第43話 自ら踏み出した一歩


 後期試験終了よりはや2ヶ月。


 驚異的な回復をみせ、1ヶ月で怪我から回復した翔吾は、復帰してからずっと、池袋ダンジョンでネズミ狩りを繰り返していた。


 今は地下1階エリアで魔核をバックパックにしまい込んでいるところだ。


「……」


 そしてその最中にまた気配。その数3。


「あともう少し稼ごう……」


 軽く手を伸ばせばスキルが触手となって、フロアを駆け巡り、ラージラットを捕まえていく。


「型抜き《ダイカット》」


 透明の触手で捕らえたラージラットの胸部をくり抜く動きは、流れるような手際だ。


「これなら手術費は相当なことがない限り問題はないはず……」


 母親の魔素中毒症治療のため、国内非承認の薬を海外から取り寄せ、専用の医療機器を手配し執刀医も海外から呼び寄せる。


 その費用、術後のケアも合わせて8億3千万円也。


 翔吾は現在までに、ラージラット——完全状態の魔核で100万円程度——を900匹近く狩り、目標金額を充分に達成していた。


 バックパックを背負いなおし、翔吾は池袋ダンジョンの階段を登り外へ出た。


 今後もここはメインの活動場所となる予定である。


「よお、兄さん。今日は早いな?」


 魔素耐性加工を施した空調機の故障で、蒸し風呂となった守衛室を飛び出し、ベンチに腰掛け団扇を仰ぐ永山が翔吾へ声をかけてきた。


 このダンジョンの受付守衛である永山も、翔吾が狩場を変えない理由の一つだ。


 対人関係で誤解されやすい翔吾にとって、初めから友好的でハンターとしての経験を語ってくれる貴重な人物など、響子以外に永山ぐらいしかいない。


 その永山が腰掛けるベンチの周りは、自らのスキルで作った氷柱が乱立している。エアコン修理の申請は通らず、ダンジョン外のスキル使用申請の方が通っているのも世知辛い話だ。


「永山さん、お疲れさまです。今日はちょっと用があって、早上がりです」


「……響子ちゃんだろ」


「あっ、そ、そうです」


「そりゃいい。塞ぎ込んでネズミ狩りしてるより百倍いい……というか、ここのところは顔つきもましになったな」


 永山は翔吾から、試験で事故があり入院したとしか聞いていない。


 ただ試験後にこれほど落ち込むというのは、誰かの死に直面した以外に考えられなかった。


 だがハンターとしてダンジョンに潜るなら、いつ死んでもおかしくはない。永山から翔吾に言えることはなく、翔吾が退院した復帰後は、ただ見守り続ける毎日だった。


 ようやく少しだけ上向いた感情を見せる翔吾の顔を見て、永山はさらに気づく。


「んっ? ……おいおい兄さんよ。お前まさか、ちゃんとしてねえな?! それはダメだって。ちょっとこっちきて座れよ」


 永山は呆れ顔で翔吾をベンチへ手招いた。


「お、お邪魔します……」


「さて。兄さんよ。いやここは先輩として翔吾と呼ぼう。いいか翔吾。これはハンターとしてどうこうじゃねえ。人としてだ。いいか? 今こうやって、なんとか気持ちが前向きになりつつあるのは誰のおかげだ? 彼女が色々と声をかけたり、気にかけてくれてるからだろ? まったく……わかってんだろがよ」


「あっ、そ、その……!」


 翔吾も響子の気持ちに気付かない訳ではない。ただ気が引けるのだ。何も返せない自分が情けないのだ。


 母親のことや、今回のことを理由にするつもりはないのだが、本当に自分なんかが彼女と? という気持ちが拭えない。


 加えて、ここのところは好意よりも尊敬が勝ってしまい、どうすれば良いのかなど恋愛未経験の翔吾にはわかるはずもなかった。


「どうせ、自分じゃ釣り合わないとか、尊敬とか、くだんねぇことを、まーだ考えてんだろ」


「あっ、ぐっ……」


 図星。矢が心臓に突き立ったかのように翔吾は呻いた。


「かーっ、やだねぇ、やだやだ。どうにもお節介だが、見てらんねえよ。はぁ、ったく。……これ見てみろよ」


 永山はズボンのポケットからデバイスを取り出し操作すると、画面を翔吾に向けて差し出した。


「えっ、と、すいません、芸能人とかモデルとかは疎くて」


 画面にはとてつもない美人が微笑んでいる。翔吾はその美しさから女優か何かを見せられたと思い、そう答えた。


「……俺の奥さんの美羽みうだよ」


「……えっ? あっ、いや、……すみません」


 翔吾は目を丸くして、失礼な驚き方をしてしまったことを侘びながらも、言われたことへの理解が進まなかった。


「まあ、そうなるのは知ってたがよ」


 永山は顎髭をいじりながらため息をついた。


 永山の背丈は低く、太っているわけではないが、ずんぐりとしている。顔つきも男らしいというのは良く言い過ぎで、はっきりいうとゴリラと紙一重。


「なんでぇ、その顔は。そりゃあ、おめえの方が、ちっとはシュッとはしてるがよ。いや、今はそんなことを話したいんじゃねえ。おっ、白髪だ」


 顎髭を一本ぶちりと抜いて翔吾をみると、永山は力強く言い切った。


「いいか。俺も似たようなもんだ。俺は美羽を尊敬してたし、そんな関係になるなんて思いもしなかった。だが美羽が俺に少しだけ気があるって気づいたその日に。そうしなきゃ取っていっちまうってことを知っていたからな」


