第42話 夜風

 

 誰にも気づかれずに病院の廊下を進む男。


 鍛え上げた身体操作技術により、巧妙に消された気配を捉えられるのは、日本中でも数えられるほどしかいない。


 更に男は、自身のスキル【認識座標転移】テレポートによって、院内防犯カメラの画角からもその姿を逃れさせていた。


 足音はおろか衣ずれの音ひとつなく、翔吾たちがいる処置室から4部屋離れた処置室のドアが、軋む音すら出さずに開いた。


 看護師たちはちょうど退出していて、患者である真由以外は誰もいない。


「誰?」


 真由は入室してきた者へと問いかけた。


「演技はやめたまえ。さすがに目の前にして、ふざけすぎだ」


「……もう少し楽しませてくれてもいいじゃない。いつから気づいたの?」


「あれから誘いに乗ってくれないから、色々と調べてね。したのは炎槍の配信だ。真田真由という生徒は確かに古武術の使い手だが、動きがね。姿を変えても見ればわかるよ」


「流石ね。それで? 約束の物でも渡してくれるのかしら? 会長みずから足を運んで頂けるなんて光栄だわ」


「私以外では君の前に立てんよ。皆、殺されてしまう。……ところで、傷はどうだ?」


「私の? それとも翔吾?」


「君だよくん」


 一条美玲と呼ばれた真由は口を歪めて嗤った。


「先生って、無粋よね。せっかく顔も名前も変えて楽しんでるのに。それに傷だなんて……知ってるでしょ?」

 

「……場所を変えよう」


 仕立てのいい濃紺のスーツを着る田中が指を弾くと、二人の姿は一瞬のうちに消え、次にその姿を現したのは……翔吾たちがいる病院の屋上だった。


 眠らない都市が放つ光が相対する二人を照らす。


「あら? 取引じゃないなら、デートかしら? ならもう少し気の利いた場所がいいわ。鋭人なら……こんな魔素に汚された空なんかじゃなくて、そうね星がよく見える二人でいった——」


「——目的はなんだ。君は


 空を見ながら呟くを遮るように、田中は問いを浴びせた。


「先生の力は認識座標転移と身体強化、それに収納庫インベントリ


 美玲は田中の問いに、答えになると思えない話をはじめた。

 

「そうだな……」

 

 田中はそれを聞きながら、左手を横に突き出す。


 すると、手首から先が何もない空間へと沈み込んだかのように消えた。


「それと、スキルによらない鍛錬で身につけた剣術【無明流】もね。私もお世話になった」


 空を仰いでいた美玲の顔が田中に向いた。


「付け加えよう。ダンジョン深層に潜り、集めた魔素耐性鋼材で自ら鍛え上げた、この【鬼麿おにまろ】もだ」


 田中が、何もない空間へと沈ませていた左手を一気に引きぬく動作をすると、【鬼麿】と呼ばれる、元幅二寸五分約7.5センチ、刀身四尺約120センチに及ぶ野太刀が現れた。


 田中の手に握られた革巻の柄に鍔はない。鞘もなく抜身。意思を持つと言われ、事実、田中以外の者が扱おうとすると、持つ者の魔素を吸い続け、離さなければそのまま殺すまでやめない、まさしく魔刀である。


 その乱れ丁字の刃紋が、光を跳ね返し煌めいた。


「もう一度聞く。目的はなんだ。坂本くんは死に、須王くんはおそらく再起不能。中村くんも重症……。君ならあの魔物に間違いなく勝てた。そもそも須王君に取り付く前に勝負はつけれた筈。だが動かなかった」


 田中は鬼麿の切先を美玲へと突きつけ、殺気を放った。


「彼らが元は無成長だったということは掴んでいるぞ。あそこに落ち、違う反応を見せた彼らで、何を確認した」


 元無成長がパーティに集中していると判明したのは後期試験開始直前。須王と坂本、2人の経歴にまで調査が進んだ時点だった。


 偶然と考えるのは難しい事象。一条美玲の意図はそこにあると田中は睨んだ。


「……翔吾が現れた。鋭人だけだと諦めていたけど。私は途中まで、無理矢理にでも翔吾に言うことを聞かせようとしたんだけれど、でもあの娘がいたんじゃ無理だった。鋭人に怒られちゃう」


