて、と」
「え? わたくしが、アデルさんに守っていただくのに?」
そう答えてすぐ、アデルが言っていることの意味が分かった。
貴族であるわたくしが、平民であるアデルさんに頭を下げたことに驚いたのね……!
確かに貴族の中には、使用人に対して尊大な態度をとる者も多い。ドロシーに婚約破棄を宣言してきたエドウィンが最たる例だ。
でもわたくしは、それがいいとは思わないわ。お母様にも言われたもの。
ドロシーの母親は、いわゆる没落貴族の娘だった。しかし母親が十五歳になった頃、家業が急に成功した。
使用人も大量に雇えるようになったが、一番よくしてくれたのは幼い時から仕えてくれていたメイドだったという。
そのメイドは満足に給料を払えなくなった時もドロシーの母を支え、結婚する時も一緒についてきてくれた。
理由を聞いた時、メイドは笑って答えたらしい。
お嬢様が好きだからですよ、と。
その話をする時の母親はとても幸せそうで、わたくしも彼女が大好きだったの、と教えてくれた。
母は死ぬまで、そのメイドの命日には花を供えていた。
身分なんて関係ないわ。人を好きになって、人からも好かれた方が幸せでしょう?
母は、ドロシーにそう教えてくれたのだ。
「アデルさん。わたくしは、貴女と仲良くなりたいんです」
今度はドロシーから手を差し出してみる。アデルは満面の笑みでその手を握り返してくれた。
知らない土地にくることに、少しだけ緊張してたけど……きっと大丈夫だわ。
ベルンハルト様だけじゃなくて、ここの人はみんな優しそうだもの。
「そうだ。よかったら、皆さんも一緒に食事にしませんか?」
思いつきで口にしてから、身勝手過ぎたかと慌ててベルンハルトの顔を確認する。
ベルンハルトは、照れてしまうほど優しい笑みを浮かべていた。
「お前ら、全員広間に入れ。配膳の手伝いくらいはしろよ」
ベルンハルトがそう言うと、その場にいた全員が歓声を上げた。
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