第41話 声

 強い光と熱に目を細める中、左側の防御スキルを炎が回り込んでくる。


 翔吾は左腕を上げて顔を庇った。


 炎が巻き付いてくるが、高級戦闘服のおかげで左半身の損傷は抑えられている。


 右側に出したスキルの支えで体勢も崩れていない。


 炎が引くと同時に目を見開く。


 ここからだ。


 は続いている。


 翔吾の読み通り、翁の攻撃は距離を離すまで止めなかったのではなく、のだ。


 つまり今、翁は転移も出来ず、障壁も出せない。


 そして、横合いから飛んできた炎槍の爆発により体勢を崩している翁は、翔吾から距離を取る動きができない。


「うおおおおおおおおっっっ!!」


 翔吾は痛みを打ち消すように吠え、翁へと突進した。


 そして、手を伸ばせば届く距離、待ち望んだ瞬間——翔吾の指が翁の喉元へと触れた。


ダイカットォォォッ!!型抜き


 ネズミラージラット狩りで執拗に繰り返された技は、激痛の中でも息を吸うように発動した。


 指先から放たれた、直径5ミリまで圧縮されたパイプ形状の刃は、コンマ1秒後には須王の顎下から右頬へと突き抜け、翁の面に穴をあけた。

 

『がへっ?!』


 その衝撃により、翁の面が須王の顔から少し


 首を切っても死なないなら、面そのものをと考えた攻撃だ。


 翔吾は目に映ったその一瞬の光景に、自分の考えた僅かな可能性が正しいと直感した。


(引き剥がせるっ!)


 指から伸びる翔吾の意思に従って動くスキルは、須王と翁の面の間に出来た隙間を広げるべく、その位置で形状を変化させ、ゴム風船のように膨張しはじめた。


『ぐぎゃあぁぁっっっ!』


 須王の顔から10センチほど浮き上がった翁の面が絶叫をあげる。


 須王と翁を繋ぐ、ミミズそっくりに蠢く数十本のピンクの糸が、翔吾の膨張するスキルによって伸びていく。


 糸は須王の顔から離れまいと、2メートルの長さになってもなお耐えた。


 だが、膨張し続ける翔吾のスキルによって、長さが3メートルを超えたあたりで、翁の面から須王の顔に伸びる糸はプツンと千切れて弾け飛んだ。


 翁の面は空中でくるくると回転し地面へと落下した。


 翔吾は倒れ込む須王の体を受け止め、地面にゆっくりと横たえた。


 膝をついて屈み、須王の首筋に手を当てる。


 脈がはっきりと感じられた。


 顎下と頬を貫く穴から滲むような出血があるが、早く処置をすれば助かる可能性は高いはず。


「……ち、力が、動けっ……ないっ」


 しかし翔吾には、ここから立ち上がる力すら残っていなかった。


 まだ対処することがいくつもあるというのに、力が入らない。


「中村ぁっっっ!」


 そう……どうやって此処に来たのか分からないが、まずはからだ。


 翔吾は出口ポータルとは真逆の方向へと首を向けた。


 そこには男が一人。


 横穴の暗がりからこちらを伺っている。


 神崎だ。


 正気ではないということも翔吾には分かる。


 敵の姿はないというのに、手のひらをまだこちらに向けているからだ。


「中村ぁっ! 俺を地上に返せっ!」


「……出口ポータルはそこだ」


 声が届くように張るのも辛くなってきた。


「嘘だっ! そうやって俺を騙して殺す気だな? ならお前を先に殺してやるっ! そうすればこの声もっ!」


「……声? ……もしかして、頭に直接、声が聞こえているのか? 戦えだとか、殺せとか……」


 翔吾は心底疲れた声で答えた。


「何をブツブツいってやがるっ!」


「……」


 出口ポータルは見えているはずなのに叫く神崎の姿に、翔吾は怒りを覚えた。


 さっきから『殺せ』と絶え間なく声が囁いてくる。


 意識は失うが、力を振り絞ればあと一回程度ならスキルを使うこともできる。


 どっちにしろ狂乱状態の神崎をこのままにしておけば響子や他の者たちも無事ではすまないだろう。


 手加減できる余裕は全くない……おそらく殺すことになる。


 神崎がこちらに向ける左手に炎が揺らめきはじめた。


 もう猶予はない。


通りすがりの田中:『先に翁の面へとどめを! まだ動いている!』


夜の主砲:『超音波域に特定のパターンを確認! 行動や思考への干渉、誘導だと思われます!』


 地面に映されたメッセージ。


 限界を迎えた翔吾は、それに気付けないでいた。


「殺してやるぞ! 中村ぁっ!」


 神崎が血走った目で叫ぶ。


 翔吾はそれに呼応するように、右手を神崎へと向けた。


 スキルを放てば神崎は死ぬ。


(死ぬ……? 俺が殺すのか?)


 翔吾は何かを忘れている感覚に陥った。


 ……そうだ翁の面へ止めを——『殺せ』


 ……殺せ? 


