第2話 やられ役の牢番、キレる





 翌日。


 出勤してきた先輩は昨日の下卑た笑みが嘘のような仏の顔だった。



「ルガス君。私は悟ったのです、煩悩こそが人々の苦痛そのものであると」


「ちょ、先輩。大丈夫ですか?」


「ええ、何も心配はありません。ただ私は、昨日までの愚かな私と決別しただけですから」



 魔王軍幹部、クィーンサキュバスのクィナ様にこってり搾り取られたのだろう。


 オーク特有のでっぷり太った身体はガリガリに痩せ細り、過酷な修行の旅を終えた僧侶のような出で立ちとなっていた。


 ふと先輩が牢屋の方に向かう。


 まさかその状態でカティアナに手を出すつもりなのか!?


 と思ったのだが、杞憂だったらしい。


 先輩はカティアナが入れられている牢屋の前で足を止め、土下座したのだ。



「人間の騎士よ。どうか昨日のことを謝罪させてください」


「……だ、誰だ、コイツは? 昨日のこととはなんのことだ?」



 カティアナは目の前の人物が自分を犯そうとしたオークだとは気付いていないようだった。


 分かる。


 俺も一目見た時は別人に見えて誰か分からなかったもん。



「昨日、カティアナ嬢を犯そうとしてたオークですよ」


「!? べ、別人ではないか!? 一晩の間に何があったのだ!?」


「私は煩悩を捨て去ったのです。私は今日から自分に厳しく、誰にでも優しく生きて行こうと思います。汝、隣人を愛せ。素晴らしい言葉です」


「……お、おい、流石にこの変わり様は怖いぞ」


「大丈夫です。俺もめっちゃ怖いんで」



 と、その時だった。


 きゅるるるるる、という可愛らしいお腹の音が地下牢に響く。


 俺はカティアナの方を見る。


 カティアナは頬を赤くしながら俺をキッと睨み、威嚇してきた。



「わ、私ではないぞ!!」


「……食事、持ってきますね」



 本人が違うと言っているのだから、追求するのは野暮というものだろう。


 俺は持ってきた食事をカティアナに渡した。


 すると、カティアナは誰が見ても分かるくらい不機嫌な顔をする。



「なんだ、これは?」


「何って、食事ですけど」


「……不味そうだな」


「……ですね」



 魔族はあまり食事に頓着しない。


 だから作られる料理は大雑把で不味そうなものが多いのだ。


 というか実際に不味い。


 形がなくなるまで煮込むし、焦げるまで焼くし、そもそも食材自体何を使っているのか誰も知らない。


 前世を思い出す前は何とも思わなかったが、今は正直俺も食べたくない。


 でも食わなきゃ死ぬのは人も魔族も一緒だ。


 俺は極力食事の匂いを嗅がないよう、咀嚼も避けて飲み込む。


 刹那、凄まじい吐き気が襲ってきた。



「むぐっ、おぇっ」



 SAN値の削れる冒涜的な味だった。


 ヘドロのようにどろりと舌に絡みつく不愉快な食感、鼻から抜けて行く生臭さ。


 不味い。不味すぎて目眩すらしてくる。


 これを以前まで平然と食べていたことが自分でも信じられない。



「おろろろろろろろろ……」


「……何故貴様まで吐いている? 普段からこれを食べているのだろう?」


「色々事情があるんですよ。うぇ、まっず」



 作った人に失礼なのを承知で言うが、これを作った人が一番食材に失礼だ。



「……ふん、食う気が失せた」


「すみませんね。……んー、仕方ない。こうなったら自分でやるか」


「やる? 何をだ?」


「調理」



 俺はカティアナの監視を先輩に任せ、魔王城の厨房に向かった。


 厨房には人っ子一人いなかった。


 魔族は純粋な強さのみで優劣が決まる完全な実力主義だ。


 そのため料理人は牢番と同様の後ろ指を指される職業だったりする。

 厨房に人がいないのは料理人自身、厨房にいることを避けているからだろう。


 俺は勝手に保管庫に入って食材を吟味する。



「お? 米あるじゃん。肉と野菜も発見。……なんでこんないい食材があるのに、作る料理がアレなんだろうな……」



 俺は鍋で米を炊き、肉野菜炒めを作った。


 肉野菜炒めの味付けは塩のみだが、さっきの料理と比べたら千倍マシだろう。


 作った料理を持って地下牢に戻る。



「へいお待ち」


「別に待ってないが。これは?」


