第40話 賭け


「戦え」「殺せ」「戦え」「殺せ」


(うるさいっ! 俺は殺さないっ!)


「おおおおおっ!」


 翔吾は声に抗うように叫びながら立ち上がり、怒りで痛みを上書きして、翁を押し返すように一歩前に進んだ。


 その翔吾の動きに対して翁は、素早く地を蹴り距離を取った。


 スキルにかかっていた圧力が急に消え、体の痛みが引いた。


 翔吾の行動は苦し紛れの中でとったものだ。


 かなりの力を消耗するため、何回も使える手段ではなく、使えてもあと2、3回といったところか。


『ほほぉ、危ない危ない。これでもまだ動くか。しかしこの距離なら安全なようじゃなぁ。さぁて、あとどれほど耐えられるかのう?』


 だが消耗と引き換えに、翔吾はいくつかの収穫を得た。

 やはり接近は警戒されているということ。

 しかしそれは、至近距離は翁に取って危険だと示していることの証でもある。


 そして攻撃中は転移をしない。障壁と同じく、同時には使えないのだろう。


 更にもう一点、距離が離れてからも継続していたの圧力と痛み。


 動きを鈍らせ、距離を取るために継続させたにしては、一定過ぎる力。


(この考えが正しければ……)


 翔吾は翁の動きから、須王を助けられるかもしれない策を思いついた。


 ただし近づければだが。


『くかかかかっ』


 翁は険しい顔つきの翔吾を見て、楽しげに嗤っている。


『それに、お前が気にせねばならぬことはまだあるぞぉ?』


 翁は左手を肩の高さにかざし、響子と真由の方へ向けた。


『こんなふうにの』


 翁の人差し指の爪が10センチ程の長さへと鋭く伸びる。


『ほれ』


 翁の気の抜けた声と共に、爪は突如として指から射出され、響子の顔、その真横5センチの位置へと突き刺さった。


「大丈夫よ翔吾! そいつは私たちを殺す気はないの! ただの脅しよ!」


 これまで黙っていた真由が突然大声で叫んだ。


五月蝿うるさい』


 翁は響子に向けていた指を真由に向け、爪を伸ばして射出した。


「気にしちゃだめっ……」


五月蝿うるさいのお』


 真由の右肩付け根に突き立つ爪が、鈍い光を放っている。


『生意気な女じゃ。はらの役目で生かしておるだけじゃて。静かにしておれ』


「しょ……しょ、しょうご」


「喋るなっ! すぐ助けるっ!」


『くはははっ! どうやって?』


 翔吾が真由に気を取られている間に、翁が距離を詰めてきていた。


 動きに気づいた翔吾は、咄嗟にスキルで防御した。


「あっぐぅぁっ……」


 再びの激痛。


『ほれほれ、どうする? 儂は前ので懲りたから、刺し違えはもうさせぬ。遠間から防御を少しずつ削って、確実に喰ってや——っまだ動くかっ!?』


 翔吾は更なる消耗を覚悟で今度は前に出た。


 それに対し翁は、さっきよりも距離を取って飛び退く。


 、少し遅れて、翔吾のスキルにかかっていた、の圧力が急に消え、体の痛みが引いた。


(攻撃を止めてすぐ転移した方が安全なのに、それをしない……。つまり攻撃を急には止められないんだ。近づきさえすれば)


 まだ道はあると生まれた、翔吾の僅かな希望。


 だがそれは、翁によってすぐに砕かれた。

 

『ふむ。まだ元気じゃのぉ。では、こうじゃ』


 おもむろに真由へと向けられた翁の指から、再び爪が射出された。


「いっ……しょうご、気にしちゃだ、め……」


 真由の肩に突き立つ爪が二本に増えた。


『お前が刃向かわず儂に喰われるなら、女はどちらも帰してやっても良いんだがなぁ』


「……」


 ……近寄りさえできれば、思いついた手がある。けれどあの痛みと圧力の中、素早く近づくことは難しく、簡単に距離を取られる。


 もうスキルを回り込ませて須王を、いや、そもそも人質がいる今の状況では……。


 最初の一撃を躊躇った時点でこうなることは決まってしまって——


「——翔吾くんっ!」


 折れかけていた心を叱咤するような響子の叫び声に、翔吾の肩がぴくりと動く。


「テキストチャットよっ!」


 なんのことだと考える前に、自分の手元から伸びる光に翔吾は気がついた。


『さあ、終わりじゃ』


 顔を上げた翔吾の視界には、ゆっくりと歩いて近づいてくる翁の姿。


 その斜め後方には響子と真由、岩肌に縫い付けられた二人の間に映し出される文字。


夜の主砲:『あと50秒』


通りすがりの田中:『どうせ死ぬなら賭けてみませんか?』


「賭ける……」


 翔吾はぽつりと呟いた。


 確かにこのままでは死ぬ。頼れるものはもう他にない。


 夜の主砲:『この魔物を倒す唯一のチャンスが生まれる見込みです』


通りすがりの田中:『大変申し訳ありませんが、です。あと40秒』


『さあて、腹が壊れてしまうがお前は別だ。そうでなければ、此処に、まことあるじとして


 翁は、指を真由と響子の方へ向けながら、ゆっくりと近づいてくる。翔吾は腰を落として、スキルを展開した。


『ほーれ。逃げるなよぉ』


通りすがりの田中:『35秒後。そこからだと体の左側から炎槍ファイアジャベリンが飛んできます』


夜の主砲:『チャンスはおそらく一度だけ』


 翁は翔吾から2メートル離れた場所から手をかざす。


 翔吾のスキルと翁の力がぶつかりあって光を放った。


「ぐぉぉっ……」


 痛みが血流に乗ったように全身を駆け巡り、思考が霧散しそうになるが、うめきながらこらえて、テキストチャットの続きを追う。


夜の主砲:『どうにかして飛んでくる炎槍を有効活用し、敵の隙に繋げて下さい』


通りすがりの田中:『もう一度言います。今の位置だと体の左側へ飛んできます。炎槍は収束が甘いため、着弾点で爆発し周囲5メートルに炎が広がるでしょう。あと20秒』

 

 チャンスができるというならそれを信じて動くしかない。翔吾の中で思いついていた策と合わせて、手順が組まれていく。


 が飛んでくる。そして刺さらず表面で爆発すると信じる。


 翁に出来た隙を狙ってゼロ距離に詰める。


 支払う代償が想定通りにおさまれば——勝てる。


 そして、須王が助かる可能性がごく僅かに。翁の隙が必ず出来るというのなら、まだやれることがある。


 但し、読みが外れていれば——間違いなく死ぬ。


 翔吾の目に決意の光が宿った。


 カウントダウンはあと10秒


『ほぉ。良い目じゃが、そろそろお終いかのぉ?』


「ぐがぁっっ……」


 より強くなった痛みが翔吾を襲う。


 痛みの度合いが増したのは、スキルを他に展開する余裕を生むため、翁の攻撃に対応しているスキルの出力をあえて下げたせいだ。


 痛みと引き換えに、既に体の左側にはのスキルが展開され、そして右側には体を支えるためのスキルが。


 翁に翔吾のスキルが見えている様子はない。


 テキストチャットに表記された数字はあと5。


『この痛みに耐え、すぐには崩れぬ体……。うーむ乗り換えるのも悪くないように思えてきたのぉ。だが意識を殺せるか、ちと無理があるか——』


1秒……0。


『——なっ!?』


 爆発音と共に、翔吾の視界が炎色に染まった。


 



 

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