第28話 崩れ始めた日常
「どうして俺は上手くできないんだ……」
口に出すことの虚しさと、心に走る一筋の傷。
今日も翔吾は、池袋駅ダンジョンでラージラットの魔核採取を続けている。
先週は飽きもせず夢中で続けられていたはずの作業が、今週はどうにも億劫だ。
居酒屋の件で仲が悪くなった訳ではないが、響子との距離感があれから上手く掴めないことに悩んでいた。
それに真由との関わり方についても。
しかも、面倒くさいことはまだある……。
思えば先月あたりから毎日明け方に、あの夢を見るようになってから、何か歯車が合わないような。
夢の中で聞こえる声。『戦え』とだけでなく、あのしわがれた声で呼ぶ声まで加わり、しかも日に日に大きくなって、気分は中々上向かない。
「普通に話すだけ、気持ちを言葉にするだけ……」
普通。翔吾にとってはどんなに遠い言葉か。
永山に言われて気づいたこと。少しだけでも気持ちを話す。
そんなことさえも、まだまともにできない。
言葉が詰まって話が続かず、沈黙で困らせてばかり。
ひたすらに愚鈍。自身を一言で現すならこれほど似合う言葉はないと翔吾は俯いた。
それでも、スキルだけは精緻に操作し、ラージラットの処理を続ける。
というより、これすら投げ出すなら本当に自分には価値がない。翔吾に残った最後の意地だ。
今のこの状況。傍から見ると、俯いて周りをろくに見ない男が、手首を軽く動かすだけでラージラットを宙に浮かせ、胸に穴をあけて絶命させていく異常な場面である。
しかしそれを指摘するものはここには誰もいなかった。
既存のスキルと比較して、あまりにも異様な翔吾のスキルは他者どころか、自分自身さえも把握しきることなく。
その刃を鋭く研ぎ続けていた。
◆
「それで、そんな浮かねぇ顔か。先週も言ったけど、悩むなんじゃなくて、動かないとな。じゃあ……ここに銀を、と」
「はい……。えーと、ここで」
「うん? おいおい、落ち込んでるくせに将棋はやたらと元気に攻めるな。現実でもこんぐらい攻めて良いんだぜ?」
「うぐっ」
「おおー、心理戦では俺の圧勝だなぁ」
永山は扇子で顔を仰ぎながらニヤリと笑った。
後期実地試験の1週間前。池袋駅ダンジョン入口横の守衛室で二人は将棋を指している。
今日も日差しが強いので、部屋は暑いはずだが、二人とも汗はかいていない。
永山がスキルで出した、人より大きな高さと幅を持つ氷柱が、入口の前でいい仕事をしているからだ。
エアコンが壊れているための処置である。
すぐに直そうにも魔素耐性を持つ素材は高価で、管理局の修理対応に必要な
つまり、直して貰える見込みはほぼないということだ。
暑さが酷いからといっても、自腹で直すにはあまりにも高い。
ならばと、永山はダンジョン外でのスキル使用申請を出して許可を取ることで、快適さを維持することにしたのだ。
「攻めようにも、あれから気持ちを言葉にするのが余計に難しくて。いやそもそも、母さんの治療が終わってもいないし、試験もまだ。こんな浮ついたことで良いのかとも……」
「ダメだな翔吾の兄さんよ。ダメダメだ」
永山はため息をはいた。
「ダメ……ですか」
真面目に考えているからこそ悩んでいるのに。
翔吾は永山の言い方に、馬鹿にされたような気分になった。
「違うんだよ。大事なのは自分のことじゃなくて相手のことだ。それをちゃんとしねえと上手くいかねえんだよ。男と女ってのは」
「相手のことを考える……」
「そうだ。人間なんて基本、自分のことしか考えねえ。自分、自分、自分。でもよ、それじゃダメだろ?」
「そんなの分かってます! だからこそ、彼女の迷惑になりたくなくてっ!」
翔吾は語気を強めて立ち上がった。
「若いねぇ。なら聞くけどよ。相手は迷惑に思ってんのか? そんなことあったか?」
「……響子さんが?」
「そうだよ。えーと、おっ、これなら詰みまであるぞ」
「迷惑……」
翔吾は力なく座った。永山に言われたことを思い返し、過去の記憶と照らし合わせる。
彼女は今まで、自分のことを迷惑そうにしていただろうか。
……ない。困ったような顔をさせてしまうことは合っても、自分がこれまでさんざん向けられてきた、あの迷惑そうな人たちの表情を、響子がしているところは一度も見たことがない。
怒りの感情を見せられて戸惑いはしたが、それは行き違い。いや、あれも自分がちゃんと言えば……。
「……ないです。ひとつもないです」
「なら、今日は俺の勝ちだな」
「えっ、あっ……」
盤面は永山の一手によって、翔吾の勝ち筋がほぼ消えていた。
