伝説の画家
その年の秋主祭は、この壁画が大きな話題を呼んだ。
秋主が望んだ絵ということと、この絵自体のすばらしさが見る人のこころを揺さぶったのだろう。秋神殿に描かれた壁画は、幻想的で夢の中にいるようだ、と見る人々は口々にうわさした。
そして、俺が思った通りに、ある広告会社の人物に、ミローズは見出された。
劇の宣伝用張り紙からお菓子の包装まで、色々な広告を扱う会社で、宣伝用のポスターを描かないか、と言われたそうだ。もちろん、彼女の画風を活かしたものだ。ポスターになると、版画として多くの枚数をすることになるが、絵の構想はミローズにまかせるとのことだ。看板などは、あの壁画のような大きな板に描いた。
だから、ミローズの絵は秋島で多く見られるようになって行った。
そして、彼女の絵は秋島にとどまらず、各浮島でも見られるようになった。
契約した広告会社が、このウェルファーという世界全体に商品を納品する大きな会社だからだ。
ミローズの絵は、多くの人に愛された。
幻想的で夢の中にいるような、素敵な絵だと。
それから、彼女の原画は、過去のものも含めて高い値段がつき、売買されていった。
彼女の原画をもつのが、身分の高いものの証、とでもいうように高い値で売れて行った。
また何年かしてミローズの画廊を尋ねると、十七、八歳になった彼女の娘が店の手伝いをしていた。
ミローズの昔の姿を思い出す。
違うのは、赤毛がきちんと綺麗に整えられた直毛だということだ。
耳には小ぶりの耳飾りがあるだけで、彼女のように沢山つけているわけでは無い。
ミジェロは母親よりも大人しい感じの娘に育ったようだった。
「やあ、ミジェロ。大きくなったな」
「ゼスさん! 元気でしたか? また久しぶりですね。母を呼んできますね」
ミジェロはまだ俺が秋主だということは知らないのだろう。屈託ない笑顔でミローズを呼んできてくれた。
彼女はまた俺を居間に通してくれて、茶をふるまってくれた。
香り高い、いい茶葉を使ってる茶だ。それと、彼女お手製の菓子と。
「あの壁画の仕事から、たくさん仕事が舞い込んできてね。この画廊は今年芸術院に入る娘が卒業したら継がせようと思ってるんだ」
「そうか」
「あたしは芸術院には通えなかったけど、娘が通えるなら本望だね」
そう言って幸せそうな顔で笑う。
「ねえ、ゼス。あんたにはあの壁画を描いたけど、もっと別の特別な一枚をいつか描かせて。初めて絵を買ってくれたのも、壁画であたしを有名にしてくれたのもゼスだからね。あんたはあたしの一番の親友だし、特別だから。でも、いまはあたしの技術がまだまだだから、もっと画家として成熟したら、そのときに描かせてね」
「ああ。ミローズの絵なら、楽しみにしている。どんな絵になるだろうな」
今は天下にその名がとどろく有名な画家、ミローズ・ガルディス。
彼女はこのとき、もう五十歳に近かったが、力強い声でそう俺に約束してくれた。
けっして画家として成熟していないわけではないけれど、今はまだ彼女なりに納得したものが描けないのかもしれない。
ある日、翠神官が俺の執務室に掛けてあるミローズの絵に気が付いた。
ちなみに翠神官はまた代替わりして、いまはクラウス翠神官という、三十代半ばの人間になった。
「アレイゼス様、もしかしてこの絵はガルディス画伯の絵では?」
一番初めに彼女が描いた絵。
ガラス細工のバラが星空のなか天に昇って行く絵をみてそう言った。
「ああ、そうだ」
「やはりそうですか。そちらの青い空の小さな絵もガルディス画伯ですよね」
「そうだ。彼女の絵の特徴が良く出ている絵だな」
なつかしい。この絵を買ったのは、もうずいぶんと前になるな。彼女はどうしているだろう。
相変らず絵を描いているだろうか。
「ええ。幻想的で美しく、脆く切ない。彼女はとてもいい画家でしたね。亡くなったのが惜しい」
「……いま、なんて言った?」
「え? ガルディス画伯が亡くなった、ということですか?」
がたん、と椅子を倒して俺は立ち上がった。
ミローズと最後にあって、何年たった?
俺と違って人間には寿命がある。
成功した彼女をみて、安心してそれからあの画廊には行っていなかった。
動揺を必死で隠してクラウス翠神官に大事なことを聞き出す。
「いつ、亡くなったんだ。いくつで?」
「もう、かれこれ一か月くらい前でしょうか。歳は六十を過ぎていたと思います」
「……そんなに……」
そんなに時間がたっていたなんて。
時のながれに愕然とする。
動揺する俺を、クラウス翠神官は心配気に見た。
「どうなされましたか? ガルディス画伯が何か?」
「いや……。俺はこれからちょっと出かけてくる。一人で出かけるから供はいらん。ガラルドに行くだけだから、すぐに帰ってくる」
「はっ。くれぐれもお気をつけて」
クラウス翠神官は執務室から出ていく俺を心配しながら見送っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます