第25話 戦果 〜変化の兆し〜


「それにしても、びっくりだったわね」


「……すみません」


「怒っているんじゃないの。驚いただけだから」


 年季の入った居酒屋で、翔吾は佐山響子と向かい合っている。


「もしかすると人生で一番驚いたかも」


 生ジョッキを半分ほど飲んで机に置くと、響子は翔吾を見つめた。


「同じくです……」


 翔吾の策は上手くいった。


 思惑通り完全状態の魔核を手に入れることができたのだ。


 翔吾は初め、余りにも簡単に欠けのない魔核を採取出来るので、実は失敗しているのではないのかと疑問に思った。


 須王からも、熟練者でも上手くいって5回に1回ぐらいしか完全状態にはできないと聞いていたからだ。


 ましてや魔核が他の魔物よりも脆いラージラットであれば、その成功率は10回中1回あるかどうかとまで。


 自分のスキルがいくら自由度が高いといっても、まさかそこまでと翔吾は考えていた。


 しかしながら、もし万が一全てが完全状態だったとしたら? 


 完全状態の魔核がどういった物なのか翔吾には判断出来ない。


 そのため、翔吾は帰社後すぐに響子へと内線をかけた。


 そして結果は。


「まさか傷なしなんてね。……私、ちゃんとしたハンターは2年程度しかやってないけど、それでもそんなの見たことも聞いたこともないわよ」


「あの、ありがとうございます、いつもご迷惑をおかけしてばかりで」


「いいの。私がでやってるだけだから。それにちゃんと頼ってくれて嬉しい」


 翔吾は笑いながら見つめてくる響子の表情に思わず見惚れた。


「そ、そんな、頼りっぱなしで、いつもも、申し訳ないですっ」


 響子の視線に耐えられず、翔吾は目を伏せ、どもりながら答える。


「遠慮しなくていいから。なるべく早くお母様の手術ができるように、ね?」


「はい……これなら間に合いそうです」


 完全状態の魔核の取引価格は、小指の爪サイズですら100万円前後。


 一日やれば20個は余裕だ。2ヶ月程度、採取に励んで換金すれば、手術諸々の費用はすぐに稼げる。


 だがそう簡単にはいかない。


 一気にそんなものが流れれば、誰が採取したのか必ず探りが入る。面倒ごとは必然だ。


 入手方法からなにから、人に知られて良いものが何一つない。


 そこで翔吾は、3ヶ月後の後期実地試験終了後に企業所属のハンターになるのではなく、フリーのハンターとなることを決めた。

 

 魔核の換金もそこからだ。納品先は響子のコネクションを使って、問題のない取引先を選定してもらった。


 現状は完全状態の魔核を、【(株)ダンジョン資源開発】に納品する予定はない。


 後期実地試験までの仮免許期間に怪しまれないよう、砕けた状態の悪いものを研修成果として、何日かに分けて数個ずつを納品していく予定だ。


 独立後は遠藤重工の出資を受けて、ベンチャーとしての出発となる。


 遠藤重工は、響子が言った問題のない取引先だ。


 先方は採取方法、つまり翔吾のスキルには興味がなく、完全状態の魔核にのみ興味があるとのことで、秘密保持契約も締結予定だ。


 独立後は一気に在庫をはくことができる段取りとなっている。


 翔吾には逆立ちしてもできそうにない、手続きや交渉事、何もかもを響子が対応してくれたお陰だ。


 しかも。


「その、本当に……本当にいいんですか? 佐山課長は将来的には今の会社で役員まであると……」


「いいの、いいの。どうせ深層経験のある元ハンターの頭数が欲しいだけ。お飾りよ。それより中村くんと一緒の方が楽しいし、やりがいもあるの」


 響子は、翔吾をまっすぐに見つめたままそう言った。


 翔吾が起こす会社、とはいってもごく小規模の個人商店に、響子も来てくれるというのだ。


 事務方だけでなく各所との折衝、翔吾のスケジュール管理に雑務、全てを引き受けるという。


「あ、あっ、あの、そ、っ、それはっ……」


 顔が燃えるように熱い。


 喉がきゅうきゅうと締まり、か細い息を翔吾は吐いた。


「どど、ど、どういう意味ででっ!」


 最後まで言い切ることができずに、直ぐに下をむく。


「意味も何もそのままよ。それよりさ……翔吾って呼んでいい?」


 時間がピタリと止まって音が消えた。さっきまで店には笑い声と接客の声が響いていたのに。


 本当にどういう意図で響子がそう言っているのか、翔吾には全く理解できなかった。


 そのままの意味も分からず。それに、わたしも……である。


 自分のことを翔吾と呼ぶのは、あの暗い洞窟の奥深くでアドバイスをくれた人と、真田真由の二名。


 翔吾はそのことを響子に話してはいたが……。


「翔吾くん、なら、いいかな? あっ、独立後はちゃんと人前では社長で呼ぶから……でも、二人の時はいいでしょ?」


「あっ、あっ、も、もちろんですっ」


「翔吾くん」


 呼ばれて顔を上げた。時間は止まったままだ。


『時よ止まれ永遠に』


 父が好きだった歌のタイトルとそのメロディが一瞬、頭の中で鳴り響く。


 この人は、こんなに綺麗だっただろうか。いや、綺麗なのは知っていた。同僚たちはみんな彼女に特別な視線を向けていたし、自分だって。


 でも、直視してはいけないと、いつも下を向いていた。


「この先もよろしくね」


「よろしくお願いします……」


 翔吾と響子は、ジョッキをコツリとぶつけて、残りを飲み干した。


 翔吾は勘違いが怖かった。どういう意味なのか確かめようとした。


 けれど上手く伝えられずに、結局よくわからないままだ。


 目が離せない。時間よ動け。息が苦しくて。


 せめて先に視線を切ってくれたなら。


「お酒、何飲むの?」


 響子が空のジョッキに指をかけながら微笑んでそう言うと、魔法が解けたように翔吾の時間が動き出し、びくりと体を震わせて答えた。


「レ、レモンサワーを薄めで……」


 2杯目のレモンサワーをさっきよりも薄めで頼む。普段なら気にならないことなのに、翔吾はなぜか恥ずかしくなり、また顔が熱くなった。


 よくよく考えると、居酒屋を選んだのも良くなかったような気がする。


 だからといって、気の利いた洒落た店など、知りもしないのだが……。


 久しぶりのモヤモヤとした気持ちが、翔吾の胸の内で渦巻いた。


「わたしも同じにするね」


 だが、それを一瞬で晴らす笑顔が向けられ、翔吾の気持ちは乱高下する。


「今日は翔吾くんが、ハンターとしてやっていける目処がたったお祝い。だから無礼講よ。敬語もなしだからね?」


「は、はい。あっ……、ちょっとそれは難しいかもで、です……」


 どもる翔吾の様子に響子が微笑んだ。


 いつもの翔吾ならその微笑みに対して、迷惑をかけたとか、恥ずかしいという感情で一杯になっていたが、今はその中に嬉しさを感じることが出来ている。


 まるで、生き残ることで勝ち取った報酬のような、翔吾に与えられた幸せな時間。


 ——そう、今はまだ静かで平穏な日々。けれど変化は始まっている。

 

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