4章 笑顔の裏側③
京紫朗に止められたうえ、院内のスタッフからは霊病科が治療に関わることをよく思われていない。もろもろの理由から職場で大っぴらに都市伝説の件について話すわけにはいかず、一叶たちはHILARIOUSに移動し、いつものデッキ席でスマートフォンを囲むように座っていた。
向かいの席でぐっとビールを飲んでいる和佐は、豪快にジョッキを置く。
「やっぱ、やりづれえったらねえな」
「んぐ……今日の看護師長のこと? でも、協力してくれた人もいるじゃん」
翔太は唐揚げを頬張りながら、隣の和佐に目をやる。
ここへ来る前、一叶たちは病院の裏口に出て、唯一の協力者――瑞穂に連絡を取った。
『噂の出処ですか? それなら、私に探させてください!』
電話から意気込んだ声が聞こえて、一叶は思わずスマートフォンを耳から少し離してしまった。
『頼んだのは私なのに、魚住先生たちに任せっきりなのは、やっぱり申し訳ないですから』
手がかりを掴めれば、あとは自分たちで探す気でいたので、彼女の申し出は嬉しかった。巻き込むのは危険だとわかってはいたけれど、仲間のためになにかしたいという気持ちはよくわかる。
一叶は欠けてしまったエリクの存在を頭に思い浮かべながら、翔太と和佐にも相談し、瑞穂に任せることにしたのだ。
「さすがに今日中に特定すんのは難しいか」
和佐が頬杖をつき、テーブルに置いてある一叶のスマートフォンを見た。そのとき、真っ暗だったスマートフォンの画面がつき、【暮時瑞穂】の表示と共に着信音が鳴る。
一叶は翔太と和佐にも会話が聞こえるように、オンフックにして電話に出た。
「魚住先生、噂の出所はたぶん、外来看護師の
「あ、はい、大丈夫です! 暮時さん、ありがとうございました」
「いえ、またお役に立てることがあれば、ぜひ言ってください!」
瑞穂との通話を切り、スマートフォンをテーブルに置くと、翔太が言う。
「その三橋から話が聞けるといいね」
「うん」
そう翔太に返事をしたとき、知らない番号から電話がかかってきた。もしかしたら、と期待を胸に通話ボタンを押す。
「もしもし」
「あ……もしもし、三橋……です」
「あっ、私は霊病科の……っ」
「魚住先生……ですよね。留守電を聞きました。その……あのこと……について、私に教えてほしいことがあるって……」
「は、はい、そうなんです。実は院内で正気を失った状態で発見された人たちがいます。その方たちは例の都市伝説に似た状況に遭遇したせいで、そうなったんじゃないかと考えていまして、情報を集めているのですが、三橋さんがその噂の出所ではないかという話を耳に挟んだものですから、なにか知っていればお聞きしたいなと……」
電話越しに息を呑んだ夏江は、やがて静かに語り出す。
「……外来の受付時間が終わって、トイレに行ったんです」
「!」
「手を洗い終えて、出ようと思ったとき、入り口で真っ赤な白衣を着た先生とすれ違って……」
夏江の話を聞きながら、その時の光景を想像する。
『お疲れ様です』
そう言って、自然に横に避けた夏江はその医師が行ってから歩き出そうとした。
『三橋夏江さーん』
急に名前で呼ばれ、夏江は立ち止まったという。だが、スタッフ同士でフルネームで呼び合うのはおかしいし、考えてみれば赤い白衣なんて医師はまず着ない。
なにかがおかしい。夏江は本能的に危険を察知して、振り向けなかった。
「そのときは、とにかく逃げなきゃと思って、全力で走りました。でもその日から、いろんな場所で声がするようになったんです」
ある日、患者がたくさんいる外来で、誰かが名札を落とした。それを拾って、「落としましたよ」と言いながら振り返ろうとしたとき――。
『三橋夏江さーん』
あの声だと、夏江は動きを止めた。それから視界の端に赤い白衣の女がぼんやりと見え、恐怖で身体が固まった。
彼女がいるほうから、大勢の人間が同時に話しているようなざわめき声が聞こえてきて、それが頭に入り込んでくるような気がして、夏江はおかしくなりそうだった。
そのとき、どろりと手元に生暖かさを感じたそうだ。恐る恐る視線を落とすと、拾った名札には【マミコ】と血文字が浮かんでおり、だらだらと血を流し始めた。
『いやっ』
夏江はその場で大声をあげ、名札を手放した。周囲にいた人間は訝しげに夏江を見ており、辺りを確認すると名札も女も消えていた。
その様子を見ていた同僚の話では、夏江は急になにもない床にしゃがみ込んだと思ったら固まって、目をかっぴらくと痙攣するみたいに身体を震わせたそうだ。