考えれば見つかるかも知れないが、そろそろ帰る時間だ。
「まあ相手のことばっかり考えて自己犠牲ってのも良くねぇが。塩梅ってやつだ。……さて、来週から後期実地試験だろ。それが終わったあたりで勝負してみたらどうだ? まあ勝ちは決まってらあ。俺が言うまでもねえが、急かすほうが兄さんにはいいだろうからよ」
「来週、ああ、来週……」
「これまた悩ましげにどうしたよ? 気苦労の多いやつだな」
永山と話したことで心をモヤモヤと覆っていたものが晴れたと思いきや、翔吾はもう一つの心配事を思い出し、再び気分を落ち込ませた。
そちらの悩みは考えたくもないと、意識から外していたのだが、流石にそろそろ考えるべきかも知れない。
「パーティに神崎が入るんです」
「おおっ……あの神崎か。これまたなんでだ? 前期で上手く弾けたって話だったろ?」
「それが、後期実地試験の人数調整が入ったみたいで……合わせて複雑な事情というか」
後期実地試験は4人〜5人組で行う。
ハンター登録に必要な試験科目で、初心者講習時のような
ダンジョンアタックに際し設定された目標をパーティでクリアーして、その内容を採点するというものである。
この試験を終えることにより、晴れて正規ハンター登録となるのだ。
「人数調整? 複雑な事情?」
「神崎が
2個目のスキルが発現することは、そこまで珍しいことではない。発現タイミングもバラバラで、最初からの場合もあるし途中からもある。
だが3個となると一気に希少性が増す。
神崎は前期講習後の研修期間中、元から発現していた
「ほお。それで組まされる理由ってーと。そうか、パーティバランスか」
翔吾の話から、メンバーの能力バランスを考慮してのパーティ選定指示だと、永山は理解した。
それ以外にも、神崎の他技能が発現したタイミングも悪かった。
神崎が予定していたパーティから離脱者が出てしまっていたのだ。
前期実地講習が終わると一定数あることで、主な原因は戦闘への恐怖心を克服出来ずにリタイアであることが多い。
資源採取だけなら地下5階までの仮ハンター登録でほとんどのものが採取できるのだ。
諦めるのは珍しいことではない。
パーティの力量を考慮して、ちょうど良く組ませることができそうなのは、翔吾が予定していたパーティだけと試験開催側は判断し、決定を下した。
会社内部を飛び越えてそこまでいくと、響子が手を出せる範疇ではない。
「リタイアした理由はきっと、実地講習中にプレッシャーをかけたり、追い込んだりしていたんですよ、講師の見えないところで。きっとそうだ」
「珍しいな。兄さんがそんな言い草で嫌うなんてよ。なんとも、人間味があっていいことだ」
神崎の話をする時、翔吾の顔には負の感情が浮かぶ。
永山は、翔吾にもそういった暗さがあることを肯定してみせた。
負の感情がない人間なんて、見ていて面白くないからだ。
「嫌いというか、妙に絡んでくるんです。別に俺のことなんて放っておけばいいのに」
翔吾は神崎が絡んでくる理由に覚えがない。そもそも無成長だとわかってからの仕打ちに対しては、向こうに謝って欲しいぐらいだ。
だが
むしろこの間の借りを返すとばかりに、嫌な張りきり方をするに違いない……。
その光景を想像するだけで疲れ、うなだれてしまった翔吾を見て、永山が言葉をこぼした。
「……うーん。俺には見えてきた絵があるんだが。いや、まあだからといって兄さんに言ってもなあ」
永山は翔吾をチラリとみる。憂いに憂うとはこのことだろうか。下を向いて何かをブツブツ、モゴモゴと呟いている。
もう永山の話などは耳に入っていない。
(これがなけりゃなぁ。だがこれも、この兄さんの面白いところでもあるしなぁ)
永山は空を仰いだ。
「まあ、気楽にやることだ」
「……はい」
永山は翔吾の肩を軽く叩きながら声をかけ、翔吾は短く返事をした。
開けた筈の道は平坦なものではなく。
そして僅かに崩れ始めた日常。
翔吾は永山の言葉に感謝しつつも、それだけでは晴れない胸に残る何かに、言いようのない不安を感じていた。
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ここまでお読み頂きありがとうございます。
日常パート終了です。ここから第一章ラストに向かいますので、景気づけにお星様やブクマで応援よろしくお願いします!
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