第39話 炎槍狂乱 〜神崎視点〜


 

 神崎は地下533階のセーフエリア安全地帯で、頭を掻きむしりながら震えていた。


『戦え』


『戦え』


『殺せ』


 頭の中に響く声。


 少しはおさまったと思っていたのに、一人きりになった途端どんどんと強くなって、今では隣で話しかけられているかのようだ。


「うるさい……うるさいんだよっ!」


 神崎は押し殺すような声を出し震えた。


「なんで俺はこんなところにっ……」


 未来を掴み取ったはずだった。3重技能トリプルになったことで、全てを手にすることも可能だと。


 立場に頭を下げながら背中を見て笑うものたちは、これでひれ伏すはずだと。


 この試験が終わればそうなるはずだったのに……。


 神崎は膝を抱えて震えながら、自己の世界に閉じこもろうとした。


 だが、その世界に割って入る違和感が、神崎の背中に突如として差し込まれ——


「——っ!」


 慌てて立ち上がる。


 そこへ、ドボンと水音が響いてきた。


 着水音だ。


「ぃぃっ!」


 口から漏れでた声を慌てて塞ぐ。


 もしまた黒鬼ブラックオーガが落ちてきていたなら……。


 神崎は息を殺してセーフエリア安全地帯の先を見つめた。


 ぼやけた視界の先に影が揺らめく。


 神崎は音をださぬように息を潜め、体を両手で抱いて縮こまった。


 そして10秒も経たないうち、ボタボタと、濡れた体から落ちる水か、はたまた飢えた獣の涎か定かでない音が近づいてくる。


 とにかく早く通り過ぎてくれと神崎は願った。


 しかしその願いは虚しく、安全地帯セーフエリアの先に見えたのは、ぼやけながらも縦に尖った耳、そして獣の唸り声——犬鬼コボルドだ。


 知っている大きさではなく、自身と同じほどの背丈。


 神崎はここでやり過ごすか、打って出るかを決めなければならなかった。


 犬鬼コボルドは群れをなす場合が多く、この一匹だけとは限らない。


 ……安全地帯セーフエリアは絶対ではなく、あくまでも魔物から認識されないだけ。


 もし偶然に一匹でも侵入してくれば、逃げることもできずに多数が雪崩れ込んできて、そこで終了という状況が待ち受けているかもしれない。


 ここから飛び出せば、押し包まれて殺される恐れはなくなる。


 着水音は一つだったのだから。一体だけの可能性は高い。やるべきだ。


 ……いや、同時に何体か固まって落ちてきたせいで、音が一つしか聞き取れなかったとしたら。


 やはり、やり過ごすべきなのでは。


 朦朧とした頭で考え迷っていると、悪寒に震えた神崎の歯が、思ったよりも大きな音を出してカチカチと鳴った。


炎槍ファイアジャベリンっ!」


 それは反射的なもの。敵に察知されたと思い込んだ体は勝手に動いていた。


 神崎の手から放たれた炎槍は真っ直ぐに標的へと進む。


 そしてそのまま刺さるかと思われた炎槍は、着弾地点である犬鬼コボルドの胸元で爆散した。


『ギャウンッッ!』


 本来であれば刺さってから内部を焼く槍は、神崎が集中を乱しているせいで収束せず、敵の表面で爆散、周囲5メートルにまで炎が広がった。


 それでも近距離であれば十分な威力を持ち、犬鬼コボルドの胸部周辺を吹き飛ばし魔核を砕いている。


「あああぁっ!」


 神崎は気合いと共に吠えて飛び出した。


 ここでまごついていて、奴らに仲間がいた場合、この狭い場所での闘いが待っているからだ。


 神崎は威嚇するように周りを睨む。


 だが、辺りは拍子抜けするほどの静寂。

 敵は一匹だけだった。


「……ふぅっ! ……ふぅっ!」


 だが神崎の興奮は冷めず、息も整わない。


 腹の中から湧き起こってくるのは、助かったという安堵よりも怒りの感情。


 どうして俺がこんな目にあわなければならない。


 誰がこんなことを。


「どうして……誰が俺をこんな所に…… そうだあいつだ。あいつを殺さないと……」


 神崎の足は導かれるように進むべき方向へと向き、やがて、口を開ける横穴の前へと神崎は辿り着いた。


「こっちだ……」


 横穴の壁面には


 だが、神崎はそれを見てはいるのに、特に反応を示さない


 早く帰りたいという思いと、こんなことになった原因だと、勝手に決めつけた相手への怒りと殺意に頭の中が塗り潰されているからだ。


 神崎は自分を見ている者視聴者に気付かず横穴を進んでいる。

 

 通りすがりの田中:『どうにもいけません。やはりまともな状態ではないですね。中村さんの手助けをと道を示しましたが、これではむしろ足手まといです。所詮はこの程度、期待したのが間違いでした』


夜の主砲:『ですが、テキストは目線で追っているようで、呟いていますね』


 WDウォッチデバイスのリンク先は、配信元と同じように視聴することが可能だ


 翔吾の配信を間借りしている仕様なので、配信停止措置は潜り抜けている形となる。


 WDウォッチデバイスでは一箇所しかリンクすることはできないので、二人が見ることができるのは神崎の物だけ。


 苦境に立たされた翔吾を助ける何かがないかと、縋る思いで神崎の様子を見ていたのだ。


 遠距離攻撃ができる炎槍は、翁に隙を生じさせることができる可能性がある。


 だが、神崎の様子はまともではない。


 そこで夜の主砲早川は策を講じた。


夜の主砲:『無謀な賭けですが……炎槍の効果がこの状態なら、一つ試してみましょうか』


通りすがりの田中:『どんな策が?』


夜の主砲:『特定のタイミングで書き殴って、刷り込みが出来ないか試してみます。少しの間、コメントはお控えを』


 横穴の壁面に文字が映されては消えていく。


夜の主砲:『人影が見えたら撃て』


夜の主砲:『人影が見えたら撃て』


夜の主砲:『人影が見えたら撃て』


夜の主砲:『人影が見えたら撃て』


夜の主砲:『人影が見えたら撃て』


夜の主砲:『人影が見えたら撃て』


夜の主砲:『人影が見えたら撃て』


 何かの呪文のようにテキストチャットは繰り返される。


 それを見続けていた神崎は、感情のない表情で呟きはじめ——


「——撃つ……見えたら撃つ……人影が見えたら撃つ……人影が見えたら——やってやる……殺してやるぞっ」


 ——走り出した。


通りすがりの田中:『これはサブリミナル効果というやつですか……』


夜の主砲:『いえ、実際はもっと短い間隔、認識できないほどの隙間にメッセージなどを仕込んで、潜在意識へ影響を与える手法をサブリミナル効果と言いうのですが、準備に手間がかかります。彼にはそれを用いなくても容易く誘導出来そうだったので、試してみました。しかしそれよりも、この後上手くいくかですね』


通りすがりの田中:『【人影が見えたら撃て】ですか。確かに、上手くいくかはこの後の我々次第ですな』


夜の主砲:『微力を尽くしましょう。しかし上手くいったとしても、神崎グループには色々と噛みつかれそうですね。少なくとも私のログは彼のWDウォッチデバイスには残っていますから。ありそうなのは殺人教唆などでしょうか』


通りすがりの田中:『ご心配なく。この場が終わった後のことは、私の手が届く範囲において全てどうにかします。今は我々に出来ることに集中しましょう』







 

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