再びの十年後の再会

 あれからまた十数年たった。

 秋主祭が一か月後にせまるある日。いつものように街をそぞろ歩いていたら、ミローズの画廊の前のレンガ道に、しゃがみこんで蝋石で絵を描いている十歳ちょっとの女の子がいた。

 ストレートの長い赤毛で、がりがりな女の子。

 ミローズに初めて会ったときを思い出すような、彼女の面影を宿した子だった。


「やあ。何を描いているんだ?」


 思わず声を掛けていた。

 女の子は不思議そうに俺を見上げて小さな声で、ネコと答えた。

 

「そうか、ネコか。お母さんは元気か?」

「げんきだよ」


 女の子は母親のことを聞かれたせいか、俺のことを母親の仕事仲間だと思ったようだ。少し警戒を解いて蝋石を握りしめて立ち上がり、大きな声で母親を呼んだ。


「おかあさーん。お客さんだよー」

「わかったわ、ミジェロ、今行くよ」


 すぐに少し歳を取ったミローズの声が聞こえてきた。そして皺が目立つ顔が画廊から現れる。

 

「あ……」


 驚いた顔。

 俺は少しきまり悪げに片手をあげた。


「久しぶり、ミローズ」

「ゼス!? ゼスなのかい! ああ、懐かしい!」


 彼女は俺と分かると、小走りに近づいて来て思い切り抱き着いてきた。


「懐かしいね!」


 うっすらと涙を浮かべて喜ぶ彼女に、俺も彼女を抱きしめ返す。


「元気そうでなによりだ。旦那も元気か?」


 そう言うと、彼女の顔はどんよりと曇ってしまった。


「サクルは病気で亡くなってさ。もう、だいぶ前にね。みんな、あたしの大事な人は先にいっちまう。あたしはいつもおいて行かれる」

「……」


 俺はその言葉に対して、何も言えなかった。俺たち季主も人間達をみんな見送ってきた。

 その辛さはある程度分かるつもりだが、俺の感覚とミローズの感覚は、きっとまったく違うものだろう。


「でも、あたしにはミジェロがいるからさ。稼がなきゃ」

「そうか」

「でも、絵も売れなくてさ。とくにあたしの絵なんかまったくね」

「俺はミローズの絵が好きだけどな」


 ミローズはふふふと笑った。


「そんなことを言ってくれるのは、昔からあんたとサクルくらいだよ」

「そうか」


 くしゃりと笑顔に顔をゆがめた彼女を、俺はまた抱きしめた。

 ふくよかだった二十代のころから、彼女はずいぶん痩せた。

 身体を離すと、お茶でも飲んでいきなよ、と誘ってくれたので、またごちそうになることにした。


 居間のテーブルに二脚の椅子が置いてあって。

 娘のミジェロが、どこからか椅子をもってきてくれた。


「絵が売れないって、どうしてだ?」

「さてね。飽きられたかな。あたしは前からあんまり注目される画家でもなかったしね」


 茶をこぽこぽと器に入れながら、自嘲気味に呟いた。


「多くの人が見れば、きっと君の絵の良さが分かる人がいると思う」


 ミローズは俺の言葉に驚いた顔をして、次にはあはは、と笑った。


「サクルと出会ったときと同じようなことを言うね」

「そうか? なんか、すまん」


 ミローズは娘に手作りのプリンを与え、俺には茶と菓子を出してくれた。

 とても香りのいいお茶だ。

 

「いいよ。ついでだから、ちょっとサクルの話をしてもいい?」

「ああ、聞くよ」


 ミローズの夫だった、すでに病気で他界してしまったサクル。

 彼もやはりミローズの絵に魅了された一人だった。

 彼女の絵を売るために彼女と画廊を開いて。

 そこで、いろんな画家の絵を売りながら彼女の宣伝をして。

 ミローズの絵は少しずつ売れていった。


 しかし、彼はとつぜん、不治の病にかかり、あっけなく他界してしまった。

 娘と二人だけで残されたミローズは、夫がのこしてくれたこの画廊の経営を引き継いだ。

 そして、ミローズの絵はそのころから売れなくなってしまったのだった。

 実力ではなく夫の顔で売ってもらっていた現実を知り、ミローズは打ちのめされた。

 それでも彼女は絵を描くことを辞められず、売れない作品が溜まっていった。


 そんな話を、茶を飲みながらぽつりぽつりと話してくれた。


 描かれた絵が部屋に飾ってある。

 相変らず幻想的で美しい、美しすぎてもろく切なくなる絵だった。


 だから、ミローズの絵は売れないのかもしれない。それに、芸術院を出た画家でもないから。


 でも、何か大きなきっかけがあれば、彼女の絵は陽の目をみるような気がしていた。


 俺が力になれないだろうか?

 一人の芸術家のちからに。

 

「なあ、ミローズ」

「なに?」


 茶を飲みながらミローズは不思議そうに俺をみた。


「大きな仕事が入ったら、いま出来そうか?」

「なに? 仕事くれるの?」


 彼女は冗談っぽくわらった。


「ちょっと心あたりがあるから、依頼するかもしれない。期限は秋主祭くらいまでで」

「ほんとう? そのころは画廊の仕事も忙しいけど、絵の仕事くれるんなら時間を作るよ」


 明るい笑顔で彼女は頷いてくれた。


 彼女の絵は、ここで埋もれてしまっていい絵ではない。

 俺の直感がそう言っていた。


 

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