エストのぼうけん
起きたばかりの風が、緑の海を渡っていきます。一面にきらきらと光っているのは、ひらきかけのつぼみにかがやく朝つゆでした。広い草原では、数限りないいのちが目覚めようとしています。地面にもぐって眠っていた小さな甲虫、葉っぱの裏でまどろんでいる白い蝶、草にかくれた小鳥の巣では雛(ひな)と丸くなって目をつむっている母鳥がいます。
たくさんのいのちを抱いている大草原は、やがて静かな大きな山へと続いていきます。その大きな山のふもとに、やっぱり大きなどうくつの入り口がありました。その入り口からそおっと入っていくと、すべすべとしたかべが少し曲がりくねりながら続いていきます。そのいちばん奥には、ぼんやりと明るくて静かでせいけつな、丸いドームのような部屋がありました。その真ん中には、いっとうの真っ白な大きなドラゴンがねそべっていました。その白いドラゴンの名前は、「ノース」といいました。ドラゴンのことばで、「雪の白さ、きびしさと美しさ、静けさ」という意味です。
ノースは、うす緑色の小さなものを抱いていました。それは、昨日の夜に生まれたばかりの、まだ目も開いていない赤ちゃんドラゴンでした。小さな声で無心に鳴いているその赤ちゃんドラゴンを、おかあさんドラゴンであるノースは、その真っ赤な眼で愛おしそうに見つめるのでした。
ノースは、赤ちゃんドラゴンを「エスト」と名づけました。ドラゴンの言葉で、「夜明けの光、希望の射す方」という意味です。エストは、おかあさんの暖かな愛情(あいじょう)に包まれてすくすくと育ちました。
そのつばさが大きく伸びてきたころ、ノースはエストをどうくつの外へと連れ出しました。エストは、それまでも少しずつ外へと出て遊んでいましたが、その日は少し違いました。いよいよ飛行訓練(ひこうくんれん)の日が来たのでした。
晴れた日です。太陽は空の一番上から少しかたむいて照らしていました。エストの足元から、おどろいた小鳥たちが飛び立ちました。弱い風が山の上から吹いていて、暑くもなくて寒くもなくて、とても気持ちがいいなと、エストは思いました。
「エスト。わたしの可愛いエスト。もうあなたはもう飛べる頃よ。ほら、こうやるのよ。」
ノースがお手本を見せます。まず、広い場所に立ち、たたんでいたつばさを少しだけ広げ、後ろ足と体全体に力を溜めて、地面に沈み込むようにします。そして、ひと息につばさをいっぱいに広げながら後ろ足で地面をけり、跳び上がりながらつばさで力いっぱい空気をかきます。
飛び立ったノースの周りから、ぶわっと生まれた風がエストのまだ細い顔に強く吹き付けました。
「さあ、やってみせて。」
ノースは、少し高く羽ばたきながら、まぶしそうに見上げているエストに向かって呼びかけました。
エストは、最初はうまく出来ませんでしたが、何度も何度もやってみました。その間、ノースはだまって見守っていました。やがて、少し浮かぶことが出来ました。でも、
「いっててて……」
すぐに地面に落ちてしまいました。ノースは思わずはげましました。
「もう少し。もう少し。」
太陽がすっかりとかたむいて、赤くすきとおった光が辺りをそめ始めたころ、
「やった!やったよ!おかあさん!」
エストは、飛び立つことが出来たのでした。そのままによろよろと飛び回るエストを見守りながら、
「……」
ノースは、声につまってしまうのでした。
◆◇◇
少し冷たくて高い空には、うすくなっていくむらさきに金色の光がつらぬいています。その光に浮かびあがりながら、うすい白の雲がたなびいています。
夜明けの光は、山にさえぎられてまだどうくつの入口までとどいていません。そのかげの中では、虫たちがまだ夜だとかん違いしたままで鳴いています。草原いちめんに、ずいぶんと細い葉っぱが伸びていて、小さくておだやかな色の花たちがよつゆにぬれていました。
「エスト。わたしの可愛いエスト。起きなさい。」
「ううん。まだねむいよぉ。」
「起きなさい。」
「なんだよぉ。」
「しっかりしなさい。あなたは、行かなければならないの。」
エストは今日、大人になるために旅立つのです。