 ……? 翔吾はそう考えた一瞬で、自分でも驚くほどの感情が溢れて戸惑った。


「いいか、翔吾。せっかく繋がった糸は織らなきゃ形にならず、いつか解けちまうんだ。そうやってもじもじしてる間に、誰かに取られた日にゃあ……お前一生後悔するぞ?」


「繋がった糸……」


「それにさっきも似たような事を言ったが、誰が風上に立って、お前さんに吹いた強い風を弱めてくれたよ?」


 それは間違いなく響子だった。彼女がいなければ、今の自分はないと言えるほどには。


「翔吾よ。響子ちゃんとお前はどうなりたいんだ。いきなりゴールとかの話じゃなくて。まず、することがあんだろ」


 強く優しい張り手が翔吾の背中を叩いた。


「さあ、いったいった! 期待しねえで待ってるから明日また聞かせろ! いいか! 少しだけでいいんだっ、気持ちを少し形にするんだぞっ」







 時刻は15時。


 翔吾は灼けるような陽射しに目を細めて、新宿駅の近くで響子を待っていた。


 つかないと思っていた筋肉がつき、サイズの合わなくなった服だらけになったので、服を買おうと思うと響子に話したら、私もということでの待ち合わせである。


 あわせて、今月起こす自分の会社の作業着も選ぶ予定だ。


 会社といえば、古巣である【(株)ダンジョン資源開発】は、神崎が失格になったせいで、見込み契約をしていた各取引先から苦情の嵐、ひいては取引停止とまで話が大きくなり、経営が急速に傾いていると聞いている。


「多少は気の毒だけど……もう関係ない」


 翔吾は交付された名刺サイズのハンター免許を取り出し眺めると、ポツリと呟いた。


 今年度、ハンター免許が交付されたのは、後期試験対象者436人中、432人。


 死亡事故坂本合格辞退者真由失格神崎重体による棄権須王が出たにも関わらず試験は特に騒ぎになることはなかった。


 ハンター協会による工作だ。


 入院中、ハンター協会の会長秘書がやってきて、今回のことは口外無用、話せば免許取り消しと迫ってきたことは翔吾の記憶に新しい。


 そして翔吾のスキルの虚偽申告ついても把握しているが、これは不問としてもよいとも。


 更には破損した戦闘服の代金まで解決済み。


 須王の治療費も協会が請け負う。


 そこまで聞かされると、翔吾にはもう何も言えなかった。


 しかし、坂本の死にまつわる出来事はそれで終わる訳もなく、翔吾の心を今も苦しめている。


 あの時、死体がなかったせいで実感が薄かったが、日が経つごとに、自分のせいだという自責の念が止めどなくわいてくるのだ。


 須王もまだ、回復したという連絡はない。


 真由はあの日、病院からいつの間にか姿を消し、それ以降連絡がつかない。


 辞退した理由すら翔吾にはわからなかったが、おそらく真由もスキルの虚偽申告絡みで、姿を消したのではないかとの響子の見解だった。


 あの時、もっと早くに間に合っていれば、何かが変わったかもしれない。


 それに神崎は殺さずに済んだけれど、そもそも翁の面が最初に使っていた体は……。


 自責や後悔、言いようのない不安によって翔吾の心が沈んでいく。


 けれど永山も言った通り、これでもかなりマシにはなった方だ。一時は言葉を出すことも苦しいほどに憔悴していたのだから。


 そして、この沈んだ心を浮き上がらせることができる、唯一の声が後ろから聞こえてきた。


「翔吾くん」


 翔吾はすぐに振り返り、陽射しを遮るためにかざした手を下げ……うつむいた。


「どうしたの?」


「あっ、いえ……その」


 顔を俯けたのは、響子が陽射しよりも眩しく輝いて見えたからだ。


 いつも通りの私服、変哲のない膝下までのワンピースなのに、今日は直視できない。


 永山に言われて意識しているせいだろうか。


 母親のことや、自責の思いは変わらず自分の中に重くあるが、そこから溢れるように心に浮かぶ想い。


 翔吾はそれを感じたそのままに呟いた。


「綺麗ですね……」


 響子は翔吾の言葉に唇をきゅっと結んで下を向いた。


「……ありがとう」


 翔吾の顔は見ず、赤くなった顔を伏せたまま響子はそういった。


「そ、それ、じゃあ、行きましょうか」


 翔吾は響子にぎこちなく声をかけ、緊張しながら響子の横に並んだ。


 肩が触れそうなほどに近い距離で歩きはじめた二人。


「……」


「……」


「「……あっ」」


 黙ったまま歩いていると、お互いの手が触れ、びくりと震え、離れ——なかった。


 翔吾が響子の手を握っていた。


 二人の関係が変わった瞬間だった。


 人通りがある中、気恥ずかしさですぐに離そうと、でも離れたくないと、翔吾の手は忙しげな様子を見せている。


 響子はそれを離さぬように優しく握りしめた。


 



 これはまだ始まったばかりの英雄の記録。


 その一歩目、第一章。


 


                    

 











———————————————————————


ここまでお読み頂きありがとうございます。


第1章終了です。


カクコン10参加しておりますので、お星様やブクマでの応援よろしくお願いします!


一言だけでもいいので、文字付きレビューなんかもお待ちしております!


さて今後ですが、来週のどこかで第2章冒頭を投稿したのちに一旦書きため作業に入ります。


3月か4月頃に投稿再開予定です。


それでは。






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【第1章完】ダンジョンの穴に落ちた冴えない男は、地味だけど当たりのスキルを獲得して生き残り、理不尽に耐えながらこつこつと努力を重ねて成り上がる。 山田詩乃舞 @nobuaki_takeda

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