 翔吾に疑問が浮かんだ。誰を? なぜこんな簡単に、俺は人を殺すだなんて決められる?


 ——なぜ? これを放てばみんな助かるからだ。


 そう。だから『殺せ』『殺せ』『殺せ』


 でも、これを撃てば自分はもう元には戻れない。


 嫌だ。


 『ほぉ、そうか。まだ初めてのつもりか』


 『初めておうた時、わしの体は誰のものだったと思う? お前が二つに割って首を切った体は』


 ……ああ、そうか。もう遅かったんだ。俺はもう。


 『殺せ』『殺せ』『殺せ』——


「——翔吾くんっ!」


 内に閉じてぐるぐると回っていた翔吾の意識は、響子の声で現実へと舞い戻った。


 どんな時でも自分を見捨てなかった声。諦めろとか、無理だと言われるのが嫌で、誰にも相談出来なかった母親の病気のことも、自分のことのように親身になって聞いてくれた人の声。


 いつでも背中を押して、支えてくれた声。


 翔吾の耳は、その声を聞き逃さなかった。


「そっちじゃないのっ! 翁の面よ!」


 ……なら——そうだっ!


型抜きダイカット


 翔吾は顔をくるりと反対へ向け、地面に転がっていた翁の面へと右手を伸ばしてスキルを放った。


『ぎぃぃゃぁぁぁぁっっっ!!』


 鼓膜を破るような甲高い鳴き声が、大きな穴があいた翁の面から絶叫と共に発せられ、洞窟中に響いた。


 翔吾は膝立ちの姿勢すら保てなくなり、その場にぐにゃりと曲がって倒れた。


 神崎は響き渡る絶叫で我に帰ったのか、炎槍を手からかき消した後、白目を向いて倒れ込んだ。


『しくじったのぉ……。次はこんな縛りだらけの別身ではなく……。また会おうぞぉ……』



 穴のあいた翁の面が何かを呟きながら、灰を散らすように崩れていく様が、横向きの翔吾の視界に入る。


 それと、翁の面が死んだことで脆くなった岩の枷を、力任せに引き千切り、こちらに駆けてくる響子の姿も。


「響…子さん……」


「翔吾くんっ!」


 翔吾の意識はそこで途切れた。






「成人男性、顎と頬に出血! 右半身に軽度の火傷!」

ヘマトクリット血中赤血球値はっ!?」

「38!」

「酸素飽和度!」

「90!」

「切開して挿管準備っ」


 4台のストレッチャーが、渋谷区のとある病院搬入口から緊急救命室ERへと雪崩れ込む。


「直ぐに外科と皮膚科を呼んで別室だっ! とにかく持たせろっ! こっちはっ!」


「成人女性、ヘマト正常」「肩口から胸元にかけて出血……止血済み、意識あり!」


「他に外傷なしなら、横の空いてる処置室へ移せ! 準備が出来たら縫合! 次!」


「成人男性 外傷なし! 数値正常! 意識……取り戻しましたっ!」


「頭を打ったか聞いて、ないなら一旦、廊下にだせっ! 念の為にCT! 次!」


「成人男性! 全身に打撲痕……? 出血箇所……多数! 左半身に軽度の火傷! 意識はありません、自発呼吸あり!」


「とりあえず整形外科の先生呼んで! いや、先にCTだっ! 全員、検査急げっ! それと早くハンター担当医呼んで!」


 医師の怒号にも似た叫びが響く中、1台のストレッチャーが処置室からするりと飛び出し、響子の近くへとやってきた。


「佐山課長……」


「目が覚めたのね」


「課長……俺……」


「もう課長じゃないわ」


「そうだ……くそっ、なにが、なんだか……」


 神崎は顔を手で覆って小刻みに震えた。


「はい、そこをどいて下さい! 通ります!」

 

 神崎を載せた担架が看護師によって運ばれていく。


 今日以前なら、もっと言葉をかけて落ち着かせようとしたかもしれないが、今はそんな気にもなれなかった。


 助かった要因、翁の面が隙をみせるきっかけを作ったとはいえ、その前後で取った神崎の行動は余りにもまずい。


 WDウォッチデバイスにもその様子は記録されていて、ダンジョン内での事故とするには苦しいものがある。


 だが然るべき処置を取ろうにも、神崎の実家からの妨害があるだろう。


 神崎は試験失格。それぐらいの処分が関の山。

 

 けれど。


 「許せない……」


 怒りがこみあげ、思わず響子は呟いた。


 許し難い。人が死んでいる。


 神崎がまともだったなら坂本は死なずに済んだかもしれない。みんなもっと傷付かずに済んだかもしれない。


 だが、神崎に責任は間違いなくあるといえど、坂本を殺したのはあの魔物。そして記録だけで見ると須王によるもの……。


 やり場のない怒りを抑えて奥歯を噛み締め、翔吾がいる処置室へと響子は視線を向けた——


 ——その背後を通った者に気付かぬままに。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る