第26話 永山達仁との交流


 池袋駅ダンジョンは本来、閑古鳥が鳴き開店休業状態が常である。


 入口で受付守衛を勤める永山達仁ながやまたつひと56歳の日常が、ここ10年変わることがなかったことからも、それは変わることのない決定事項だった。


 守衛室の前に座って悠々と居眠り。誰に咎められることもない、これまでの毎日。


 ハンター引退後に手に入れたこの状況は、ダンジョン出現最初期の混沌を、ハンターとして乗り越え生き残ることができた、自分へのご褒美と永山は考えていた。


 ラージラットばかりのダンジョンの守衛兼管理人。週一回程度で間引いてやれば小さな魔物は外に溢れることもない。


 現役のときに死線を潜って鍛え上げた体はいまだ錆ついてはおらず、ラージラットごときの噛みつきでは傷一つ負うこともない。


 あくび混じりに、軽くひと撫でしてやれば直ぐに終わる楽な仕事。


 そんな変わり映えのしない永山の日常はいま、ほんの少しだけ変化をみせている。



「永山さん。お疲れ様です」


「おう、兄さん。今日もネズミ狩りは順調か?」


「こんな感じですね」


 翔吾は永山に欠けた魔核を見せた。


「ほお。の魔核だな。これなら10万はあるぞ」


「運が良かっただけですよ」


「そうか。そうか。ところで今日はもう上がりか? ならちょっと、寄ってけよ」


 永山は親指で守衛室を指した。


「いいですよ。二時間ぐらいなら」


 翔吾は嬉しそうに答えた。


 時刻は14時。早くも夏を示す陽気が地面を温めている。


「昨日から動かしてねえから決着をつけようや」


「勝ち越しが掛かってますから、勝ちにいきますからね」


「楽しいこと言ってくれるじゃねぇか」


 翔吾と永山は、気安い言葉をかけあいながら守衛室に入り、将棋盤の前に腰掛けると、真剣な表情で将棋を打ち出した。



 

 池袋駅ダンジョンに翔吾が通うようになって、はや2ヶ月近く。


 永山は、翔吾がだと、とっくに気づいている。


 翔吾が永山に見せた状態の良い魔核は、何らかの特別な手段がないと入手は困難だ。スキルかそれとも道具、シンプルに技術。


 見る限り、職人の手つきはしておらず、道具もバックパックに入っているようには見えない。ならばスキル。それも人には見せたくはないもの。


 永山は翔吾の事情にも大体の想像がついた。


 だから余計な詮索はしない。


 永山はダンジョン深層に長らく潜ってきた経験から、ハンターが抱える事情に首を突っ込む危うさを、充分すぎるほどに理解している。


 それに話を聞いていると、既に信頼できる支援者がいる様子だ。


 ならば自分は将来有望であろう若手の成長を応援しながら楽しむのが正解だろう。


 また、翔吾の態度がハンターにありがちな傲慢さがないことも応援したくなる要素である。


 声をかければ嬉しそうに返事をするし、ハンター時代のちょっとした経験を少しばかり呟けば、気持ちいいくらいに聞き入ってくれた。


「うーん。やっぱ強えな。将棋の戦型選択できるハンターなんて、俺以外いないと思ってたんだがよ」


「父に習ったんです。でも永山さんは父より強いです」


 しかも、わざわざ魔素耐性加工を施し、仕事場に持ち込むほど好きな趣味である将棋の相手になるとあれば。


 永山が翔吾を特別に気に入るのは必然といえた。


 また翔吾の方も、永山になら多少の事情は明かしても良いというように、戦利品を見せてきた。


 そして、それだけに留まらず、翔吾はごく私的なことも永山へと相談をしてくる。


 それらの点についても永山にとっては、翔吾から自分への信頼を感じることができて、気分の良いことだった。


「かーっ、負けた。これで三勝四敗かぁ」


「ここの三五銀の処理が敗着でしたね」


「だなあ。ここで桂をこっちに打ってりゃ、まだ目があったな。ところで兄さん、はどうなったんだい?」


 永山は片眉を上げ、人の悪そうな笑顔を翔吾に向けた。


「……えーと、あの、なんといいますか」


「なんでぇ? まーだ、いってねえのかよ。ダメだって。いいか? 女を待たせる男は三流、いや五流だ」


「いや、でも、もしかすると俺の勘違いかも知れないじゃないですか……」


「おぅ、おう、おぅ。時代に取り残されたような朴念仁ぼくねんじんだなあ兄さんは。まったくよぉ。たとえ勘違いだとして何が悪いんだ。オメェ、好きなんだろ?」


「好きです……でも、それは人として尊敬できるというか、落ちこぼれの俺にずっと優しかったから」


「やだねえ、謙遜も過ぎれば嫌味だぜ。兄さんよぉ」


「謙遜とかじゃなく、釣り合わないように思うんですよ、僕なんかじゃ……」


 永山はため息をついて、生暖かい目を翔吾に向けた。


 今は家族を持ち落ち着いているが、永山は若い頃、稼ぐハンターとしてそれなりに


 男と女の機微、呼吸といったものは、話を聞けば大体はわかる程度には経験がある。


 翔吾の相手は、あからさまな程にしてくれているというに、なんとも勿体無いというのが永山の感想だ。


 だが、それに乗り切れないところも、この気のいい兄さんの良いところでもある。なんとも痒い気持ちにさせられるものだと、永山は翔吾を見つめた。


 女性の方もこれまでの話しを聞く限り、サインが通じぬ歯痒さはあれど、怒りはせずといったところか。


「若いんだから、何にも考えずにいけばいいのによ。まだ22か? 相手も24? 俺なんかその歳はただの獣だったぞ」


「け、獣……」


「獣だよ。相手のことなんか考えもせずなあ、男らしさを勘違いして調子に乗って……。まあ、そう考えると兄さんは誠実だな……いや、すまん。ジジイの下らん昔話と比べちゃいかんな。ただもうちっと踏み込んでみろよ。ほんの少し自分の気持ちを表に出すっていうかな」


 翔吾は永山の言葉に俯いて黙った。


 少しだけなら。そう、何もすぐに答えないといけないわけでもない。それこそ勘違いだ。


『もう少し、思ったことを話してくれると助かるのだけれど』


 思えば彼女は、いつもそう言っていた。


 翔吾は永山と話していると、ふと目が覚めるような感覚を覚えることがあり、それは今日もまた訪れた。


「永山さん、ありがとうございます」


 頭を上げて感謝を告げる。翔吾の永山への信頼感は話すたびに強まっている。


「いや、何にもしてねえよ。それより明日も来んのか? 明日は俺は休みで居ねえけど、ダンジョンは受付の入場記録だけ書いてくれりゃ入っていいからな。ここは厳しい規制ルールとかねえし」


「分かりました。……あの、お休みって」


 あまり立ち入ったことを聞きたくはなかったが、この2ヶ月、平日は休みもなく永山は守衛に立ち、いや座り続けている。


 突然の休みがどうしても気になって聞いてしまった。


「ん? 嫁の誕生日だからよ。ちょっと遠出して美味いもん食いに行くんだ」


「……それはとても良いですね」


 照れくさそうでもなく、至極当たり前のように話す永山に、翔吾は憧れに近いものを感じた。


「良いだろ。じゃあ今日はもう上がりだ。ちょうどバスがきたしよ。おっ? そういや試験は、もうちょいだな?」


「そうです……少し緊張してきました」


「心配すんな。あの試験は最低点でも受かるからな」


 ハンターとして正規登録するために合格する必要がある最後の試験。


 後期実地試験は2週間後に迫っていた。








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次回『修羅場』


 

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