第3話 白い結婚

「とりあえず、一度落ち着いて話をしよう」


 ベルンハルト以外の招待客が帰ると、誰よりも焦った顔でベルガー侯爵が言った。ドロシーも、そしてベルンハルトも静かに頷く。

 そして少し離れたところから、ドロシーの弟・ヨーゼフが不安そうにこちらを見ている。


 ヨーゼフにも心配させちゃったわよね。

 それに、跡継ぎのヨーゼフからしたら、今回の婚約破棄のせいでケルステン公爵家との関係がこじれるのも困るはずだわ。


「エドウィン殿はドロシーと婚約破棄をすると言った。原因はドロシーの学校での態度というが……私は、彼が嘘を言っていたことは分かっているよ」


 ベルガー侯爵が穏やかな表情で頷く。家族が自分のことを信じてくれているのが、ドロシーにとっては救いだ。


「きっと、カロリーネに騙されてるんだわ。……もしかしたら、本性を知った上で、彼女を選んだだけかもしれないけど」


 ドロシーの言葉に、ベルガー侯爵が悲しそうな顔をする。


「……すまない、ドロシー」

「どうしてお父様が謝るの?」

「私は父親として、いい婚約相手を選んでやることができなかった。お前のためだと思って、必死にこの縁談を成立させたが……」


 ベルガー侯爵が深々と溜息を吐く。父親の辛そうな表情を見たくなくて、ドロシーは俯いた。


 招待客が去って広間が静かになると、事の重大さをじわじわと実感する。

 エドウィンに嫌われたということは、社交界での居場所を失うのと同義だ。


 今後、王都で開かれるどんなパーティーに参加しても、ドロシーは歓迎されないだろう。


「そして、シュルツ子爵。君にもいろいろと聞きたいのだが……どうして、娘にプロポーズを?」


 ベルガー侯爵に尋ねられ、ベルンハルトは一度頷いてから話し始めた。


「あの場ではああするのが、最もドロシー様に恥をかかせずに済むと思ったんです。俺みたいな奴でも、求婚者がいれば多少は印象がよくなるかと」


 確かにベルンハルトが求婚してくれたおかげで、誰からも選ばれない女、というイメージがドロシーにつくことはなかった。

 エドウィンに婚約破棄されただけで終わるより、ドロシーの印象はよくなったかもしれない。


「では、君は娘のことを愛していて、結婚したいわけではないのかい?」


 ドロシー様は世界で一番可愛らしいので、というベルンハルトの言葉を思い出す。真剣な顔は、嘘を言っているようには見えなかった。


「俺は、自分がドロシー様に釣り合っているとは思っていません」


 ベルンハルトの答えは、ベルガー侯爵の質問からは少しずれている。けれど、彼が真摯に向き合おうとしてくれていることは伝わってきた。


「エドウィン殿がおっしゃったように、平民上がりの子爵に過ぎませんし、年齢だって10も離れています」


 あ、ベルンハルト様って10歳上なのね。10歳差くらいなら、わたくし的には結構ありだわ。


「ですからこれは、白い結婚です」

「は?」


 思わず反応してしまったのはドロシーだ。ベルガー侯爵が窘めるような表情をしたのは、淑女らしからぬ反応だったからだろう。


 ドロシーだってそれは分かっている。けれど、今はそれどころではない。


「白い結婚って、どういうことですの!?」

「白い結婚というのは、婚姻関係を結ぶものの、実際は夫婦としての肉体的関係を持たない、貴族の間ではしばし見られる結婚のことです」

「白い結婚の定義を聞いているわけじゃありませんわ!」


 さすがに、それくらいは分かる。

 偽装結婚、契約結婚とも言われる類のもので、互いに身分が低い愛人を持つ男女がすることもある……という噂だ。


 じゃあ、この人にも誰か愛する人がいるの? みんなの前で、わざわざわたくしにプロポーズをしたのに?

 そこまでして、わたくしに恥をかかせないようにしてくれたのに?

 わたくしのことを、世界で一番可愛いと言ってくれたのに?


 頭の中がたくさんの疑問で埋め尽くされる。意味が分からなくて、混乱してきた。


「なんで、白い結婚を申し込まれたのかということを聞いていますの!」


 ドロシーが大声で尋ねると、ベルンハルトは表情を変えずに答えた。まるで、どうしてそんなに疑問に思うんだ? とでも言いたげな顔で。


「先程も言いましたが、俺は貴女に相応しくない。ですから、貴方が真に相応しい相手に出会えたら、その時は離婚しましょう」

「はい?」

「それまでの間は、俺と夫婦ということにすれば、婚約破棄という不名誉も少しは薄らぐでしょう。それに、ほとぼりが冷めるまで、王都から離れた俺の領地で過ごすこともできます」


 すらすらとメリットを答えるベルンハルトに、どんな表情をしていいのか分からなくなる。


「そ、それって、貴方にはどんなメリットがありますの?」

「俺は、ドロシー様の役に立てればそれで十分です」


 ……いや、本当にどういうこと?

 ここまで言ってくれるのに、申し込まれてるのは白い結婚なのよね? わたくしのことが好きじゃないの?

 あーもう、ぜんっぜん、分かんないわ!

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