ミローズの画廊

 秋島筆頭神官、翠神官すいしんかんから、人間たちの様子を知るために朝の報告を聞いていた俺は、ふと目をそらせて壁に掛けられた絵をみた。

 あれから十年はたっただろうか。

 あの時ミローズの絵を買った俺は、それを自分の執務室へと飾った。いつでも見ることが出来る位置に飾り、今もそれはこの部屋に掛けられている。


「アレイゼスさま? どうしたのですか? 急に遠い目をなされて」

「あ、いや、すまん。ちょっと昔を思い出してな」

「あの絵ですか」


 そう言って翠神官はミローズの絵を見る。


「不思議な画風ですよね。ガラス細工のバラ。幻想的で儚い」

「ああ。いま、これを描いた人を思い出していた。彼女はどうしてるかな。少し調べてはもらえないか? ミローズという女性なんだ」

「ミローズですか? 調べておきます。芸術院出身の方ですか?」

「……いや、彼女は……芸術院には行ってない」


 芸術で成功しているのは、芸術院を出た人間がほとんどだ。そして、芸術院を出ていない無名の画家は、ほぼ何に関しても相手にされないことが多かった。

 何か絵を依頼する側も、芸術院出のものに頼むのだ。それは何かのパンフレットだったり、ポスターだったり、ちらしだったり。


だから、彼女はもう、絵を辞めてしまったかもしれない。無名のまま、挫折したかもしれない。でも……こんなに素晴らしい絵を描く画家が人知れずいなくなるはずがない、とも思うのだ。


「そうですか。分かりました。調べておきます」


 翠神官はそう言って俺の執務室から退出した。

 後日、翠神官から伝えられた事実に、俺はやはりなと口元がゆるんだ。

 彼女は画廊を開いていた。美術作品を展示するために場所を貸す。そこで自分の絵も売っていたし、子供たちに絵も教えていた。

 歳はすで二十代後半。

 俺は彼女にとても会いたくなった。




 秋主だとバレるのは面倒なので、普通の街の男の恰好をして出かけた。俺の外見年齢は人間でいうと三十なかばくらいだ。

 それでも俺はあのときから十も歳をとっているようには見えないだろう。

 季主は姿を変えられるから、皺でも作ってみればよかったが、不自然な顔になったら無気味になると思って何時ものままで出かけた。


 ガラルド美術館の裏通りの一角に、それはあった。


『ミローズの画廊』


 名まえを見て、そのまんまだな、と苦笑した。彼女らしい。


 入口はガラスでできた扉だった。少し緊張したが、そこを開けると中から一人の男がでてきた。


「いらっしゃいませ。ようこそ、どんな絵をお求めでしょうか」


 そう言ってにこやかに近づいてくる。

 そうか。画廊にくるのは絵を買うためだからな。ミローズの絵をまた何か買っていこうか。


「ミローズという画家の絵をみたいんだ」


 そう言うと、男は破顔してこちらへどうぞ、と俺を促した。

 階段をのぼり、二階の一角に彼女の絵は飾られていた。

 彼女の絵と向き合う。

 相変らずの幻想的な作風。

 ここではない、どこかの楽園を夢見たような風景で。

 舞い散る草花、青い空、美しい世界だけれど、美しすぎて少し切ない。


 この絵を描いた彼女には、何が視えていて、何を求めて描いたのだろうか。


「この絵は少し前に描いた絵なのよ」


 絵から目を離して後ろを見ると、ミローズが立っていた。


 赤毛を変わったかたちに結っていて。

 相変らずいくつもの耳飾りをしていた。がりがりだった昔とは違い、全体的にふくよかになっていて。そして、腕に赤ん坊を抱いていた。


「久しぶりねえ、あんたゼスでしょう?」

 

 俺は満面の笑みになり、彼女を赤ん坊ごとだきしめた。

 ふくよかになっても彼女はすっぽりと俺の腕の中におさまる。


「ああ! 相変らずいい絵をかくな! そして、赤ん坊が生まれたのか!」


 腕を離すと、彼女は少し照れ臭そうにして、隣にいたさっきの男を俺に紹介した。


「ここの店主で旦那のサクル・ガルディス。このの名前はミジェロっていうんだ」


 ミローズは幸せな笑顔を浮かべて、夫と娘を俺に紹介した。


「そうか……あれからもう、十年もたったんだもんな。結婚したのか。幸せそうで何よりだ」


 俺は心底嬉しくなって、彼女を祝福した。


「ありがとう、ゼス。サクル、この人はあたしの絵を初めて買ってくれた、ゼスっていう人だ」


 ミローズは幸せそうな顔で夫を見ると、俺を彼に紹介した。

 

「もう、十年も前のことなのに、よく覚えていてくれたな」

「当たり前だよ。だって初めてあたしの絵にお金を払ってくれた人だからね」


 むずがる赤ん坊をあやしながら、ミローズは俺をみた。

 絵に描いたような幸せな様子に、俺はすっかりと安心した。


「何か絵を見せてくれないか? またいい絵があったら買っていこうと思っていたんだ」

「嬉しいねえ。じゃあ、とっておきのを持ってくるよ」


 そう言って彼女は赤ん坊を夫に抱かせ、奥から一枚の絵を持ってきた。

 

 それは、小さめの絵だけれど、青い空に浮かぶ雲が、中央を境に青空ごと下へ鏡のように映り込んでいた。やはり幻想的な絵だった。


「これはつい最近描いたんだ。大きさも手ごろだし、いいと思うんだけど」

「これは空と湖に映った雲か? 美しいな。これを貰っていこうか」


「ありがとうございます」


 夫であるサクルが丁寧に俺に頭を下げた。

 

「いい絵が買えてよかった。ミローズとも会えたし、なにより幸せそうで良かった」

「ありがとう、ゼス。そしてまた絵を買ってくれてすごく嬉しいよ」

「なんの。いい絵だから買うんだ」


 雲の絵を包んでもらうと、絵は脇に挟んで持てるくらいの大きさだった。


「このまま持って帰れるな。代金はいくらくらいなんだ?」

「大負けにまけて五万ビルクでいい」

「いいのか? ここの店の絵は少なくとも十万ビルクくらいはするものが多いけど」

「いいんだ、ゼスだからね」


 笑んだミローズを見て、俺も笑んだ。


「ならばそれでいただいて行こう」


 こうして、俺はまたミローズの絵を手に入れたのだった。


 

 

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