ドラゴンは、最初から炎をはくことが出来るわけでありません。そのためには、火を自分の体の中にやどす必要があるのでした。火を得るために、遠く海の向こうにある火の山へ行かなけらばならないのです。そこで得た火こそが、ドラゴンの本当のいのちとなり、それを宿して初めて、強く魔法(まほう)にみちたドラゴンがたんじょうするのです。
それでも、まだほんの若いドラゴンにとって、ひとりきりの旅は危険に満ちています。中には、この旅で命を落とすドラゴンもいるほどでした。
「さあ。行きなさい。気を付けてね。」
「行ってきます。」
朝ご飯をおなかいっぱい食べたあと、エストは一人飛び立ちました。
どうくつの入り口で、おかあさんが見上げています。エストは、その上を一回り、二回りしてから、一声鳴いて飛んでいきました。
住みなれたどうくつが後ろに小さくなっていきます。やがて草原をみおろして向かいの山がせまってきます。エストは高くとびました。
明け始めのまだ静かな空には、ひとり羽ばたいていくその音だけが聞こえています。エストは、わずかな向かい風にはかまわずに、目覚めたばかりの朝の香りを胸一杯に吸いこみました。水雲の湧き立つ緑のこい山のてっぺんをみおろすと、大きな千年杉が、いつまでもだまったままの眼差しで見つめていました。
東の空からは、まだ若い太陽が、あざやかではげしい光の矢を放っています。それは、まるで兄弟に話しかけるように、真っ直ぐなエストの背中へと、その動き続けるつばさへと、力強くひきしまったおなかへと射しているのでした。
エストの目に、遠くかがやく鏡のような光の海が見えました。あの海をこえていくのです。今はまだ見えない遠くの火の山を目指していくのです。
◇◆◇
エストが飛ぶと、鳥たちは道を空けました。何一つさえぎるもののない大空を、エストは山を見下ろして、草原をこえて行きました。
びゅうびゅうと風が向かってきます。しだいに暖かくなってくる陽ざしの中で、エストは目を細めました。
しばらくのおだやかな飛行の後、やがて、海に出ました。白い波がちらちらと見えています。どこまでも果てがないような空と海の境い目を目指して、エストは飛んでいきます。不思議なことに、エストにはどこへ向かうべきかが分かっていました。決して迷うことはありません。ドラゴンの魔法の力は、たしかにエストをみちびいていました。
エストは海の上を飛び続けました。昼になり、夜になり、朝が来て、また昼になり、夜が来て、朝が来ました。海と空のほかは、なんにも見えませんでした。ずっと晴ればかりの空でしたが、その日、空の向こうがわに黒い雲が小さく見えたかと思うと、どんどん空が暗くなってきました。あらしが近づいて来たのです。エストはだまったままで飛び続けます。
ぽつぽつぽつと、雨つぶがエストの顔に当ったかと思ううちに、雨ははげしくなってきます。すっかりどしゃ降りになってしまうと、まわりが何にも見えません。どちらが上か下なのかさえも分からなくなってしまいました。
「これは、こまったぞ。」
エストは、ずっと飛び続けていたので、もうずいぶんとつかれていました。雨でからだも冷えています。このままでは、海へ落ちてしまいそうです。
その時、ぼんやりと何かが見えました。海から突き出ている柱のようなものがありました。
「たすかった。」
エストは、その柱のようなものにつかまりました。茶色で固いそれは、何なのか分かりませんでしたが、とにかく、雨の間はこれの上で休んでいようと思いました。
長い雨でした。夜になって、朝になってもまだ降っていました。そうしてしばらくして、ようやく雨が上がりました。西の空には大きな虹が出ていました。
エストが飛び立つと、茶色の柱が沈んでいきます。海面に顔を出したのは、エストとお母さんの住んでいたどうくつよりも大きなクラーケンの姿でした。
「おおい。がんばれよぉぉ。」
クラーケンのおじさんは、エストに向かって言うのでした。
「ありがとう!」
エストはなんだか元気になって、また空に向かって飛んで行きました。
しばらく飛んでいくと、陸地が見えてきました。赤茶色の陸地が、ぐんぐんと近づいてきます。海岸です。そこには、人間がいました。小さな火をたいています。あわてふためいて逃げて行きました。エストはなんだか面白くなって、大きな声で鳴くのでした。