「それで気づいたの、あの女に呼ばれて応えてしまった人は、おかしくなるんだって。それから、病院に行けなくなっちゃって」
「声が聞こえるから……ですね」
「はい……」
その声のせいで仕事に行けなくなって、夏江はどれほど悩んだだろう。転職したとしても、このことがトラウマになって看護師として働けなくなるかもしれない。
(早く、なんとかしないと……)
「あの、三橋さん、うなじに焼印のようなものはありますか?」
電話の向こうで夏江が確認しているのが音でわかった。
「いえ、ない……ですけど……」
「そうですか」
声にさえ応えなければ、焼印を入れられることも、正気を失うこともないということだろうか。
「あの、焼印ってなんのこ……」
『三橋夏江さーん』
夏江が話している途中で、スマホから女の声が聞こえた。一叶たちは勢いよく椅子から腰を上げ、表情を強張らせる。
「あ、嘘……なんで……ああ、やだ……いやああああああっ!」
夏江の悲鳴を最後に、通話は切れてしまった。
今の声は和佐と翔太にも聞こえていたらしく、その顔は青ざめている。
「おいおい……マジかよ」
一叶は慌てて、もう一度電話をかけてみるが、
「繋がらない……」
コール音だけがひたすら続くだけだった。
翔太は放心した様子で、椅子に座り直した。
「早く解決しないと、病院に来た人がどんどんおかしくなる」
和佐も「クソっ」と荒々しく席についた。
「霊病科へのコンサルが禁止されてるせいで、数日前からこの事件が起きてたっつーのに、なんの情報も入ってこねえし、こっちが
一叶も無力感に苛まれながら、力なく腰を下ろす。
「赤い白衣のマミコさんって、うちの病院だけの都市伝説なのかな?」
翔太が「んー」と真剣な表情でスマホを弄り、やがて落胆の息をつきながら顔を上げた。
「ネットにはヒットしない。あの焼印も、特徴を打ち込んで検索してみたけど、そっちも空振り」
「じゃ、じゃあ、うちの病院だけにある都市伝説だと仮定して、過去にもうちの病院で赤い白衣のマミコさんが現れたことがあるのかを調べてみる?」
翔太と和佐は、その提案を吟味するように何度か頷く。
「発生時期、発端がわかれば、食い止め方もわかるかもしれないしね」
「現状、赤い白衣のマミコさんに遭遇して無傷だったのは、三橋夏江だけだ。呼ばれても応えねえようにする。それが唯一の回避方法だけどよ、それだけじゃ完全には防げねえし、ずっと声は付き纏ってくんだろ? 三橋夏江みてえに元の生活に戻れなくなる」
ふたりもここまでは賛同してくれている。問題はここからだ。
「それで、それを調べるには……この病院の歴史を知る人に、聞かないとならないでしょ? だから、その……エリクくんに話してみるっていうのは……」
ふたりとも、難しい顔で黙り込んだ。
「だ、駄目かな」
エリクの力が必要なのは間違いないのだが、話しかける口実になると内心思ったのは秘密だ。といっても、翔太あたりには気づかれているだろうけれど。
「駄目じゃないけど……素直に協力してくれるかな」
「俺たちを邪険にしてる母親の味方だぞ」
一叶もそれは重々わかっている。
「けど、このままじゃ病院は立ち行かなくなる。そうなったら、医院長たちはどのみち対策を講じなくちゃいけなくなるから、耳を傾けてはくれるんじゃなかな……なんて」
自分で言っていて、『あ』となる。
(松芭部長の言う通りかも……)
都市伝説のことまで知っていたかはわからないけれど、医院長たちが動かざるを得なくなる状況になりつつある。それを待って動き出す気だったから、瑞穂が助けを求めてきても今は動くなと言ったのかもしれない。
「確かに……やろ、エリクのことからも、ずっと逃げてるわけにもいかないし」
翔太の声で、思考を巡らせていた一叶は我に返る。
「そうだな、まあ……ちゃんと腰を落ち着けて、あいつの口から話を聞きてえしな」
ばつが悪そうに目を逸らしている和佐に、一叶と翔太は顔を見合わせてくすりと笑う。
「和佐も丸くなったね」
「ふふ、だね」
こそこそと話していると、和佐はじとりとこちらを睨んだ。
「おい、聞こえてんぞ」
ふてくされる和佐の機嫌を取るため、一叶たちは無理やり乾杯の音頭を取り、グラスをぶつけ合う。単に不安を紛らわしたかったというのもあるが、ひとりじゃないから恐怖を目の当たりにしても立ち止まらずにいられるのだ。
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