第36話 落ちた四人 〜佐山響子視点〜


「——っ!」


 暗闇を落ちていく。


 不意に落下速度が早まり、また遅く。


 光。水面。


 そして、響子は水に包まれた。

  

 視界には二つの泡柱。


 翔吾から聞き、映像でも確認した状況。


 それを知っていたこともあって、取り乱してはいない。だがまさか自分にも訪れるなんて、と、驚きは大きい。


 翔吾と離れて落ちたことにひどく不安を感じるが、それは今は考えないでおく。まずは同じように着水した者を救いださねばならない。


 それが元とはいえ深層経験ハンターとして選ばれた試験官の務めだ。


 泡が収まった、ほの暗い水中、上から差し込む微かな光を頼りに、響子は少し離れた場所に浮かぶ二人を助けるべく動く。


 自身のスキル、【身体強化】強度9をいま活かさず、どこで活かすというのか。


 しかし、意気込みとは裏腹に腕も足も思うように動いてくれず、二人の元へとたどり着くのに思ったよりも時間がかかってしまう。


 ようやく近づいて、坂本と須王の二人だと確認できた。


 二人はぴくりともせず、反応がない。意識を失っている。


 二人の服を掴み、そのまま水面へ上昇していく。気を失ってまだ時間はそれほど経っていないだろうが、どれくらい水を飲んでいるかわからない。早く水面にあげなければ。


「ぷはあっ!」


 響子は水から顔を出し、息を吸って、周辺を確認した。


 ……翔吾が初めに落ちた場所とは違う。途中にあった池に思える。


 岸はそこまで遠くない。


「佐山さんっ!」


 真由が呼ぶ声。


 その声に安心しながら、響子は助けを求めた。


「……真田さんっ! 手伝ってっ!」


 力任せに腕をふりあげる。坂本と須王の二人が水面より上へと顔を出した。


 響子は岸へ向かって全力で足を動かす。


「任せてっ」


 真由が腰の深さまで池に入りこんで、響子に合流し、坂本と須王を受け取って岸へと引き上げていく。


「……ふぅ」


「お疲れ様」


 真由から出された手をしっかりと掴み、響子も岸へと上がった。

 

「……二人は」


「少し水を飲んだぐらいみたい。もう水は吐いてるから大丈夫そう。落ちてから2分も経ってないし、反応もある。けれど、意識が戻っても、すぐ起き上がって動くのは難しいかも」


 響子の問いに真由が答える。


「ひとまずは無事ね……。貴女はなんともなかったの?」


「平気。ちょっと水に濡れただけね。ほら」


 真由は服の端を握って水をしぼりだし、地面へと垂らした。


「無事ならいいのよ。さて……どうしようかしら」


「緊急信号は意味がなさそうよ? 見てて。『音声操作』『現在位置』」


 真由はそういって自分のWDウォッチデバイスをタップし操作し始めた。


『現在地点は渋谷ダンジョン地下533階です。緊急信号は送信されていますが、管理局よりの応答反応はありません。従って日本国ダンジョン法第十条三項、緊急時総則により配信回線経由に切り替え緊急信号を発信中です』


「……納得したくはないけど、そうなるでしょうね。配信からの救助も期待できそうにないし」


 響子は本当の意味で、あの時の翔吾の気持ちがわかった。


 彼はこんな場所に一人でいたのだ。


 しかも翔吾は、スキルに目覚めていない上に、ろくな装備すらなかった……。


「た、たすけ……、く、るし……い、だれ、声が」


「あぐっ……し、しらない、な、なにがっ、うっうるさいっ……」


「坂本くん?! 須王くんも?!」


 水を吐いてから横になっていた坂本と須王が意識を取り戻した。


 だがその体は起き上がることが出来ずに、ブルブルと震え、うわ言を呟いて目の焦点もあっていない。


「地下533階……魔素過多症。早くここから脱出しないと」


 響子は苦しむ二人に近いて、体をさすってやりながら、そう呟いた。


 深層領域の魔素濃度は低層階よりも濃い。


 深層経験のある高位のハンターや複数技能持ちであれば、ある程度は耐えることができるが、ただの単技能シングルでしかない新米ハンターでは、魔素吸収の許容量を超えてしまい、こういった症状が出てしまう。


 治療方法はシンプルで、魔素濃度が自身に適正な階層へ移動するだけである。


 響子は、ふと、翔吾はその症状が出ないままだったことを思い出したが、かすかに浮かんだその疑問をひとまず思考の端に追いやった。


 いつもより体の重さを感じていることのほうが、響子にとっては問題だったからだ。


 二人を救助する際、明らかにその影響を感じていた。


 自身の適正階層は超えてしまっているのだろう。ハンターを引退してからのブランクも考えると、この状況で魔物と遭遇するのはできれば避けたい。


 響子はそこまで考え、そして、違和感を覚えた。それは、ついさっき思考の端へと追いやったことだ。


 翔吾は症状が出なかった……けれど真由は?


「……貴女あなたは平気なの?」


 試験官として確認した真由のスキル申告欄には、【身体強化】の技能が一つだけ。強度は確か4……。


「わたしは……」


 問いかけに対して、いつもと違う雰囲気を漂わせた真由に向けて、響子は手をかざした。


「言わなくてもいい」


 それ以上は聞けない。この様子からして、真由が複数技能デュアル以上なのは間違いがないだろう。


 ハンターが技能を隠蔽するのはそれなりの事情がある場合が多い。開示することで余計なトラブルを産むこともある。


 クラフト系と呼ばれる素材加工や魔核を直接加工できるような技能持ちは、国外に出れば一生奴隷にされることもあり、実際に誘拐された事例もあった。


 他に隠蔽されるスキルは、精神操作系の技能や、毒に関連するものなど、悪用しやすいものといえばわかりやすいだろう。


 その中でも最も有名なのは【簒奪】と呼ばれた、技能スキルそのものを奪う、悪夢のような力。


「佐山さんには、いつか話すこともあるかもね……」


「……とにかく外に出ましょう。出口ポータルを探さないと」


 響子は真由が放つ空気から目をそらすように歩き始めた。


 記録通りなら、前方に見える横穴に近づけば反応があるはず。


「あった」


 WDウォッチデバイス出口ポータルの位置を捉えた。


「須王くんは私が担ぐから、坂本くんをお願い」


 やはりここは、翔吾が落ちて進んだ場所と同じ……。


 そのはずなのだが、横穴が一つしかないのは記憶違い? いや、確かに湖へと続く道があったはずなのに、それが見つからない……。


 響子は、もう一本あったはずの道がないことに、どうしようもない不安を覚えたが、今は帰還が最優先と首を振り、それ以上考えることをやめた。


 万全でないとはいえ、成人男性程度の重さを担ぐことに問題はない。横穴をどんどんと進んだ。


 やがて視界が開け、広いエリアの高台に浮かぶ光球が姿を現した。


「帰れる……」


 たった十数分のことながらも、過酷な状況が続いたせいなのか、高台の奥で光球が放つ煌めきは、何よりも美しく見えて、響子の胸を打った。


 翔吾はあの時、どんな思いでこれに触れたのだろうか……早く逢いたい。無事な姿を見せて欲しい


「翔吾くん……」


 響子は目を伏せ翔吾の無事を願った。


 だが。


『お前。そこのお前。お前たちじゃよ』


その願いを嘲笑うような、妖しいしわがれた声が洞窟に響いた。






 


 

 

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