「白飯と肉野菜炒め。さっきのよりはマシだと思うぞ」


「……ふん」



 カティアナは鼻を鳴らしながらも、牢の中で黙々と俺の料理を食べ始めた。


 その様子を見ながら、俺も飯を頬張る。



「……まあ、悪くはないな。次からは貴様が作ったらどうだ?」



 カティアナからも好評だった。


 仕方ないので今日から俺がカティアナのご飯を用意してやろうと思う。


 この調子でカティアナの胃袋を掴めば、彼女が脱獄しようとした時に殺されずに済むかも知れないしな。


 そう、思っていたのだが……。



「おい、これはどうなっておるのじゃ?」


「!?」



 身体が動かなかった。


 地下牢にやってきたその人物の放つ存在感が凄まじかったのだ。


 俺はゆっくりと振り向く。



「ま、魔王様……」



 そこに立っていたのは、『プリヒロ』のヒロインたちにとっての仇敵。


 銀色の長い髪をツインテールにした、血を彷彿とさせる真っ赤な瞳の見た目は可愛らしい少女だった。


 華奢で小柄な体躯だが、それとは対照的に胸は大きく育っている。


 側頭部からは羊のような捻れ曲がった角が生え、腰の辺りからは鴉を思わせる漆黒の翼が生やしていた。


 露出の激しい衣装をまとっており、肩やヘソ、太ももや胸元を強調している。


 彼女の名前はルシフェール。魔王だ。



「おい、貴様が牢番だな」


「っ、は、はい」



 俺はその場で膝をついて応答する。


 ちなみにもう地下牢に先輩の姿はない。あの状態だからな、今日は早退したのだ。


 あの状態じゃ色々心配だったからな。


 だから今この地下牢の責任者は俺ということになる。


 ルシフェールが俺をギロリと睨む。



「余はその女に思いつく限りの拷問をするよう命令したはずじゃが?」


「っ、え、ええと、い、今からやるところで……」


「ほぅ? では余も見学させてもらおうか」


「え゛!?」



 やばい。やばいぞ。これ完全に詰んでる。


 カティアナを拷問したら脱獄時に殺されるし、しなかったらしなかったでルシフェールに殺されてしまう。


 ルシフェールは傲岸不遜なキャラだ。


 自分に従う者には寛容だが、歯向かうものには容赦しない。

 ここでルシフェールの命令に逆らったら確実に俺は殺される。


 どうする? どうしよう!?


 どうやって言い訳したらこの危機的状況を切り抜けられる!?


 いっそ本当にカティアナを拷問し、脱獄できないよう牢屋を頑丈にするという作戦もアリっちゃアリだが……。


 前世を思い出した今、俺の精神は魔族から人間に傾いている。


 だからあまり酷いことはしたくない。


 どうしたらこの場を乗り切れるか俺が思考を巡らせていた、その時だった。



「ん? なんじゃ、これは」


「え、あ、それは俺が作った食事で……」



 ルシフェールの視線が俺の食べ掛けの食事に向けられる。


 そ、そうだ!! このまま話を逸らせば!!


 俺がそう考えた次の瞬間、ルシフェールは食事を踏み潰し、蹴飛ばした。



「ふん、くだらん。こんなものを作っている暇があるなら強くなるために鍛練するのじゃ」


「……」


「それよりも早くその人間の女を拷問せぬか。余を待たせるでない」



 ルシフェールの語る内容は、魔族にとって極めて当たり前なものだ。


 でも、ああ、でもだ。


 大したものではないが俺の作ったものを、この魔王は踏みつけて蹴飛ばした。


 どの人種よりも食事に熱意を燃やしてきた一般日本人転生者の前で、一番やってはならないことをやりやがった。


 俺はルシフェールにかしずくのをやめて、立ち上がる。



「さて。その女をどのように苦しめるのか、見せてもら――」



 パチーン!!


 俺は全力でルシフェールの、魔王の頬をひっ叩いてやった。







―――――――――――――――――――――

あとがき

どうでいい小話


作者「食べ物を粗末にする奴はタヒすべし!!」


ル「タヒすべし!! タヒすべし!!」



「オーク先輩が悟り開いてる……」「これは魔王が悪い」「あとがき思想強めで草」と思った方は、感想、ブックマーク、★評価、レビューをよろしくお願いします。


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