三途の渡し
MAHITO
第1話
江戸中期――。
この日も昼間から、中町にある賎が家(しずがや)の寝間で、片肘で頭を支えて寝転んでいた。棟梁から、梅雨時は材木が湿るから普請ができねぇ、といわれれば、自然、暇になる。伊助は手間取りの大工であった。
座敷を一部屋隔てた、その先の土間に、襷(たすき)がけにして、袖をまくりあげて炊事をするお友紀の後ろ姿が見える。所帯を持って二年になる。
このところ鬱陶しい日々が続いていたが、この日は格子窓から爽やかな陽が差しこんできた。お友紀の首筋から肩にかけてポッカリと日向ができる。
「あんた」
お友紀は炊事の手を止めると、格子窓から空を見上げた。
「なんやぁ?」
あくびまじりで伊助がこたえると、お友紀は、
「ひさびさにお天気がいいわ。一緒に外に出ませんか?」
と晴れやかな口調で誘った。
二人が休みの日には、天気に恵まれることが久しくなかった。伊助は暇を持て余していたが、東海道沿いにある濱の屋という旅籠で働くお友紀にとっては、この日はたまの休みだった。
伊助は小袖の着流しに雪駄。お友紀は山吹色に赤の格子柄の着物といういで立ちで町に出た。
中町から浜往還を半刻ほど歩くと、堀と土塁に囲まれた、四日市宿を治める陣屋がある。さらに先に進むと、札ノ辻に突き当たり、この町一番の賑わいを見せる街道(東海道)に出る。
旅籠や反物屋、茶店や飲み屋が軒をつらね、昼中には人通りが絶えない。梅雨の晴れ間であるこの日は大変なものだった。
並んで歩いているつもりが、ややもすれば、お友紀が通行人に押されて遅れたりする。飯屋なども満杯で、店の前に順番待ちの客が並ぶ。
出店となっている天ぷら屋で昼飯をすますことにした。指でつまんだ芋を口にくわえ、二人顔を見合わせて笑った。
街道に出たとなれば諏訪神社への参拝は欠かせない。ここでもたいそうな混みようだった。参りを終え鳥居から出ると、
「なにをお参りしたんや?」
伊助がお友紀に聞いた。
「内緒よ。聞いたほうが先にいうものよ」
お友紀がはぐらかすと、伊助は、
「俺は、いまはただの手間取りの大工やけど、早く腕利きの大工だと認められ、もっといい仕事をもらえるようになりたいんや。そうしてゆくゆくは棟梁となって、表通りに自分の家を構え、伊助屋という大工の屋号を掲げたいんや」
と胸をはった。
「そうねぇ……」
お友紀はいったん言葉を切ると、
「わたしも同じよ。あんたが頑張れるようにとお願いしたの……。わたしも濱の屋で働いて、あんたの役にたつようにする」
そう答え、恥ずかしそうに伊助に肩を寄せた。
街道に出ると、人混みのなかに又引き姿の丸顔の男がいた。
伊助の顔がほころんだ。幼いころからの友人である三太郎であった。ともに日永村から出て、宿場で修業を積んで、伊助は大工、三太郎は石屋の職人になった。
「おおっ、おふたりさん」
三太郎のほうが人混みをかき分けて、二人の前まで来た。
「いつも仲睦まじくて羨ましいや。お友紀ちゃん、いつに増して別嬪さんやねぇ」
「まぁ、三太郎さんたら。お上手なんだから」
お友紀は顔を赤らめた。
「おめぇ、石屋の仕事はどうしたんや?」
伊助が聞くと、
「せっかくの梅雨の晴れ間なんで、親方に頭を下げて、ちょっくら町に出させてもらったんや。お参りして、そこいらの屋台でなにか食って、また仕事に戻るさ」
「そうか。じゃあ、また今度飲みにいこうや」
「おう。近いうちにな」
三太郎はそういうと、二人の邪魔をしてはいけないとでも思ったか、早々に鳥居をくぐっていった。
お友紀も三太郎のことはよく知っている。
「三太郎さんと二人で飲みにいくと、いつも深酒するんだから、気をつけてよ」
チクリと釘を刺した。
「ははは、わかってるよ」
二人でほのぼのとした気分に浸っていると、こちらに向かって、ひと際目立つ羽織姿の男が現れた。五十を過ぎて、白髪交じりだが、がっしりした体躯で、全身から力をみなぎらせている。隣には妙齢の艶やかな女を連れている。
大工の棟梁である岩之助だった。いかめしい顔つきをして、腕組みをして歩いてくる。すれ違う町人や旅人は自然と距離をおいた。
伊助の背筋がピンと伸びた。この棟梁のもとで、十三のころから修業をして、手間取りながら大工になれたのだ。
礼儀を欠いちゃいけない。岩之助のもとへ駆け寄ろうとした。
すると、岩之助の背後から人波をかきわけ、着流し姿の男が駆け寄ってきた。見覚えのある顔だった。ヒョロッとして背が高く、狐顔をしている。材木問屋いろり屋の主人の喜兵であった。
喜兵は連れの女に軽く会釈をすると、岩之助の横にならんだ。女は一歩身を引いて、二人の後についた。
伊助も鳥居のはたにお友紀を待たせて、岩之助のもとに駆け寄った。
「こんにちは。岩之助棟梁。お出かけですか?」
ていねいに頭を下げた。
( 続く )
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三途の渡し MAHITO @mahitok
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