第20話 不穏なハンター講習
ハンター協会関東支部が入るのは、品川区にある高層ビルの6階〜9階。
その6階にある103会議室で、ハンター講習会が開かれている。
翔吾は退院後、ハンター登録をするために必須受講科目であるこの講習会へ参加していた。
講義の内容は以前から知っているものが多く、講師の説明も丁寧で分かりやすい……はずだったのだが、問題が起きているせいで、なかなか頭に入ってこない。
「次はテキスト32ページ、緊急時におけるハンターの権限と義務です……えー、ダンジョン法十条、六項に定められ——」
講師の声を邪魔するノイズのせいだ。
「なんでお前がここにいるんだよ」
翔吾は後ろから聞こえてきた舌打ち混じりの声に、ビクリと身体をふるわせた。
2年近くも自分を罵倒や否定をしてきたものに、身体が反応するのはもはや無意識に近い。
「ちっ。答えろよ。なんでハンター講習にお前がいるんだって聞いたんだろうがっ」
「講習前にも言ったけれど、ス、スキルが発現したからだよ……神崎くん」
それ以外でここに居る理由はないはずだ。そんなことは誰でもわかる。どうしてこんな馬鹿みたいなことを聞いてくるのかと答えたい気持ちを抑えて翔吾は答えた。
「……だから、そんなわけねぇだろうがよっ」
「神崎さん。他の方の迷惑になりますので、お静かに願います。二度目ですから、次は退室頂きますよ」
翔吾にイラつき、声が大きくなった神崎へと講師から注意が飛んだ。
「……終わったら話があるから、逃げんなよ」
翔吾は曖昧に笑って返事をしなかった。
佐山から、翔吾のスキルは開示することのリスクが多すぎるので、スキルの詳細については、他人に明かすな言われているからだ。
この講習後に行われる、ハンター専門の医師によるスキル確認でも、スキルの詳細を隠蔽し、
そういったミッションを持って臨んだ翔吾だったのだが、講習が実施される会議室前時点で、早くも障壁に出会ってしまった。
神崎は出会ってからずっと翔吾へと質問を飛ばし続けてきている。
それをのらりくらりとかわすのも、もう限界、爆発寸前だ。
神崎は翔吾のぼやかした説明に、明らかにイラついている。
「緊急時以外での配信ですが、適正階層外での配信はダンジョン法十二条五項によって禁じられています。このことから——」
これ以上どうやって誤魔化そうかと、思考はそちらばかりに削がれてしまい、講習内容は朧げだ。
せめてノートには書きとめようと頑張ったが、そのノートを見直しても、飛びに飛んだ単語だけが並んでいて、余計に意味がわからない。
「——未成年の視聴についての制限は以上です。それでは初回講習の座学はここまで。午後からはペーパーテスト、それから個別の健康診断、スキル確認と登録、資格証カードの作成になります。次は211会議室に集合をお願い致します。それと——」
講師の話を遮るように昼休憩のチャイムが鳴る。
翔吾は急いで立ち上がった。
決めた。もう、逃げるしか手はない。
講師の説明が終わり切る前に動き出したせいか、刺さるような視線を背中に感じた。
だが、早くここから離れて神崎から逃れないと。
「おいっ! 待てよっ、中村っ!」
ダンジョンより帰還してから、やたらと鋭敏になった翔吾の感覚が、背後から自分の腕を掴もうとする手を捉えた。
案の定だ。掴まれるわけにはいかないので、怪我をさせないようにそっと避ける。
「えっ?! なっ?!」
空振りした手を見て首をかしげる神崎を背に、翔吾は103会議室から飛び出した。
◆
既読
12:13
『神崎がしつこくて』
佐山響子
『お疲れさま。
大変だけど喋っちゃだめよ』12:14
既読
12:14
『それはもちろんです。
なんとか逃げました。
でももう爆発しそうで』
佐山響子
『ちょっと手を打つから
今日だけは切り抜けてね。
ひどいなら、前も言った通り
講習日程をずらせばいい。
それと、実習はこんな事が
ないようにするから』12:15
12:16
『わかりました』
神崎から逃げおおせた翔吾は、日本ハンター協会関東支部が入るビルの屋上で、ため息をつきつつ
事前に、神崎がやりそうなことを佐山課長と確認しておいたのは良かった。そうでなければ、あの時逃げ出す判断ができなかっただろうから。
そんな思いを浮かべて見つめた視界には、都内に点在するダンジョンの数々が翔吾へと存在を主張していた。
なぜその殆どが地下にあるダンジョンの位置がわかるのか。
