第7話 弟からの贈り物

 ベルンハルトが王都を出発してから、一週間後。ベルガー侯爵家に一通の手紙が届いた。

 差出人はもちろん、ベルンハルトである。


「本当に手紙を送ってくれたわ」


 白い封筒には、シュルツ子爵家の家紋の印が押してある。ペーパーナイフで丁寧に開けると、中から一枚の便箋が出てきた。


「……え?」


 手紙を見て、ドロシーは一瞬固まってしまった。内容のせいではない。手紙の字自体に驚いたのである。


 どう贔屓目に見ても、ベルンハルトの字は汚かった。幼い子供が書き散らしたような字だ。

 前後の流れを考えればなんとか意味は分かるものの、読めない字だって多い。


「ベルンハルト様は、字を書くのが苦手なのかしら?」


 そう思いながら、とりあえず手紙を最初から読んでみる。挨拶から始まり、ドロシーの健康を心配する言葉が続いた。

 それから、必要なものがあれば何でも言ってくれということ。


 そして最後は、こう締めくくられていた。


『教わりながらこの手紙を書きました。間違えていたら申し訳ありません』


 教わりながら……って、字のことよね。ベルンハルト様は、字を書けなかったの?


 貴族は字の読み書きを幼少期に教わるが、平民はそうとは限らない。裕福な商家の生まれでもない限り、読み書きができないというのは珍しくないことだ。


 ベルンハルト様は平民出身の方だわ。その中でも、貧しい家に生まれたのかもしれない。

 それなら、読み書きができなくてもおかしくないわよね。


 平民上がりの貴族というのもそれなりにいるが、親しくしたことはない。ドロシーの周りにいる同年代の人たちは皆、生まれながらの貴族だ。


「ベルンハルト様、読むのは苦労しないのかしら? それとも、あまり長い返事だと読みにくいかしら?」


 書きたいことはいっぱいあるけれど、長さは抑えた方がいいかもしれない。そんなことを考えつつ、引き出しから便箋とペンを取り出す。


 わたくし、字にはちょっと自信があるのよね。


 幼い頃、丁寧に字を書くように、と今は亡き母親から何度も言われた。たとえ綺麗に書けなかったとしても、丁寧さは必ず相手に伝わるのだからと。


 そう言われて練習しているうちに、ドロシーの字はかなり上達した。それこそ、雑に書いても誰からも褒められるくらいには。

 けれどそうなってもなお、母からは丁寧に書くのよ、と何度も言われた。


「ベルンハルト様の字は、とても丁寧だわ」


 字が書けない人の中には、代筆を依頼する人もいると聞く。しかしベルンハルトはそうはせず、自らドロシーへの手紙を書いてくれたのだ。


「……お優しい人」


 そう呟いたドロシーの顔は、鏡を見なくても分かるほどにやけていた。





「ふふ」

「姉さん、にやけてないでちゃんと荷物確認しなよ。他にいる物はないの?」


 ヨーゼフに言われ、ドロシーは手に持っていた手紙を慌てて机の上においた。鞄に入れようと思っていたのに、いつの間にか中身を楽しんでしまっていたらしい。


 ベルンハルトと文通が始まってから約一ヶ月。

 明日、彼がドロシーを迎えにやってくる。


 手紙のやりとりは、思っていたよりも頻繁に行えた。ドロシーが返事をすると、すぐにベルンハルトも返事を送ってくれたのである。


 最初に比べると、ベルンハルト様の字も上達したわ。


 別に、綺麗な字を書けるようになってほしいと思っているわけじゃない。ただ、そういう変化を愛おしく感じるだけだ。


 プロポーズされて以来、ベルンハルトには会えていない。けれど手紙のやりとりを通じて、彼のことをとても好ましく思うようになった。


「父さんは寂しくて泣いてるっていうのに、姉さんは浮かれてるよね」

「え!? そんな、浮かれてるなんて……」

「事実でしょ。そんなに家から出ていきたいの?」

「違うわ! わたくしはただ……」

「ベルンハルト殿に会いたいだけ、でしょ」


 そう言うと、全てを見透かしたような顔でヨーゼフは笑った。昔から、弟には隠し事なんてできない。


「……そうよ。わたくし、すごくわくわくしてるの。ベルンハルト様となら、素敵な結婚生活を送れるんじゃないかって」

「白い結婚って言われてたけどね」

「そ、それはおいといてよ!」


 彼が白い結婚、と言い出した意味は未だに分からない。だからこそ会って話をして、いろんなことを確かめたいと思うのだ。


「そうだ。姉さん、これも持っていきなよ」


 ドロシーが振り返ると、ヨーゼフに小さな包みを投げられた。


「これは?」

「開けてみて」


 ヨーゼフの言葉に従い、包みを開ける。中に入っていたのは、櫛だった。持ち手部分には繊細な彫りがあるし、小さい宝石がいくつも埋め込まれている。

 そして上部に、ドロシー、と名前が刻まれていた。


「僕からの結婚祝い。家から出ない日も、ちゃんと髪くらい整えるんだよ」


 からかうような言葉だが、ドロシーには分かる。

 毎日髪を整えるたびに思い出すから、櫛をプレゼントに選んでくれたのだ。


「幸せになりなよ、姉さん」


 そう言って笑ったヨーゼフの瞳は、少しだけ潤んでいる気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る