「答えになっておらんよ」


 美玲は僅かに顔を歪めて、笑ったような表情をみせた。


「ねえ、先生。アイザック・ベルの【境界杭概論】は読んでいるのよね?」


「……愛読書だが」


「……翔吾はダンジョンの感覚器官である、あの黒いスライムに干渉した。あれは見ることはできても、干渉なんてできないもの。そして魔窟の声に抗った。主を定めるための戦いを誘う蠱毒の調べに。しかも別身の精神汚染すら跳ね除けて。あの娘と先生達の助けもあったし、ダンジョンが翔吾を気に入ったというのもあるけど」


「魔窟、主……ダンジョンマスター説か。あれはただの落書きメモだ。誰も信じていない……」


「嘘は言ってないわよ? 一次権限である構造変化までしかダンジョンはあれに与えなかった。二次権限があれば、あの馬鹿の存在にまで気付けたのに。ダンジョンは翔吾を勝たせようとしていた。振られたけど……そうか、あの馬鹿を気に入った可能性もあるのね」


「もう少し詳しく聞きたいが、それは……後にしようっ!」


 予備動作なしに突き込まれた切先が美玲の胸元へと伸びる。


 処置のため破かれた服からのぞくの柔肌は、もはや血花を咲かせるのみ——かと思いきや。


 美玲は陽炎のように姿をかき消し、切先は空を切った。


「あははははっっ! 先生ったら、せっかちすぎるわよ」


 切先が伸びた先、何もない場所から声が響く。


「またスキルが増えたか……」


「汚れた魔素まみれのだと、わたしを殺せはしない」


 美玲は前触れなく、何もない空間から染み出すように刀の近くに現れ、その横腹を軽く叩いて微笑んだ。


「自ら掴み取った力か、元から備える力じゃないと。そう、鋭人や翔吾のように。……ああそうだ。力があるのに自覚のない馬鹿もいたわね」


「……」


 田中は刀を手元に引き、肩口に担いだ。


 なんとしても、一条美玲はここで捕えねばならない。


 姿をくらまして以来、密かにずっと追っていた。偶然にも遭遇した配信で、もしやと思い調べて引き寄せることができたこの糸。


 取引を持ちかけたのはそもそも、この機会を作り出すためだ。

 

 反ダンジョン派と呼ばれる、テロリストまがいの不穏な連中を抱き込んでの、政府要人やハンターの暗殺を主導していることは、ほぼ掴んでいる。


 おそらく、ハンター養成所アカデミー試験主催者達身内、国内2位につけるダンジョン関連企業【神兵装備(株)】も手の内。


 国政政党にまでその毒牙が……それに俄かには信じ難いが、あの魔物やダンジョンについても関係があると推測される言動。


 全てが彼女の企みだとして……あんなことが人為的に再現性を持って引き起こされるとしたら。


 放置すれば想像もできない事態が……ここで捕えてみせる。


 教えた時間は短いが間違いなく自分の弟子だった。愛する者鋭人を失ったのは同情するが、これ以上狂い咲かせる訳にはいかない。終わらせるのは師である自身の、最後の責務。


 『不死』であろうと首を飛ばせば流石に動きは止まるはず。短距離転移で視界から外れ、反応できない速度で——


「——シャァッッ!」


 横薙ぎの一閃。


 空を切り裂く剣閃が気合いと共に走り、田中の手元に確かな手応えを返す。


 美玲の首が宙を舞い、ゆっくりと地面に落ちていく。


 だが。


「言ったでしょ。これじゃ私は殺せない。先生の技も汚れた魔素で台無しよ」


「なっ……!」


 首のない体が、自らの首が地面に落ちる前に受け止め掴み、その首だけで話しはじめた。


 首から血は出ていない。


 美玲の体から滲む妖しい気配を警戒した田中は、その場から飛び退いた。


「楽しかったわ」


 美玲はそう言っておもむろに歩きだし、屋上のへりに足をかけると、田中へと首だけを向けた。


「ああ、そうそう、寝たきりの子だけど、もし目が覚めたら弟子にした方が良いわよ。それじゃあね先生。。楽しかったわ、


「待てっ!」


 美玲は散歩に出かけるような気軽さで、屋上から——飛び降りた。


 田中はすぐさま一歩を踏み出し、屋上のフチから下を覗き込んだ。


 落ちていく美玲の体と脇に抱えられた頭。


 風に煽られ乱れる髪、僅かな光で見えた口元は弧を描いて、そして——


 ——その姿を消した。


「……首を切っても動くとは、甘かったか」


 しかも、転移らしき能力まで使い、次はまた顔が変わる……。


「これでは、振り出しどころか……」


 田中は顔を上げ、夜空に浮かぶ境界杭を呆然と見つめた。


「一体何が始まると————」


 風上から吹きつける夜風が田中の呟きをかき消した。


 

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