それは、スキルに目覚めたものだけが見ることが可能な、はるか成層圏からダンジョンにまで細く伸びる、【境界杭】と呼ばれる黒い杭のような円錐が見えるからだ。
【境界杭】は細いといっても、直径は100メートル程度あり、充分に巨大である。
光を遮ることもなく、影もできず、触って確認することもできない。
何のためにあるのか、出現が確認された当初から研究が続けられている。
ダンジョンを地球に固定する役割を担うという説を聞いたことがあるなと、翔吾はふと思い出しながら、一番近くに大きく見える境界杭を見つめた。
青みがかった黒。そういえば、自分が落ちた穴の色合いもこんなようだったなと感じたが、それよりも目下の悩みが重すぎて、そちらに思考が流れていく。
「はぁ。あと四日も耐えられるはずがないよ。手を打つって、どんな手だろ……」
既読のついたチャット画面を見返し、翔吾は再びため息をついた。
「やっぱり苦手だな……」
「なにが苦手なのー?」
「うおぁっ!!」
突然かけられた声に、翔吾は驚愕の声をあげながら、真横へと飛び退いた。
気配を察知すらさせずに、背後を取ってきた相手を確認する。
からかうような明るい声色でなければ、反射的に攻撃するところだった。
「へぇー、反応早いね。何かスポーツとかやってたの?」
「いや、何も……」
「そうなの? すごく速い動きだから、てっきりそうかなと思って」
翔吾は視界に収まった女性をみて、思わず息をのみ、直ぐに下を向いた。
芸能人かと思うほど整った顔立ちに、主張の激しい胸部、赤みがかったポニーテール。釣り気味の目は二重で大きく、活発な印象を抱かせる表情は自信に溢れている。
翔吾とよく似た、ダンジョン用作業服を着ているのに野暮ったさはない。身につけた装飾品や着こなしでスマートにすらみえる。
……はっきりいうと、あまり得意ではないタイプだ。
こういったタイプの女性とのやり取りで、あまりいい思い出が翔吾にはなかった。
まごついているうちに、相手が面倒そうな表情を作るのだ。それを見るのはつらい。
「ふーん。そういう感じなんだ」
顔を覗き込むような仕草をしながら、女は翔吾に近づく。
講習者がつけるバッジが、女の胸元で光ったことに翔吾は気がついた。
同じ部屋にいただろうか? 神崎のことばかりが気になって覚えていない……。
「あの、俺はこれで」
「ちょっと話そうよ」
……何を? と言いそうになるのを抑える。
頭をかきながら小さく下げ、聞こえなかったふりをして、翔吾はその場を後にしようとした。
気配を察知できないような得体の知れない相手と、いや、そもそも苦手なタイプの女性と一緒にはいたくない。
それに思わず横っ飛びを見せてしまったが、あきらかに常人の動きではなかった。この先、自分がどう反応してしまうのかも不安だ。
これ以上話し続けるのはどう考えてもマズい。何かしらボロが出るに決まっている。
ジリジリと距離を取ろうとする翔吾に、女は声をかけてきた。
「困ってるんでしょ? あの色黒の彼。なんだか絡まれてるみたいだから」
「あっ……えっ、と」
困ってはいる。けれど貴女と話すのも、充分困っているとはいえなかった。
「わたしもさ? 今日あったばかりなのに、いきなり連絡先聞かれて。苦手なんだよね、顔がいいのに頭が悪そうな人って」
「……くっ」
ズバズバと神崎を切り捨てるような物言いに、翔吾は思わず吹き出してしまった。
「でしょ? ……あっ、わたし
「あ、あっ、えっと、中村翔吾です」
「講習一緒なのよ? まあ、あなたはそれどころじゃなくて、周りなんて見てなかっただろうけど」
「す、すみません」
翔吾は真田真由の様子に緊張の糸を解きそうになるが、ぐっと堪えた。
柔らかく話しやすい雰囲気。しかし油断はできない。気配を感じさせず背後を取る相手だ。
だが翔吾の警戒を、真由は易々と
「ねえ? ご飯まだでしょ? 食べながら話そうよ」
「えっ、あっ、ちょっ」
敵意なくこちらに伸ばされた手を、自然に振り解く方法など翔吾に思いつくはずもない。
腕を持たれ引きずられるように屋上をあとにする。
……せめて、向かう場所に神崎がいませんように。
けれど、もしいたとして絡んできたら……最悪、全て無視して逃げる。日程変更による数日程度の遅れは許容するしかない。課長に言われた通りにする……。
翔吾はもう考えることに疲れていたので、それだけを腹に決めた。
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