第27話 修羅場


「翔ー吾、久しぶり」


「うぇっ?!」


 永山に相談した翌日、今日も池袋駅ダンジョンでラージラットから魔核を抜いていた翔吾は、突然の背後からの声に飛び跳ねた。


 聞いたことのある声であったことが、翔吾のスキル発動による反撃をギリギリで止めた。


「……そんなに驚くなんて、なんだかごめんね?」


 あわあわと振り返ると、やはり見知った相手。


 翔吾はほうと息を吐いて座り込んだ。ちょうど魔核をしまい込んだタイミングで助かった。


「真田さん……。びっくりしたよ……」


 真田真由のスキルは【身体強化】だ。


 レベルは4と聞いていて、決して高くはないし、別段特別なものはない。


 だが学んでいると聞いた古武術と組み合わせることで、【身体強化】の枠を飛び越えたようなスキルへと変貌している。


 翔吾の鋭敏化した察知能力をすり抜けるような性能がそれだ。


 真由いわく、身体強化で重要なのは、常人を超えた筋力の獲得よりも、関節可動域の大幅な増大と腱の強化によって、これまで不可能だった動きを可能にすることにあるらしい。


「ごめんごめん、気配消して遊んでたから、それが余計だったね」


「はぁ……ちょっと待ってて、もう終わりだから」


 翔吾はこういった時に備え、わざと足元に転がしておいた、未処理のラージラットの死体に、わざわざナイフを刺しこみ魔核を取り出しはじめた。


 背後から覗き込むような視線を感じつつ、ナイフを握り込んで切り開いていく。


 魔核にナイフが当たるような感触。


 それを無視してえぐる。


「よし、できた」


 翔吾はわざとらしく見えないように気を使いながら、真由に向けて取り出した魔核を見せた。


「あら、結構な形」


 翔吾は、いざスキルを見られてもどうにか誤魔化せないかと、ナイフを使って魔核を取り出す練習を繰り返していた。


 ただ真由は、翔吾のスキルに関わりそうなことについては一切聞いてこないので、その点は詮索もなく楽ではある。


「う、うん、それで、どうしたの?」


 妙に近い距離まで近づいてきた真由から匂う香りに戸惑いながら、翔吾は用件を尋ねた。


「どうしたって? 翔吾が連絡を返さないから来たんだけど?」


 前期実地講習で出会ったメンバー達とは、個別で連絡も取り合うし、チャットグループを作るほどに意気投合していた。


 後期実地試験も同じメンバーで臨むから、という以上には打ち解けている。


「連絡……もしかして二人で会おうってやつかな……? それ、は、あの、その」


 個別で来た連絡を翔吾は冗談だと思っていた。


「須王くんとは会って私とは無理なの? なんだか楽しそうなことも計画してたでしょ?」


「いや、そ、そうじゃなくて、その……」


 ナイフで魔核を取り出す時の注意点や、感覚的なものを聞くために、須王とは何度かあって話している。


 くわえて、どちらもキャンプを本格的に始めてみたいということで、今度落ち着いたらどこかへ行かないかと計画しはじめていたりも。


 坂本と真由よりも、須王との方が親しくなっているのは事実で、二人のことはキャンプに誘っていない。


「今日は、もう終わり? 直帰? 丁度いいじゃん。ご飯いこうよ? ねっ?」

 

 ラージラットしかいない低レベルのダンジョンといえど、あまりにも相応しくない緊張感皆無の会話が響く。


「あ……うん」


 年下の真由から放たれる圧に押され、翔吾は首を縦に振ってしまった。







「でさ、後期実地試験の前に、ここでみんなで潜ってみない? 私が前衛で翔吾が探知役——」


 行きつけの居酒屋は18時前でそこまで混んでいない。


 翔吾は真由と私服でテーブルを挟んで向かい合っていた。


 お互いにTシャツにジーンズ。だが真由の胸部の主張が激しく、翔吾の視線は壁に掛かった生ビール(中)¥700の値札から動かすことができない。


 ——真由の提案は、試験前にパーティメンバーでのダンジョンアタックだ。


 真由の提案は特におかしなところはない。


 事前演習はどのパーティも実施していることである。


 だが翔吾の耳に、真由の話はなかなか入ってこなかった。


 なぜいつもの店を選んだのか。別の場所にすべきだったのでは? 