海岸の周りには木が生えていて、その向こうには人間たちの村がありました。ところどころに煙が細く立ち昇っていました。その村をこえて、しばらく行くとどこまでも砂ばかりの広いところに出ました。エストはなんだか暑くなってきました。
ギラギラと太陽がてりつけます。見渡すかぎり砂ばかりです。空には雲一つなくて、暑い暑い風が吹きつけてきます。砂ばくは、どこまでも続いていました。夜になり、朝が来て、また昼になり、夜が来て、朝が来ました。まだ砂ばかりでした。
おや、何かがエストの後ろからやってきました。それは、小さなたつまきの子どもでした。
「ねぇ。ドラゴンだよね。どこまでいくの。」
たつまきの子どもはたずねるのでした。
「火の山。」
エストが暑さにうんざりしながら答えると、
「ふーん。」
たつまきの子どもは、エストの周りをぐるぐると回るのでした。
「おなかへってない?」
「へってる。」
エストがそう言うと、たつまきの子どもは、エストにまっ赤にかがやく大きな果物を投げてよこしました。
「これたべなよ。パワーカムカムだよ。」
そう言うと、なんだかもうあきてしまったみたいに、どこかへ行ってしまいました。
「へんなやつ。」
エストは、果物をかじってみました。とってもみずみずしくて、甘くて少しすっぱい。エストはむちゅうで全部食べました。エストのからだに力がみなぎってきます。
「ようし!」
もうこんな暑さなんか平気です。顔を上げたエストの目に見えてきたのは、ずっと向こうにある煙を上げている火の山の姿でした。
◇◇◆
火の山に近づいていくと、なんだか息が苦しくなってきました。周りは岩ばかりです。ところどころから、熱い湯気がふき出ています。生きているものは何にも見えません。やがて、エストは苦しくて飛ぶことが出来なくなってしまいました。熱い石だらけの地面に降りて、はうようにして登っていくのでした。聞こえるのは、自分のはげしい息づかいと、ときおりふき出す熱いじょうきの音ばかりです。そこらじゅうに転がっている大きな岩をよけながら、エストは進みました。地面は熱くて、足のうらや手のひらがひりひりします。
その時、グラグラと地面がゆれました。エストが登っていく坂道の上から、大きな岩が転がってきます。その岩はエストに向かってくるようでした。
「あっ!」
ぶつかりそうになったとき、岩は何かに当って方向を変えて、エストのすぐそばを通りすぎました。そのあたりをよく見ると、黒っぽいワシのような鳥がうずくまっていました。この鳥に岩はぶつかったようでした。
「だいじょうぶですか。」
エストがたずねると、鳥はどうやら生きていました。
「ううむ……」
「こんなところでどうしたのですか。」
「……。ドラゴンかい。火の山へ行くんだね。」
その鳥は、自分も連れて行ってくれと言いました。ずいぶん年寄りの鳥のようでした。エストはその鳥を背中に乗せてやり、山を登ることにしました。
エストは、いっしょうけんめいに山を登りました。やがて、大きくまっ赤に口を開けている火口(かこう)へとたどりつきました。
すごい熱さです。燃えさかるマグマがゴオゴオと沸き上っています。辺りは焼けこげていて、のぞいているエストたちも燃えてしまいそうです。
「つきましたよ。」
エストが言うと、年寄りの鳥はのろのろとエストの背中から降りました。そうして、火口のすぐそばまで行くと、
「見ておれ。ドラゴンの若者よ。」
そういって、鳥は真っ赤に燃えさかる炎の海へ飛びこんでしまったのです。
「!」
エストがおどろいて見ていると、鳥は燃えながら落ちて行き、マグマの中にのみ込まれてしまいました。エストの足元がまたゆれます。目の前のマグマが、塊になってドーンとふき上がりました。よく見るとその中に、ひときわまぶしく光るものがありました。何だか鳥の形に見えます。
それは、炎が鳥になったような姿のままで、マグマの雨の中を自由自在に飛び回り始めました。そしてエストの方へ向かってきて言いました。
「ドラゴンの若者よ。われはフェニックス。炎によりよみがえった。」
あの年寄りの鳥は、フェニックスだったのです。炎の中で何度もよみがえり、えいえんに生き続ける魔法の生き物だったのです!
