第8話 一生お守りします
立ったまま、何度も深呼吸を繰り返す。座らないのは、ドレスが乱れるのを気にしてしまうからだ。
あと少しすれば、ベルンハルトが迎えにくる。
馬車に乗って領地に移動するから、動きやすい服装でいいとは手紙に書いてあったけれど……。
そうは言われても、大切な輿入れ日だ。父であるベルガー侯爵も気合を入れて、高級なドレスを注文してくれた。
世界に一つしかないドレスである。
「とうとう、こんな日がくるとは……」
「お父様が決めた婚約じゃなくて、ごめんなさい」
ドロシーが軽く頭を下げると、父は大きく首を横に振った。
「そんなことは気にしなくていい。それに、あんな男に嫁がずに済んでよかったと思っているよ」
父がエドウィンのことをあんな男、と呼んだのは初めてかもしれない。婚約破棄の後は、なるべくエドウィンの話をしないようにしていたから。
「ドロシーの持参金について、ベルンハルト殿がどう言っていたか知らないだろう?」
「ええ。お父様は何も言いませんでしたし、ベルンハルト様も何も言っていませんでしたもの」
結婚時には、花嫁が持参金を持って嫁ぐのが一般的だ。持参金の額は家柄によって異なるが、ベルガー侯爵家ともなればかなりの額を期待されるはずである。
「なくても構わない、と」
「そんな……」
「貯金はしていて、それでドロシーの欲しい物は買えるはずだからと。仮にいただけた場合は、ドロシーが再婚する際の持参金としてとっておくと言っていた」
「……それはちょっと、複雑ですわね」
離婚した妻の持参金を旦那が用意するなんて、聞いたこともない。
本当にベルンハルト様は、いったいどういうおつもりなのかしら?
「とりあえず、予定以上の額を渡すことにしたよ」
悪戯っぽく父は笑うと、ドロシーの背中を軽く叩いた。
「見てごらん。ベルンハルト殿が到着したようだ」
父が窓の外を指差す。二頭の白馬が引く美しい馬車が入ってくるところだった。
返事をするよりも先に、ドロシーは玄関へ向かって走り出していた。
◆
ドロシーが玄関を開けると、目の前にベルンハルトがいた。相変わらずの鎧姿だが、陽光の下で見るベルンハルトはきらきらと輝いて見える。
「ベルンハルト様! お久しぶりですわ!」
ドレスの裾を軽く持ち、きちんと礼をする。しかしベルンハルトの顔が見たくて、ドロシーはすぐに顔を上げてしまった。
「……ドロシー様」
「はい!」
「お迎えにあがりました」
「待っていましたわ」
ベルンハルトは黙り込んで、じっとドロシーを見つめている。頭の上から爪先までじっくりと見た後に、なぜか目を逸らされてしまった。
今日のドレス、似合ってなかったかしら?
父が用意してくれたドレスは、花嫁らしく純白のものだ。腰がきゅっとくびれてはいるが、ドロシーには強調するような胸はない。
メイドが丁寧に髪を巻いて、いつもより大人っぽいメイクをしてくれた。それも、子供が無理をしているように見えてしまっただろうか。
「……あの、ベルンハルト様。今日のわたくし、どうかしら」
「可愛いです」
即答だった。気を遣っているのでは? なんて考える余裕もないほど、真っ直ぐな答えである。
「申し訳ありません。気の利いた褒め言葉が思い浮かぶような男ではなく……」
「そんなのいりませんわ。可愛いと言ってくださったら、それだけでわたくし、すごく嬉しいんですもの!」
詩集にのるような美辞麗句より、心がこもったシンプルな言葉のほうがずっと嬉しい。
ベルンハルト様の言葉は、なんだかすごく信じられるわ。
「ベルンハルト様は、今日も鎧姿なんですのね」
「ええ。道中、魔物に遭遇しないとも限らないので」
「……そうですわよね」
王都からシュルツ子爵家の領地に行くには、それなりに長い時間、山道を進まなくてはならない。
街や都市に魔物が入ってくることはないが、その外は別だ。
整備された道の周りには魔物が近づいてこないよう、防御効果のある魔法具が設置されているけれど、魔物と遭遇する確率はゼロじゃないもの。
「ご安心ください。命に代えても、貴女をお守りしますので」
まるで物語に出てくるような台詞だ。けれどベルンハルトから言われると、本当の言葉なのだろうと信じられる。
「ありがとうございますわ。でもベルンハルト様、命に代えても、なんておっしゃらないで。わたくし、ベルンハルト様がいなくなったら寂しいですわ」
驚いたようにベルンハルトが目を見開く。そして優しい瞳で、ドロシーを見つめた。
「分かりました。生きて、一生貴方をお守りします」
情熱的な言葉は、まるで一生の愛を誓っているみたいだ。
白い結婚……なんて言っていたけれど。
わたくしはそうじゃなくて構わないと思っていると伝えたら、この人はどんな顔をするのかしら?
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