 悪い予感、後ろめたさ、何故こんな感情がぐるぐると頭の中を巡るのか。


 翔吾はその理由に辿り着けずにいた。


「ねぇ、聞いてる? 翔吾——」


『——横、いいかしら?』


 そんな中、後方から聞こえた声に、堂々巡りの思考がピタリと止まる。


 翔吾は声がした後方へ、ギギギと音がしそうな仕草で首を向けた。


「…………」


 会社制服ダンジョン用作業着を着た、が立っている。


 翔吾はどうにか頷いて響子へ着席を促した。


「か……ち……響子さん、お疲れ様です」


 居酒屋で飲んで以降、プライベートはお互い名前で呼ぶようになっているのに、ここで課長と呼ぶのは、何かとんでもなくまずい気がして、翔吾の舌は自身の人生史上最も流暢に回ってそれを回避した。


 翔吾基準なので、回っていないのに等しいことではあるが……。


 ここで、なぜ制服を着ているのだとか、どうやってここにいるのが分かったのかなどは、間違っても聞いてはダメだ。


 響子から目を逸らしてはダメだし、真由の方を見たりしてもいけない。


 この2ヶ月で永山が教えてくれたことである。


『女はよ、すぐに気づく。そりゃもう恐ろしい速さで気付く。男がちょっとでも怪しいとな。だから言い訳じみたことは言わないのがいいんだ』


『男は顔に出るからな。笑顔がいいな、笑顔が。まあ、兄さんにそういう修羅場はねえだろうがよ。だって響子ちゃんのことしか頭にねぇだろ?』


 自分に役立つ話だとはとても思わなかったが、覚えておいて良かった。


 翔吾が最近、母親の手術関連以外に考えていることは響子のことばかりだ。


 それは間違いない。だからやましいことなど何もない。浮かべる笑顔は【会えて嬉しい】の意味で本当の気持ちだ。


 翔吾は自信を持ってそう言えるが——


「で、その人はどなた? してくれるのよね?」


「前期実地講習前からと仲良くしている、、真田真由でーす」


「へー……貴女が、真田さん」


 ——今はスキルを使って店から飛び出したい。


 翔吾がスキルのダンジョン外使用で摘発されても、やむを得ないだろうと思い詰めるほどに、酷い空気が場に満ちている。


 背中を伝う汗が体温を奪っていく。


 翔吾は伺うように二人の顔を交互に見て……そして激しい後悔に襲われた。


 二人とも、とてもいい笑顔なのに目が笑っていない。殺気すら感じとれる。


 間違えてしまった。


 恐ろしい。もうダメだ。息ができない。


 気が回らない自分が引き起こしたことへの後悔が翔吾を押し潰す。


 直帰時は、いつも響子に仕事終わりの連絡を入れていたのにどうして忘れてしまったのか。


 ちゃんと連絡を入れて、真由とご飯に行くと言えば良かったし、できれば合流して欲しいと、たったそれだけ付け加えるだけで、こんなことにはならなかったはず。


 少し考えれば分かる、簡単な答えだ。


 どうして上手く出来ない。


「あ、っ、す、っ、せっ……」


 震えた声はラジオノイズのように途切れている。


 やはり自分みたいなダメな男は、女性に近寄ってはいけなかった——


「——! 翔吾くんっ! ……ごめんね。気にしないで」


 いち早く翔吾の様子に気づいた響子が、その震える手を抑えるように優しく握った。


「私もごめん。じゃあ、停戦ってことで。改めまして真田真由です。貴女は?」


「……佐山響子よ。私もごめんなさい」


 二人は事務的なやり取りではあるが、さっきよりもはるかに友好的な雰囲気で自己紹介を済ませた。


「あ、の……」


 さっきまでの冷たい空気は霧散していて、翔吾は止めていた息を吸い、声を出すことが出来た。


「本当にごめん。嫌なところみせちゃった。意味わかんないよね」


 手の震えがおさまった翔吾に、響子は顔を少し赤くして潤んだ目を向けた。


「いえ、あ、と、俺も、さ、先に連絡を、す、すべきでっ、ごめ、ごめんなさい」


 翔吾の口はまだ強張っていて、上手く喋れなかった。


「私が悪いの、ごめんね……」


 翔吾からの仕事終わりの連絡がなく、心配になった響子は、外出先から会社に戻らず、まず居酒屋に足を向けた。


 居たらそれで取り越し苦労で良かったのだが、ので、思わず昂った感情を翔吾に見せてしまったのだ。


 響子は、翔吾がそういった対処が出来るはずもないのは分かっていたのにと、落ち込んだ様子をみせている。


「ふーん。そんな感じなんだ。これは私が悪かったかな?」


 そんな二人に真由は、優しげな声をかけた。


「ねえ、佐山さん。連絡先交換しない? それとあと二人ほど呼んでも良い?」

 

「別に私は構わないけど……あれ———? 貴女、どこかで会ってないかしら?」


「今日が初めましてだけど?」


「……本当に? でも、………雰囲気が似てる。そうだ、やっぱり似ているのよ。似ている……の感じも……ねえ、【一条美玲】という人が親戚にいたりしない?」

 

「誰? 聞いたことない」


「……そう。ならいいの、私の……勘違い。はいこれ、私の連絡先」


 翔吾は二人のやりとりを眺めながらほっとした。


 が、翔吾の悩みはこれだけでは終わらなかった。






 


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