フェニックスの声は、あたりにひびきわたります。
「お前も、続け。遠いえいえんにつらなるいちぞくの末えいとして。」
エストは、フェニックスが何を言っているのかよく分かりませんでしたが、とにかくこの火口へ飛び込まなければならないことは分かりました。
マグマの海は、黒々として、その上を真っ赤なヒビが走っています。そのヒビからは、もうもうと煙が上がっていて、見ているエストの目を焼くのでした。
エストは、火口のふちに前足でつかまってのぞき込んでいます。ごくりと、のどを鳴らした時、
「おそれるな。おそれるな。お前は魔法のみなもとだ。炎をおそれるな。」
フェニックスが、火口の上を輪をえがいて飛び回りながらはげましてくれました。
やさしいおかあさんのこえが、よみがえります。
……エスト。わたしの可愛いエスト。行きなさい。
気が付けば、エストは火口へ飛び込んでいました。目をつむったままで、落ちて行きました。からだ中がちりちりとやけます。静かでした。
と、思うと、突然に背中にはげしい痛みが走ります。痛みは背中からつばさへ、尻尾へ、後ろ足へ、お腹へと広がり、やがてエストの全てを包みました。思わず開いた目に見えたのは、赤ばかりの熱い熱い空でした。
……ぼく、死んでしまうのかな。
エストのうろこが焼けています。やがて翼は真っ赤になり、エストのしんぞうまで燃えてしまいそうです。エストは、思わずマグマの中でさけびました。
「おかあさん!」
その時、エストは開いた口から、思わずマグマを飲み込んでしまったのです。でも、不思議になんともありません。
「あれ。あつくないや。」
それどころか、マグマはエストのからだの中で、暖かでした。
「!」
エストのからだが変化していきます。からだ全体がかがやいて、一回り大きくなっていきます。黒かった目が、金色に光り出しました。うす緑色だったからだは、こい緑色になっていきます。今、エストは大人のドラゴンになったのです!
マグマの中から、エストが飛びだしました。そのまま大きなつばさで、バサバサと力強く火口から飛び立ちます。
エストは、からだ中にあふれる喜びを、火口へ向かって放ちました。その喜びは、真っ白な炎となって、火口へと放たれます。その炎は、おかあさんのノースと同じ、プラズマの炎でした。ドラゴンの中でも、最も強いプラズマの炎でした。
エストは、何度も何度も炎をはきました。それは喜びのかがやきであり、魔法の力そのものなのでした。
「大いなるドラゴンよ。良き魔法を広めてくれよ。」
フェニックスはエストのそばを飛びながら、満足そうに言いました。すっかりと大人のドラゴンになったエストは、そのこい緑色のうろこをきらめかせて、喜びのままに純白の炎をまき散らしながら、突き抜けるような蒼い大空に向かって大きく羽ばたくのでした。
(おわり)
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